決着
――――なん、だ?
薄れゆく氷煙に紛れ、バウムの背後に【転移】したアルバは違和感を覚えた。
襲い来るはずの【転移】使用後の反動。消耗しきった今なら、それは想像を絶するほどの苦痛になる。それに耐える覚悟をして【転移】したはずだった。この場を切り抜けるため、何よりアイリを守るため。
しかし、いつもならすぐに来る反動が、来ない。
――これは、一体……?
その上、あるはずの魔力消費による倦怠感すらもなく、【転移】する前と身体の状態は変わっていなかった。もちろん、今までの戦闘により蓄積された疲労や反動から来る痛みが消えたわけではない。それでも、いつもと違う【転移】後の状況に、アルバは困惑した。
明らかに異常な事態が自分の身体に起きている。いよいよ【転移】のしすぎで身体か、はたまた頭がどうにかなってしまったのか、とすら思うアルバだったが、
「通用しないと、死なねばわからぬかッ!」
バウムの怒号で、思考を切り替える。
反動が来ないのならそれでいい。自分の身体がどうなっていようと、やるべきことは変わらないのだから。
右手で逆手に持った短剣を、アルバは固く握り締める。
叫んだバウムは残る氷煙までをも吹き飛ばすかの如く、地を踏み締め身体を回転させ、己の背後へと槍を薙ぎ払う。まるで、アルバがそこに現れるのを予測していたのかのような反応速度。
本来の速さが出せない今のアルバには、避けることが絶望的な速度で以て、槍が、迫る。
だが。
「――な、にッ!?」
バウムが初めて驚愕の声を上げる。振り切った槍、そこにアルバの姿は――ない。
それまでの圧倒的な優位によるものか、勝利を確信した故か大振りになった一撃。それは、すぐには体勢を戻すことができない硬直をバウムにもたらした。
そのわずかな、だが決定的な隙に。
――もらった……!
再度、バウムの背後に【転移】していたアルバが短剣を、首筋を狙い横薙ぎに
「チィィッッ!」
しかし。
完全に隙を突き、さらに死角からの攻撃だというのに、バウムは反応した。それでもさすがに攻撃を避けることができないと判断したのか、咄嗟に右腕で首筋が
――くっそ、今のに反応するのかよ!
結果、決定的だったはずのアルバの攻撃は右腕を深めに切り裂くに
「貴様……ッ!」
苦痛によるものか、それとも怒りによるものか、顔を歪め歯噛みするバウムが槍を引き戻し反撃の気配を見せる。
またあの苛烈な攻撃が来る。【転移】が使えるとはいえ、それを今の状態で凌ぐのは困難だ。ここは一旦距離を取るべきか、とアルバが思った刹那、左腕一本で槍を構えようとしていることに気が付いた。右腕はだらりと垂れていて槍に手を伸ばそうとしない。それを狙っていたわけではないが、どうやら右腕を潰せたらしい。
ならば今が好機、とこのまま攻め続けることにする。片手で槍を振るおうとすれば、両手で扱うよりもどうしたって威力も速度も落ちる。そこに付け入る隙が十分にありそうだったし、回復魔術を使える可能性も考慮すると、距離を取れば立て直す機会をみすみす与えてしまうことになる。
それに何より、今
「――ああぁぁぁっっ!!」
その恐れを振り払うかのように、熱が冷めてしまわぬように、アルバは気迫の声を上げ、バウムへと立ち向かう。
側面、背後、前面、と連続で【転移】して、前面に現れた瞬間切り上げた短剣は槍に弾かれる。手に伝わる衝撃は先程までと比べて軽くはあったが、このまま足を止めて打ち合える程ではない。
やはりこれしか手がない、とアルバはバウムが攻撃へと移る前にさらに【転移】した。
そのまま【転移】で攻め続けるものの、攻撃を繰り出す度に防がれた。
奇襲を決めきれなかったのが響いている。
連続での【転移】という手がある、と知られてしまった今、バウムは槍を大振りしなくなり、後隙がほとんどなくなった。槍を振らせてその隙を突こうにも、次の攻撃へ移る時にはもう槍を戻している。
バウムもバウムでこちらの狙いがわかっているのだろう、防御に専念しているのではと思えるほど攻撃の回数が減った。片腕が使えないのもそうさせている要因かもしれない。
戦いは長期戦の様相を呈してきていた。
いつまでもこのまま無反動で【転移】が使えるわけがない、早く決めなければ――アルバはそう思うのだが、しかし手は思い浮かばない。
「おのれ、ちょこまかとッ――」
進展のない攻防に苛立ったのか、歯茎が見えるほど強くバウムが歯噛みする。
その外套の右半身は既に血に染まり変色していた。
「――よもやこれを使う羽目になるとはなァッ!」
忌々し気に言葉を吐き出したバウムは、連続【転移】の末、側面から攻撃を加えようとしていたアルバに即座に反応し槍を突き出す。その槍はさらなる【転移】で姿を消したアルバには届かなかったが、元々そうさせるのが狙いだったのだろう、姿が消えたと同時――否、消えるよりも早く、バウムが後方へと大きく跳んだ。
バウムがいた位置、跳躍しなければその背後を取っていた空間へと転移したアルバとの距離が開く。アルバは急いで距離を詰めようとするが、すぐには【転移】は発動できない。連続で発動できるとはいっても、その硬直は無ではない。それに先程までの近距離ならまだともかく、今のように距離があれば発動までの時間もかかってしまう。
そのわずかに訪れた空白の間に。
いいのか、とバウムが言葉を静かに放った。
何がだ、とアルバが聞き返そうとするよりも早く、バウムは口の端を歪め、首を動かし――アルバを悪寒が襲った。
バウムの首を向けたその視線の先、そこにはリノンが
「――女ががら空きだぞ」
「なっ――リノン!」
「……え?」
狙いに気が付いたアルバがリノンの位置へと【転移】をする為に当たりを付ける。その間にバウムが高く跳躍し、槍を
――間に合え!
槍が届くよりも早く、間一髪、リノンの目前へと【転移】したアルバは、とにかく叩き落とさねばと目前に迫っていた槍へと短剣を合わせる。
金属が打ち合う音が盛大に鳴り響いた。
手にもたらされた尋常ではない痺れが、その投槍の威力を物語っていた。
槍があらぬ方向へと飛んでいくのと同時に、衝撃に耐えきれなかった手から短剣が
アイリに一本預けている今、武器はあれだけだ。アルバは慌てて短剣を拾おうと視線を巡らし、飛んだ先を探そうとして――
バウムが何かを掴むようにゆらりと中空へと左手を伸ばすのを、視界の端で捉えた。
「――っ! させるか!」
嫌な予感がする。止めなければ。
何をするつもりなのかはわからないが、己の武器を投げ、気を逸らす囮に使ってまでしようとしていることが、ろくなことではないのは明白だった。
しかし、止めようにも武器がない。悠長に短剣を探して拾っている時間はなさそうだ。かと言って素手での戦闘に自信はない。
どうするのが最善か――アルバが考え込んで動きが止まってしまったその刹那。
バウムは中空に差し出した手を、何かを握り潰すかのように固く閉じた。
「主よ! 汝の信徒を我に貸し与え
静かな雪原に、重く低く厳かに、バウムの声が轟いた、その直後。
何かが砕ける甲高い音が、アルバの後方――遺跡の入口付近から聞こえ、それに続いて、
「――きゃっ! え、セ、セリ、ア……? どうしたの……?」
小さな悲鳴、そして困惑したようなアイリの声が耳に届いた。
思わず振り返ったアルバは――
遺跡の入口、その前には、尻餅をついたアイリと、傍らに
そのセリアの様子がどこかおかしい、とアルバが訝しんでいると、セリアがその手に持っていた大剣をゆっくりと高く掲げ――
――迷わず【転移】を発動した。
アイリとセリアの間に割って入るようにアルバが【転移】した時にはもう、大剣が迫っていた。
投槍を防いだ時と似た状況。
しかし今度は武器がない。あったとしても、そもそも短剣でセリアの大剣を弾くことなどできない。
だから、今この状況で、自分ができること、それは。
その身で、アイリの盾となることだけだった。
助けた少女が俺をおじさんと呼んでくるんだが。 高月麻澄 @takatsuki-masumi
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