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 桜を見に行こうと家を出たものの、特に何処に行こうとも決めておらず完全に行き当たりばったりといった状況であった。仕事以外で外出をしていなかった為にこの近辺でどこに桜が咲いているのか皆目見当もつかない。それにスーツ以外ここ数ヶ月着ていなかったから少々服の選択を間違えたようだ。天気予報を見てみれば、三月中旬には二十度近くあった気温も何故か今は十一度である。薄手のパーカー一枚ではかなり肌寒い。コートを着てきた方が良かったか、それとももう一枚中に着てきた方が良かっただろうか。それくらいの寒さに身体は少し震えていた。

 こうして特に何も考えずに歩くのは一体何年ぶりだろうか。少なくとも遥が生きていた頃にはそそっかしい彼女の心配ばかりしていたし、亡くなってからは仕事のことばかり考えていた。だから多分学生の時以来だと思う。脳内が空っぽになるとはこういう感覚だったか。と少し物思いに耽っていれば、気付いた時には近所の川沿いに来ていた。片田舎の川だからそこまで大きいものではないが、きちんと整備され川沿いは綺麗なものであった。

「あ、咲いてる……」

 なんとなく、気の向くままにと歩いていた先ではあったが、どうやらこの辺りは桜が等間隔に植えられているようだ。それにしても然し、満開どころか既に花々の隙間から所々緑が覗いている。数日もすればより葉の数が増え葉桜と言われることの方が増えてくるだろう。それでも桜は桜だ。

 とはいえ、何故僕はここに来たのだろう。桜を見たところで何か現状が変わる訳でもないし、遥が戻ってくる訳ではない。なのに、何故――。

 自分が変わらなければ何も変わらない、そんなこととうに分かっていた筈なのに。だとしてもせめてこんな曇天ではなく、どこまでも透き通った青の広がる晴天ならばこの花々の色も映えただろうに。隣に彼女がいれば、こんな生憎の天気だろうと楽しかっただろうに。

 ありもしない『if』に囚われ続けて何がしたいのだろうか。薄墨色の天上が陰鬱な空気を運び、次第に僕の心にも鬱々としたものが流れ込んでくる。お先真っ暗とは正にこの事か。未来が何も見えない。どうしたらいいのか分からない。いや、どうすることも出来ない。非日常的なスパイスがあれば変われるかもしれないと考えたけれど、結局何か大きく行動するだけの勇気がなければ何も始まらないではないか。遥の時もそうだった。もう何もかもが遅い、今更気付いたところで。


 この場所に着いてから一体どれくらいこうしていただろうか。ただただ立ち尽くしたまま虚ろに木々を見つめていた。ふと手元に暖かさを感じて空を見上げると、重々しい雲の隙間から日が差していたことに気付く。突然吹いた強風に体をふらつかせながら見た先には、太陽の光に照らされた満開に咲いた桜の木。どこか既視感を覚えて、何故か懐かしく感じたその木を写真に収めようと思った。画像が増えたところでスマホの容量を圧迫するだけなのだが。普段は絶対そんな無駄なことなどしないのに何故だ。だが大した目的も無くこうして外をふらついている辺りでそんな疑問は意味を成さないだろう。こんな杞憂に終わるような思考の方がよっぽど無意味だ。一旦考えるという行為を放棄して自分の手元に集中する。

 カシャリ。

 シャッターを切る音が周囲に小さく響いた。撮った写真を確認しようとスマホを開いた時、未開封のメールがあることに気付く。仕事の時は仕事用のスマホを使っていたし、普段は時計代わりにしかなっていなかった。だから送られてきたメールには気付かなかったのだろう。一年ぶりに開いたそこには、もう二度と返すことの出来ない人物からのメールがあった。


 読み終わったと同時、目から何か熱いものが溢れる。一瞬何が起きたか理解出来なかった。だがそれが涙だと気付いた時、なんだか可笑しく感じてふっと笑ってしまう。

「やっぱり君は最後まで君だったね」

 小さな呟きはもう誰にも届くことはない。それでもいい。前を向く勇気をくれた彼女に感謝をしてただ進むだけだ。大切なメッセージに気付かせてくれた桜に感謝をしようと思い木々に近寄った時、春らしい爽やかな風が吹き薄桃色の花弁が舞う。触れるつもりもなくただなんとなく左手を伸ばすと花弁が一つ手のひらの上に乗った。それはまるで彼女からのメッセージのように。

「ありがとう、もう少し頑張ってみるから待っててくれ」

 左手を握り締め、手の中の桜に誓う。前を向いて生きていく、彼女が生きられなかった分も楽しんで生きていくと。がらりとは変えられなくとも少しずつ前を向いていくと。


“これを読んでいるってことは私はもうこの世にいないんだろう。そしたらきっと俊くんはしばらくの間落ち込んで俯いて立ち直れない気がする。これに気付くのはいつになることやら。まぁだから読める時にでも読んでください。

 今までありがとう。他の人と比べたらとても短かったかもしれないけれど、私の人生は君のお陰で幸せでした。本当に感謝しています。

 私の最後のワガママ、聞いてくれるかな? 私が生きられなかった幾年もの人生は君が楽しんで生きてください。いつまでも私のことを引き摺らず、ちゃんと前に進むこと。一歩一歩でも構わない。私のこと忘れないで、なんて無責任なお願いはしないよ。私なんかに縛られないで。ちゃんと君は君で幸せになること。最愛の貴方の人生に幸あれ”



 遥か遠くの君から届いたメッセージ。僕は誓おう、君の分まで幸せに生きると。いつか其方へ行った時にせめて土産話くらいは出来るように。


 手の中の桜花一片に願いを。

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桜花一片に願いを 東雲 彼方 @Kanata-S317

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