カタリィ・ノヴェルは今日も走る

静嶺 伊寿実

カタリィの敵は少女の敵

 カタリィ・ノヴェルは走っていた。

 朝の通勤通学で賑わう駅前、カタリィは人混みを避けて逃げている。

 カタリィは人間には見えない。

 羽がついた帽子、季節感の無い薄手のシャツに羊皮紙が飛び出している青いカバンは、明らかに花冷えの時期には浮いている。しかし人間相手に服装は問題無い。

 困るのはカタリィを認識できる存在が相手の時だ。敵もカタリィを見つけやすいのか、しっかりと後ろを追って来る。

 一緒にいるフクロウのような「トリさん」がカタリィに叫ぶ。

「カタリィ! もっと速く走れ!」

「お前はいいよなっ、いつも飛んでるだけでっ!」

 カタリィはトリさんに大声で返した。

「おい、飛ぶのも大変なんだぞ。いいか、鳥は胸筋が発達し翼を強く大きく動かせて、そして羽が……」

 トリさんがいつもの語りを始めてしまった。カタリィは耳をふさいで、走ることに専念する。

 バスから降りてくる人々の間を左右にしゅるっと抜け、「なによりも体重が」と語り続けているトリさんにカタリィは声を限りに叫んで聞いた。

「おい、はなんなんだ!!」


 カタリィは追って来る、黒い影をした。黒い影は二体とも人の形をしていたが、ゆらゆらと輪郭を不定形に変えながら腕を伸ばして、カタリィを捕まえようと迫ってくる。

「知らないで逃げてたのか?」

「お前が逃げろって言うから、僕は走ってんだぞ」

と言い返していると、大型トラックや乗用車がびゅんびゅん行き交う交差点に差し掛かって、カタリィは急いで方向転換して公園へ滑り込んだ。

「あれはな、カタリィ。邪話ジャヴァだ」

「ジャヴァ?」

邪話ジャヴァは人の心にある物語の邪魔をする者。そう定義されている」

「どういうことだよ」

 カタリィはジャングルジムの脇を駆け抜けて小さな階段を上がり、赤煉瓦あかれんがタイルの歩道に出て、手を着きながら急カーブで右に曲がる。その間も耳はトリさんにかたむけていた。

「人は心に誰しも物語を持っている。そして心の物語が具現化した時、物語は人の心を救う。だが邪話ジャヴァは、心の物語をむしばみ、破綻させ、忘却させ、諦観ていかん断念させ、やがて絶望させる」

 高速道路の高架下や地下鉄の出口を脇目に、自転車や歩行者が行き交う歩道をひたすら走る。

邪話ジャヴァは誰の心にもいる。持ってないのは、そうだな、小さな男の子とか女の子とか、とにかく幼児くらいじゃないか」

 カタリィはそれを聞いて、少し足を動かすのがおそろかになった。


――この歩道にいる人たちの心にも、この化け物はいるのか。


 もしかしたら、ここにいる人たちのから化け物が出てきて襲って来るかもしれない、とカタリィは考えてしまい、ひるんだ。

「おい、馬鹿! 止まるな! あいつらはお前にとって天敵だ! 捕まったらお前が消える!!」

 気付いた時には真後ろに邪話ジャヴァがいた。やばい。だが一度止まった足をもう一度動かすには時間が無かった。

 カタリィは最後の最後、羊皮紙と本が詰まったカバンを邪話ジャヴァに向かって振り回した。

 邪話ジャヴァの黒い腕がカタリィに伸びる。

 もう駄目だ。

 だが黒い腕がカタリィに触れることは無かった。カバンから飛び出た本が邪話ジャヴァの腕に当たった瞬間、邪話ジャヴァの腕が


――なんだ? もしかして、この


 持ち主が見つからず持っていた小説に、まさかこのような力があるなんて。カタリィは敵に向き直った。目には逃げも怯えも無い。覚悟を持った瞳に光が宿る。

 体制を崩した邪話ジャヴァ好機チャンスを見た。カタリィは小説が書かれた羊皮紙を剣のようにして持つ。

 もう逃げない。

 一体はよろけている。もう一体は走ってこっちへ迫っている。手には武器。ならばやることは一つ。

 倒す。


 カタリィは手前にいるよろけた邪話ジャヴァの胴体に、両腕を振り絞って紙の一太刀を浴びせた。敵はに斬られて真っ二つになり、はらはらと砂のように消える。

 カタリィは続けざまに、奥にいる邪話ジャヴァへ走って行った。トリさんがなにか止めるようなことを言った気もするが、お構いなしにを大きく振りかぶった。

 邪話ジャヴァの腕がカタリィの鼻をかすめるかという間合いで、カタリィの一線が邪話ジャヴァを縦に割った。

 邪話ジャヴァの黒い身体は小さく離散し、カタリィの周りで砂粒のような光となった。

 倒せた。

 カタリィは安堵と走り疲れで、その話にへたりと座り込んだ。


「で、結局なんであんな化け物が出てきたんだよ」

 カタリィは桜並木の歩道をゆっくりと歩きながら、トリさんに尋ねた。

「お前、『詠目ヨメ』で人の心から小説を出そうとしたよな。邪話ジャヴァは物語に付いてくる、副作用みたいなもんだ。邪話ジャヴァの大きさは様々だが、あれだけデカイとなると、お前が出そうとした物語を持っている人間は、余程その物語に絶望してるんだろうぜ」

「一度絶望しちゃうと、物語はもう詠目ヨメでも小説化できないのか?」

 桜をでながら歩く人々にカタリィたちの会話は聞こえない。

「普通はそうなんだが、お前あの邪話ジャヴァを倒せたよな? ならできるかもしれないぜ」

 トリさんはカタリィの前に回って、羽ばたきながら器用に後進する。

「かもしれない?」

「これまで大きくなった邪話ジャヴァを倒せた奴なんていなかったからな。でも気をつけろ。二体も倒したとは言え、あの物語の持ち主はまだ邪話ジャヴァを無意識に育ててるかもしれない」

「そうか。まだこの辺にいないかな」

「この辺って。駅前で見かけて闇雲に走ってここまで来たんだから、この辺も何もないだろ。相変わらず方向音痴なんだよな。大体な……」

「あ、いた!」

 カタリィは角を曲がっていく少女を発見した。朝、駅前で見かけた女の子だ。紺色の制服に赤いリボンをつけて、うつむき加減に歩いている。長い前髪で桜も道も見えていないんじゃないか、とカタリィは思った。

 でも、もう一度あの物語が見たい! カタリィは思いがままに植木や花壇を飛び越えて、走っていった。トリさんがふいを突かれて方向転換に失敗し、風に煽られて地面に落ちて行くことなんかに全く気付いていない。


 カタリィは自慢の脚力で女の子に追いついた。少女は小さめの身長に大きなリュックを背負って、肩にかからないくらいの黒髪はうつむいているせいで周りから顔が見えないまま、すぐそこの学校へ歩んでいる。

 カタリィは少女の後ろに立つと、手でシャッターを切るような恰好をして、左目だけで少女に焦点を合わせる。

 すると、淡い桃色の表紙の本が少女の胸にぽわぁと浮かんできた。もう少しで物語が小説として具現化される、とカタリィが期待した。

 その時、後ろで男子学生の声がした。その言葉にびくっと反応して少女が振り返る。本はまだ具現化していない。

「おう、沖野おきの、おはよう」

「おはよう」

 沖野と呼ばれた長身の男子学生は挨拶を返し、爽やかに友達と喋っている。その様子を少女が見ていると、桃色の本からどんどん黒い影が現れ始めた。本は逆にどんどん薄れて消えていってしまう。

「カタリィ! 影を蹴散らせ! 今のお前なら本を手に出来る!」

 後ろからトリさんの声がした。カタリィは右目を閉じたまま、左手で羊皮紙を構える。

 黒い影が形をして、大きな顔になった。口だけが空洞で笑っているように裂けている。

 カタリィはの身体が出来上がる前に、思いっきり羊皮紙を突き刺してやった。

 影が霧散むさんした瞬間、具現化した桃色の本を右手で取り上げた。

 やっと手にできた。これでこの物語は必要としている人に渡せる。

 カタリィは綺麗な桃色の表紙に目を落とす。『Myself』と金色の文字が書かれていた。

「変わったタイトルだな。どういう意味だ」

 トリさんが本を覗き込んで呟いた。カタリィにはなんとなく分かっていた。だから読まずに渡すことにした。

 少女自身に。


 少女の携帯電話スマートフォンがバイブレーションで通知を告げた。画面を見ると、登録している小説サイトに新着の小説が上がったらしい。学校へ行く足と止めて、他の登校人の邪魔にならないように道の脇に入る。

 少女は作者名が表示されないのを不思議に思いながら、『Myself』というタイトルの小説を開いた。

 短い小説だった。「好きな男子学生がいるけれど、自分に自信が無くていつも遠巻きに見ることしかできない。好きな男子学生は背が高くて、いつも友達に囲まれて、誰かを傷付けるようなことは絶対に言わない。好きなのに好きと言えない自分。そんな自分を変えたくて、主人公の女の子は前髪を短く切った。すると世界がちょっとだけ変わった気がして、話しかけてくれる人も増えた。そんな中に好きな男子学生もいた。主人公は思い切って告白をしてみる。すると男子学生も以前から気になっていた、と返事をして二人は桜が満開の中、手を繋いで歩く」、そんな内容だった。

 少女は読み終わって、自分の前髪を触った。長い。人目ひとめけたい心が表れたこの長さが、私から人を遠ざけていたのかな。

 少女は持っていたヘアピンで、思いっきり前髪を上げ、おでこを出した。

 視界には満開の桜並木。すぐそこに好きな男の子、沖野君がいる。少女は沖野との距離が気になって、通学路に出た。学校とは背を向けて立つ少女は、登校する生徒たちと正面から向かい合う恰好となったが、少女を笑う人はいなかった。

 沖野はいつの間にか一人で歩いていた。男友達はどこか別のところに行ったらしい。

 少女は自分を奮い立たせた。

「沖野君! ずっと気になってました。好きです」

 周りの生徒なんか気にならなかった。沖野の反応だけに全神経が集中していた。

 沖野は驚くあまり、足を止めることも忘れて、思わず少女と至近距離になった。近くで見つめ合う二人は、目を逸らさなかった。

立花たちばなさん、前髪上げると可愛いね」

「あ……ありがとう」

「俺も好きだったんだ」

「はい!」

 二人は桜並木を並んで歩いた。


「ねえ、トリさん。小説は人の心を救うって、きっとこういうことなんだね」

 カタリィは楽しそうに笑って話す少女の横顔を見て、嬉しくなった。

「そうだな。じゃあ行くか」

 トリさんがカタリィの肩から羽ばたく。

 カタリィはスキップしながら、人混みの中へ消えて行った。

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カタリィ・ノヴェルは今日も走る 静嶺 伊寿実 @shizumine_izumi

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