第2話 時は散り頃

「やあ、連絡してあった時間通りだな!まあ座ってくれ。よく来てくれた」



門扉に据えられた錠前が全て解かれるまで悠に1分近くかかったかもしれない。満を持してという面持ちで重厚なドアの向こうからブラックボックス研究所所長が顔を突き出す。


所長の執務室は随分と強固なセキュリティを張り巡らせ所内の最奥を占めていた。しかしその重苦しいしつらえと底抜けに対極に、所長は大雑把な出で立ちで構えており何だか暑苦しい。


「所長のダンクルだ。君とはその内握手する日が来るだろうと思ってたぞ、はは」


グローブのような手で所長は遠慮なく俺の背を叩くと、すぐさま握手を求めてその手を振り回した。ごましおの目立つ大きな頭と恰幅の良い腹が眼前を覆う。


「ジャック・ターナーです。お会いできて光栄…」

「そんな勿体ぶった挨拶なんぞ要らん!さあ入った入った!」


所長はがんがんと笑い立てて窮屈そうな白衣を揺らす。本人は少々乱雑な設えの執務室と妙にマッチした風貌だったが、とてもメディアや伝記に名を躍らせる偉人には見えなかった。


それこそこの男は教科書にも載る「才人」、「偉人」と称されて久しいのである。

近年『箱』に関する情報が教育現場や公的な情報ツールで取り沙汰されるようになり、長らく、それこそ15世紀もの間、箝口令に近い形で研究所にまつわる情報はあまり公表されていなかった。研究所そのものが200年ほど前まで「暫定政府」として機能を続けていた為に、その支配力が物を言ったのだろう。研究所周辺に戦後根付いたコロニーでは復興の為活躍した技術者の子孫が「良家」として繁栄を続け、その結果研究所が現在の政府に実権を譲るまで遺した悪名は数知れない。その若干根腐れを起こした王国のような悪習に終止符を打ったのがダンクル氏だ。


そのダンクル氏こそが『箱』からの情報抽出を長らく邪魔していた『マザー』すらも抑え、より安定した発掘作業を実現した。と入所式当日に幹部らの挨拶でも聞かされている。本来ならこの男は大変な偉業を成し遂げた「偉い人」…



「18歳と聞いていたがいやはや、堂に入った風格じゃないか!主席で入ってきたというからにはまあ、実に優秀な男が来てくれて我々も大いに助かるというもの!」


「偉い人」は大きな腹を揺らしながら紙面書類を乱暴に引っ掻きまわしている。俺は応接用の古めかしいソファに座って乱戦が収まるのを待った。所長の巻き起こした風圧で幾枚かの書類が床に散って行く。以前に海戦に従軍した時に艦載機がしっちゃかめっちゃかに空で渋滞を起こす様を眺めた事があったが、ちょうどあんな感じだ。書類は軽量化の進み過ぎた艦載機のように舞い、母艦というよりホーミングミサイルのような貫録で所長がそれをかき集めた。

書類には顔写真を載せた個人情報も含まれていたようで、こんなにも乱雑に広げて良いものなんだろうかと幾分、なぜか俺の気が咎めて仕方がない。

凝った装飾が上品に輝くインテリアは海というより渓谷という方が相応しいかもしれないな、と当たり障りのない事を考えてみる。相変わらず所長は俺の背をばしばし叩きながら上機嫌で、学者というよりも居酒屋の常連のような粗っぽさだ。


「こちらこそ、お会いできて」

「いやはや結構!さあ座ってくれ。この2か月こっちでも君に関しては厳密な調査を行っておったが、いやはや!」


給仕ロボットが悠々と室内を巡回し、淹れたてのコーヒーをさっと注いで去っていく。最新式だろうか、風貌は人間そのものの華奢で上質なスキンを使った、如何にも「その手の客」向けといった美少女モデルの給仕だ。このようなところで働くにはいささか年恰好が幼すぎるように思われた。


俺は顔に不信感を出さぬよう努めながら居住まいを正し、改めて眼前一杯の桜模様に目を細めた。

やっぱり綺麗だ。妹にも見せてやりたい。

こんなにも見事に咲くスポットは見た事がない。


妹は今何をしているだろうかと気がかりで、思わず居住区に借りた住まいに思考が飛んだ。俺と一緒にシティの居住区で暮らしているものの、妹は最近具合が思わしくない。近々手術も控えているし、病院とのパイプが行き渡ったシティ、言うなれば帝国の首都であるシティであれば妹の容体も安定するだろう。


それにしても。シティの宙港に到着したその時はとても驚いたものである。俺達兄弟はこの発展した帝国の辺境で育ったので何もかもが鮮烈だった。旧時代より先人が『箱』という遺跡の保全、開発、発掘諸々をこなしつつ、人口増加と文明の安定に貢献し、実質人類の世界的本拠地となって発展した街。


あの日、大きくて壮大な風景を前に俺は1度に様々な感慨を抱き立ちすくんでしまった。

戦場や故郷、妹の病状。そういった物事とこの街の明るさはあまりにかけ離れていたのだ。




『異常ナシ』


まただ。


桜の花びらが視界に割り込んだらしい。美しい事に変わりはないが、あまりの量に網膜が埋め尽くされそうだ。


「それでだな、ターナー君、」


視界の端で所長がどかっと腰を下ろしたのを見て取り、俺は姿勢を正した。


「出来れば即日チームと合流して一通り検査を受けてもらいたいところなんだが」

「今からですか?」

「ああ。まあ出来ればの話だがな、無理にとは…だがこちらの準備はばっちりだから安心しなさい。君の事は皆一同に心より歓迎しておるよ」


所長は膝を打つような勢いで前屈みになってみせた。

何とも。

俺はそっと電脳内のメモを立ち上げるとぽつぽつとメモを取った。主に所長の服装や所持品に関して気になった事を箇条書きにしてストックに放り込む。

妙に全体がちぐはぐな印象を受けたのだ。嫌に引っかかる。そもそも『箱』専属研究チームの位置づけからして段々と不明瞭に遠ざかっていく気がしてならない。


『異常ナシ』


桜は容赦なく散り、半ドーム状の執務室を覆わんばかりに影をひた走らせた。


「僕も出来るだけ準備はしてきたつもりです。そちらが…」


途端、ざっと血の気が沸立つのを感じた。

所長の尻ポケットを網膜が捕捉する。ブザー音が轟いたのだ。出元は尻ポケットの膨らみか。どうやら正体は所長の使っている携帯端末のようである。

通常の着信音であればこれほどまでに持ち主が青ざめる事はないだろう。俺は非常時に染み付いた癖に則り、窓と所長の間に回り込んで所長に確認を促した。


「所長、警報ですか?」

「…おい、目と鼻の先じゃあないか…」


所長はみるみるうちに冷や汗を噴き出し、膝を笑わせた。

どうやら電脳と端末を同期させていたらしい。所長は画面を見ずとも分かるとでもいうように力任せにポケットに端末を押し込み、少々ぎこちなく間を置いてばっと俺を見上げた。


「いや!君には関係のない事だから気にしないでくれ、こっちの所用で…」

「所用?」

「ああ、そうだ所用!……いや、そういえばターナー君、」


所長の目がぎらりと油っぽく光った。がっちりと視線がかみ合う。

嫌な予感というより嫌な諦めを感じて俺は脱力した。胃の底が重く澱むようなどんよりとした諦観だった。


「そうだ、確かその目は」

「…はい、軍で規定されたクオリティの品番をそのまま使わせてもらっています」

「それは良い!」


何も良い事なんてないぞ。

思わず吐き捨てるところだったが全てを飲み込んで俺は所長を促した。

ぶるぶると震える手でダンクル氏は端末を引っ張り出し、すぐさま取り落とす。

俺の『目』は乱暴に振り落とされた端末を正確に追いかけた。


「早速だがその目で窓の外を調べてきてくれ。少々厄介な男が性懲りもなく忍びこんだようでな、君の安否にも関わるかもしれん」


所長は餌を見つけた小鳥のようにじたばたと首を巡らせて俺にすがった。あの巨体が嘘みたいに小さく縮こまる。

性懲りもなく?誰が。いったい何をしに。

俺は所長の端末を拾い上げた。『Emergency』のロゴが毒々しく踊り、目に焼き付いた。


「見える範囲だけで良いんだ。他は新式の警備システムが働いて何とかしてくれるはずだ。頼む、初仕事だと思って」


黙って端末を所長にお渡しする。緊急の用とあって端末はパスコードが無くとも開けるようだったが、ブザーに怯えいつまでも拾おうとしない所長の前であっても迂闊な真似はできない。仮にも研究所のトップなのだ、この男は。


そういえば、シティに来た当初は警備員の雇用もすすめられたのだった。俺も今まで頭脳労働者というより体力勝負で人生を切り開いてきたので、先方の言わんとしている事は分かった。しかし妹を苦しめる病に真っ向勝負を挑む為には研究員が打倒じゃないかと思っている。

正直、この『目』を機能させるのは戦場だけにしたいと何度思ったかは分からない。それでも妹を思えばそれこそ、初仕事は治療に向けた「第一関門」のはずだ。


「見える範囲、だけに留めて視認します。わけは後で聞かせてもらえませんか」

「ああ、いくらでも話す。システムに引っかかったあいつの位置情報は本当に目の前を指しているようでな、これでは」

「急を要する、という事は分かりました。その位置情報の詳細をこちらに送ってもらえますか?」


すぐさま俺の電脳に受信申請が届いた。


「所長、これは…?」

「パスワードは入れなくてもそのまま開けば閲覧できるからな!」


パブリックな回線、つまり公に開かれており広報にも使われるようなセキュリティの甘い回線からパッケージを落とし込まれたので思わず面食らってしまう。

ウイルスなどこの場で仕込むひまはないだろうが。位置情報と相まって庭園の詳細な見取り図までぶち込まれおり、あまりのずさんさに軽く眩暈がした。


「ターナー!」


所長はなりふり構わず新入所員をせっつく。ブザー音も未だ鳴り止まない。俺はドーム状のガラス壁を覆う桜達に挑んだ。


『異常ナシ』

『異常ナシ』

『異常ナシ』

『異常ナシ』


次々と花の一片が『目』に分析され弾かれ、網膜でめまぐるしく青いサインが明滅した。桜に罪はない。異常なんて物もない。

薄紅色の雨あられはいつまでも眺めていたくなる。俺は吸い込まれそうな錯覚に抗い地上を走査した。


罪はないが、今は少しくらい桜にも大人しく枝葉を収めて欲しいものだ。


今に花弁の1枚1枚を視認しそうになったその時、虹彩のぐっと収縮する感覚に手ごたえを感じた。

そこか。

針金のような黒い影がパノラマモードに整えた視界の真ん中で揺らいだ。



お前か?



滝のように咲き誇る桜の真ん中で、ほんの一部だけモノクロに加工したかのように黒い。そして白い。黒い手足の飛び出す長めの白衣。その白い装いがざっとはためいた。かと思えばパステルな色合いの桜がそのビビッドなモノクロに苛立つように吹きすさび、視界を遮った。




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貴方の夢はブラックボックス @Makosaburo

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