最終話~恋が始まらない
心臓から重力が消える。開きっぱなしになった目が橋下の川を映し、死の匂いを肌で感じた瞬間、突然降下していた身体が急に停止し、何者かによって欄干から歩道の方に引き剥がされた。
「はぁ、はぁ……」
冬馬の耳元で荒い息遣いが聞こえる。振り向くと、辛そうに顔を歪ませている花園が冬馬を抱えてへたり込んでいた。
「……花園、ごめん。たす……」
「本当に何してんの! いっつもいっつも無茶ばっかりして! この前の放課後の時も、今も!」
しんとした橋道に荒い口調が飛ぶ。懸命に息を保とうとする花園の声は、次第に喉から振り絞ったような啜り声を帯びていった。
「これ以上……遠くに行かないでよ……!」
その言葉を口に出した花園は冬馬の背中をもっと強く抱きしめ、言葉に詰まった様々な感情を溢れさせるように、声を上げて涙を流し始めた。
「花園……」
涙ながらに訴える花園の言葉に、とたんに心が跳ね上がり熱を帯びていく。
彼女に関わらない事が正義だと思っていたが、その行動自体が花園を泣かせるまで傷つけてしまっていた事を改めて悔いた。と同時に、自分の為に涙を流してくれるほど自分の事を考えてくれていたことがこの上なく嬉しかった。
ひたすらに嗚咽を漏らす花園の背中をさする。しばらくさすって花園の呼吸を落ち着かせると、冬馬は自分に抱きついていた花園の肩に両手を置いて、一度自分の身体から引き剥がした。
(もう、嘘を吐くのは止めたんだ)
だから勇気を振り絞って、口下手でも、格好悪くても、真っ直ぐな気持ちを伝えるって決めたんだ。
「……香織」
一呼吸おいて、涙を浮かべた女の子と目線を合わせる。
「好きだ。何回も離れちゃったけど、ずっと好きだった」
その言葉を口にすると、花園は先程よりも癪り声を上げて泣きはじめた。
泣き止まない花園を見て、また自分は間違いを犯してしまったのかと思っていると、その刹那、冬馬の視界から長髪が消え、泣いていた時よりも強く抱きしめられた。
「私も……大好き」
眠っていた血液が数百倍の速度で全身を駆け巡る。
離れては近づいて、また離れてもう駄目だと諦めかかっても最後の望みでまた近づいて、最後の最後で想いを確かめ合い、ようやく一緒になる事が出来た。
ずっと片思いだと思っていた恋が両想いで、叶うわけがないと思っていたことが現実になった。多分……いや、紛れもなく今日、この瞬間は人生で一番幸せだ。
「……冬馬」
余韻に浸る間もなく、突然名前呼びをされたことにドキッとする。
それよりも、自分の正直な気持ちを花園に伝えたことで、彼女の仕草の全てに心が反応してしまう。
「もう、離れないでね」
花園の言った言葉を冬馬の胸の中で反芻する。
短いけれど、自分達にとっては重要な意味を感じさせる言葉。
「うん。もう、離れない」
たくさん泣いた分お互いの事を考えて、たくさん離れた分もっと好きになった。今思えばマイナスだと思っていた一つ一つの行動がこの日のための貯金で、今日の幸せをより気持ち良く感じさせる為のものだったのではないかと思う。
だから何もかもが無駄じゃない。この瞬間がその言葉の根拠だ。
両手をまわし、目の前の小さな背中を抱き寄せる。そして手のひらに溶ける白雪のように、そっと花園の背中に言葉を呟いた。
もう離れる事がないように、これからは二人で一緒に歩いて行こう。
何年先も、何十年先も。手を繋いで歩いて行こう。
恋が始まらない 終わり。
恋が始まらない 北斗 白 @shiro1010
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