克服

「――え?」


 重厚な音が、張り詰めた空気の中に響く。

 それは幾度となく聞いた、遺跡の扉が開く音。

 

 今この状況で聞こえるはずがないそれに、アルバは気を取られて目をやってしまう。

 そこに見たのは、扉から飛び出すアイリと、大剣を手に呆然とした表情でたたずむセリアだった。


 ――どうしてアイリが今ここに。

 ――どうしてセリアが一緒にいるのか。

 ――どうしてセリアの手に武器が握られているのか。

 ――まさか……――


 アルバの頭の中が疑問で埋め尽くされる。様々な憶測が浮かんで、思考が割かれる。身体の動きが一瞬、止まってしまう。


 その致命的な隙を見逃してくれる程、相対しているバウムは甘くはなかった。

 

「――アルバッ!!」


 絶叫にも聞こえるリノンの声で、アルバは我に返った。

 その手の得物の如き鋭い殺気が肌に突き刺さり、意識をバウムに戻す。しかし、既に槍の穂先は心臓を貫かんと、寸前にまで迫っていた。


 回避も、受け流しも、もはや間に合いそうになかった。 


 数瞬後に確定してしまっている串刺しにされるという絶望的な未来。リノンの詠唱が聞こえるものの、魔術の発動よりも槍がこの胸に届く方が速いのは確実だった。この状況をどうにかできるとすれば、今まで自分を支えてきた魔法――【転移】のみ。


 どこでもいい。とにかく跳ばなければ。と、場所の当たりすらつけないまま、アルバは【転移】を無理矢理に発動させる。


「……チッ、逃したか」


 忌々しげなバウムの舌打ちが聞こえ、間一髪、槍から逃れたことをアルバは知る。

 しかしその直後、強引に発動した代償がアルバを襲った。自身の限界である三回目の【転移】だということも原因だろう、耐え難い程の苦痛に膝が崩れ落ちる。頭痛。耳鳴り。視野狭窄。意識が、遠くなる。

 

「――おじ、さん……?」


 薄れゆく意識の中で、しかし、その声だけははっきりとアルバの耳に届いた。どうにか顔を上げると、狭くなりぼやける視界に、自分をおじさんと呼ぶ少女――アイリが映った。扉から飛び出してきた映像が頭に残っていたためか、無意識の内にアイリの近くへと【転移】していたようだった。

 守ると誓った少女の姿。その姿が、ぼやけているからだろうか、記憶の中の別の少女――幼馴染の姿と重なって見えた。驚きで、アルバは息を呑む。

 幼馴染はアイリのように、感情表現が豊かで、よく笑い、そして明るく元気な女の子だった。その幼馴染に自分は、恋と言うにはまだまだ遠い、淡い好意を抱いていた。これからも一緒に過ごしていけるのだと、幼い自分は信じていた――が来るまでは。

 あの時、自分は幼馴染を守れなかった。そして今また、今度はアイリを守れなくなりかけている。


 その事実にハッ、とした。


 の姿を見たアルバは、頬の内側を思い切り噛み、痛みで意識を繋ぎ止める。


 ――そうだ、まだ、


 目の焦点が合い、自分を覗き込む少女の顔がはっきりと映る。心配そうな色がありありと浮かんでいる表情の少女は、やはり幼馴染ではなく、アイリだった。


 ――倒れるわけにはいかない。


 バウムを打倒しなければ、アイリが連れ去られてしまう。その事実が、アルバにもう一度立ち上がる気力を奮い起こさせた。

 歯が砕けそうなほど食い縛り、立ち上がる。泳ぎそうになる体をどうにか堪えた。アイリの前で無様な姿は見せたくなかった。

 乱れた息を整える。息が整ってくると次第に耳鳴りが収まり、それと共に何かが砕ける音が聞こえてくる。一度ではない。その音は連続し、鳴り止む気配すらない。

 音が聞こえる方へと目をやると、もうもうと氷煙が立ち込めていた。そこへ向かって上空から無数の氷の矢が降り注いでいる。リノンの魔術だ。どれだけの魔力を注ぎ込んでいるのか、氷の矢は途切れることがない。

 先程も防がれていたことから、砕ける音は矢が叩き落とされている音なのだろう。つまり、バウムはまだ健在ということだった。

 もちろん、リノンも一度防がれている魔術で倒せるとは思っていないだろう。にもかかわらず、氷の雨は降り止まない。

 

 つまり、あれは時間稼ぎ。

 自分を守ってくれているのだ、とアルバは理解した。

 リノンの魔力量は自分なんかよりも遥かに多い。けれど、無尽蔵というわけではない。いつか切れる時が来る。そうなる前に戦線へと復帰しなければ、リノンが殺される。


 ――行かないと。 


 幾分ましになったものの、それでもまだ重い身体を引きるように動かし、アルバは戦いに戻ろうとする。

 しかし、その弱々しい足取りが不意に止まった。自分の服の裾が引っ張られている。それに気付いたアルバが振り向くと、そこには泣く寸前一歩前の顔をしたアイリがいた。その目には大粒の涙が浮かんでいる。


「――おじ、さん……いっちゃ、だめ……」


 泣くのを必死に我慢しているような震える声のアイリに、向き直ったアルバはふっ、と優しく微笑みかけると、短剣を鞘に納め空にした手をその頭に置いた。


「……ったく、どうして出てきたんだよ」

「かみかざり……なくして……」


 怒られると思ったのだろう、言葉尻がすぼんでいくアイリの手の中には、いつの日か買い与えた、花を模した銅の髪飾りがあった。

 それを見て、アルバの心の中が温かくなる。

 

「そうか、見つかってよかったな……ほら、もう中に戻れ」


 促してみるものの、アイリは動こうとしない。それどころか、裾を掴む手の力がより一層強くなった。行かせまいと主張するかのように、アイリはアルバにすがり付く。


「だめ……おじさん……すごく、つらそう……」

「……大丈夫だって。約束したろ? お前を守るって」

「でも――んぅ……」


 渋るアイリを髪が乱れる程乱暴に撫でると、アルバは腰に提げた短剣を一振り、アイリへと差し出した。髪をぐしゃぐしゃにされて不服そうな表情をしていたアイリは、その短剣を不思議そうに見つめる。


「安心しろ、俺はくたばらない。言葉だけで信用できないって言うなら、これをお前に預けておく。後でちゃんと返してもらうからな、失くすなよ」

「……やくそく?」

「――あぁ、約束だ」

「……わかった」


 おずおずと短剣を手に取ったアイリは、ようやくアルバから身体を離した。と思いきや、髪飾りを持った方の手を前に出し、小指を突き出してくる。

 その小指の意図がわからずアルバは困惑する。何かを求められているようだが、それがわからない。首を傾げていると、アイリは得意気な顔をして言う。


「やくそくするときは、ゆびきりするんだよって、エレにおしえてもらった」

 

 だからゆびきり、とアイリは催促するように、ん、と小指をさらに近付けてくる。

 アイリの真似をしてアルバが小指を突き出してみると、アイリは嬉しそうに小指同士を絡めてそのまま手を上下に振った。どうやらこれが『ゆびきり』らしい。

『ゆびきり』をし終えたアイリは、その胸に髪飾りと短剣を大事そうに抱え、満足そうに笑った。

 その笑顔が、先程のように幼馴染の笑顔と重なって見えて、アルバは胸が詰まった。もちろん、顔は似ていない。しかし、ころころと変わる表情、晴れやかな笑顔、自分を心配してくれるところなんかそっくりで、アイリの中に幼馴染を見てしまったのはきっと偶然ではなかった。


 この子を守らなければ、とアルバは強く想う。


「おじさん、やくそくだよ」

「――あぁ、約束だ」


 最後にもう一度だけ、アイリの頭を撫でたアルバは、顔だけを未だ遺跡の入口に佇むセリアへ向けて、


「セリア!」


 そう呼びかけると、それまで呆然としていたセリアが我に返ったかのように驚いた表情をして、アルバと視線を合わせた。


「アイリを頼む」

「わっ、わかったっ」


 戦闘している相手が己の兄だということに動揺しているのか、裏返った声で、それでもセリアはアルバに頷いた。

 ひとまずセリアが裏切ったわけではないことがわかり、アルバは安堵する。


 ――よし。


 アイリに背を向け、戦況を確認する。リノンもそろそろ限界なのだろう、氷の矢の数が目に見えて減っていた。そのせいか、もうもうとしていた氷煙が薄くなっていて、その中にうっすらとバウムの姿が見て取れた。

 

 目を閉じて、一度大きく深呼吸する。【転移】の度重なる使用の反動で、身体は依然重たいが、それに反して心は軽やかだった。アイリと話して今やるべきことがはっきりしたからだろうか、先程までバウムと相対していた時に心に射していた影は既にない。


 アイリを守る。

 その為には。


 ――やるしかない。


 アルバは覚悟を決めた。

 自分の現状では、バウムとまともにやり合えない。今までのように、短剣で槍を受け流すことも、素早い身のこなしで回避することもできない。

 自分がバウムを打倒しうる――アイリを守る手段があるとすれば、それはもはや【転移】のみ。幼馴染の死によって得た、自分の唯一の魔法

 幼馴染を守れなかったあの時とは違い、今の自分にはこの魔法がある。この魔法があれば、きっと今度は守ることができる。


 ――あ、そういうことか……。


 と、アルバはそこで不意に気が付いた。


 今まで自分は、幼馴染を守れなかったことへの後悔で、魔法が使えるようになったのだと思っていた。

 でもきっとそれは違う。

 この魔法は、幼馴染がくれたもの。

 次は誰かを守れるように。

 だって、記憶の中の幼馴染――ユーナは、自分のことよりも他人のことを真っ先に心配するような、心優しい女の子だったから。


 アイリがそれを気付かせてくれた。


 だから。


 ――見ててくれ、ユーナ。俺は今度こそ、守って間に合ってみせる。


 目を開けると、ついに氷の雨が降り止むところだった。


 その瞬間、アルバは右手に短剣を構え――【転移】を発動させた。

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