物語を届ける郵便屋さん

葵月詞菜

第1話 物語を届ける郵便屋さん

 地下書庫の通路はいつ来ても薄暗い。最小限の灯りしかないため、慣れていない者は数歩もいかないうちに躓くだろう。


「っ!」


 だいぶ慣れたと思っていたのに躓いた。滝谷弥鷹たきや みたかは近くにあった棚に手をついて体勢を立て直した。

 周りに誰かいる気配はなかったが、つい見渡してしまう。


「大丈夫ですか?」

「!」


 声をかけられて驚く。耳慣れないその声に、羞恥よりも恐怖で体が強張るのを感じた。

 この地下書庫を任されている少年・サクラに言われた言葉が頭を過ぎったためだ。

 

『ここでもし他の利用者を見かけたら、そっとその場を離れて。間違っても、絶対会話しちゃダメだよ。たとえ話しかけられても』


 ここを利用する者はただの『人』とは限らないらしい。前に弥鷹は、うさぎの仮面をつけた黒い影に遭遇したことがあった。

 と言ってもそう頻繁に地下書庫を利用する者はおらず、ここ最近は全く他の利用者の姿を見ていない。

 弥鷹は振り向かずに立ち去るべきか、一目だけでも見て何も話さずに立ち去るべきか迷った。


「何そんなにビビってんの? 君」

「うわっ」


 先程とはまた違う砕けた口調が真横から聞こえて思わず振り向くと、そこには明るい髪と青い目をした少年が立っていた。見たところ、普通の人間に見える。


「あなたは確かサクラ君の御友人ですよね」


 少年の後ろからすっと青年が現れる。一番初めに弥鷹に「大丈夫ですか?」と尋ねた声だ。

 弥鷹はその姿に「あ」と声を漏らした。彼には以前会ったことがある。


「あの時の……! 幸運を運ぶフクロウの『福郎さん』!」

「おや、覚えていて下さったんですね。あの後何か良いことはありましたか?」


 彼の正体は梟で、しかも出会った者には幸運が訪れると言う。


「高校のミニテストの結果が良かったです。あと、サクラがおやつにプリンを出してくれました」

「ははは。それは良かったです」


 弥鷹の小さな幸せ報告を聞いて福郎は頬を緩ませた。


「ところで今日、サクラ君はいますか? お客さんを連れてきたのですが」

「いると思いますけど」


 福郎と一緒にいる少年が客人なのだろう。弥鷹は二人と一緒に、サクラがいつも入り浸っている作業部屋に向かった。



 ノックをしつつ扉を開けると、いつものようにデスクチェアの上でふんぞり返った小学生の姿があった。


「あー、弥鷹君お帰りー。あれ? 珍しいお客さんもいるね」


 サクラは弥鷹の後ろにいる二人に気付くと、だらけ切った態度と口調を改め、イスから立ち上がって出迎えた。


「福郎さん、いらっしゃい。この前はありがとう。おかげで運が戻って来たよ」

「サクラ君にも良いことがあったなら良かったです」

「それで、そちらは?」

「ああ、こちらは――」

「カタリィ・ノヴェル――カタリで良いよ。ちなみに座右の銘は『読めばわかるさ!』」


 ずっと黙っていたカタリという少年がぴょこっと前に出た。斜めにかけたバッグが揺れる。バッグの端から、巻かれた紙のようなものが飛び出しているのが見えた。

 サクラは無邪気な笑みを浮かべてカタリをじっと見上げた。


「初めましてカタリ君。僕はサクラ。座右の銘は『楽しいことに無駄はない』かな。――で、僕に何か用事があるの?」

「仕事でちょっと確認させてもらいたいことがあって」

「確認?」


 不思議そうに小首を傾げるサクラは小動物のかわいさがある。カタリが頬を緩ませながらサクラと目線を合わせるように屈んだ。


「僕の仕事は、人々の心の中に封印されている物語を見通し、一篇の小説にして、その物語を必要としている人のもとに届けることなんだ」

「作家ってこと?」

「うーん、似たようなもんかなあ?」


 むしろ作家兼郵便屋では? と二人の会話を聞きながら弥鷹は思った。

(あ、じゃああのバッグには誰かの物語が入ってるのか?)

 あのバッグを見ていると余計に郵便配達員に見えてきてしまう。


「でも、何で僕に確認?」

「ここに来る前に、とある人から物語を預かってきたんだ。でもそれは君とも関わってくるから、配達する前に確認したいと思って」

「……『とある人』を訊いても良い?」

咲来さくら君だよ――君の半身の。あれ、記憶同期してなかった?」

「!」


 サクラの目が見開かれる。弥鷹も『咲来』という名前にはっとして身を乗り出していた。


「咲来って前に本の中で俺を助けてくれたやつか?」


 弥鷹を見たサクラは微かに頷き返し、しかしそれ以上は何も言わずにカタリを見た。


「さっき聞いた君の仕事内容からすると、つまり『咲来』の心の中にあった物語を小説にしたってこと?」

「そうだね。でもほんの一部だよ。彼の心の中は複雑すぎて、今の僕には全てを見通すことはできなかった。彼の中に一番強くある物語を預かるので精一杯だった」

「……だろうね」


 サクラはそれを聞いて少しだけ安堵の表情を見せた。


「僕からももう一つだけ確認させて。それは咲来が望んで君に託したんだよね?」

「あったり前だろ。僕は嫌がる人の心の中を無理矢理覗いて暴いたりしないよ」


 カタリは真面目な声で言って胸を張る。そこには彼の誇りが感じられた。

 それを聞いたサクラは頷き、カタリの前に両手を広げた。


「じゃあ君の確認とやらをどうぞ。質問でも何でも答えられる範囲で答えるよ」

「ああ、質問とかはしないから。ちょっとじっとしてて」


 きょとんとするサクラを前に、カタリは右目を瞑った。左目でサクラをじっと見つめる。

 暫くして、彼は左目も閉じた。


「……うん、記憶も感情も一致してるね。問題はなさそうだ」


 今のでカタリが一体何を確認したのか弥鷹にはさっぱり分からなかった。サクラも同じようで、相変わらずきょとんとした顔でカタリを見返していた。

 再び目を開けたカタリは、今まで話していたサクラから弥鷹へと視線を移した。


「それじゃあ、改めて配達業務を。――君、滝谷弥鷹君だよね」

「え? そう、ですけど」


 いきなり話しかけられて驚く弥鷹の前にカタリが立つ。

 彼はバッグの中から一冊の本を取り出した。パラパラとページを捲り、該当するページを見つけると開いたまま弥鷹を見上げた。


「咲来君――いや、そこのサクラ君も含めた二人の心の中の物語を、君へ届けよう」

「はい?」


 カタリは微笑むと、弥鷹の右手を取ってページの上にかざした。

 途端にページが光を放ちはじめ、その眩しさに弥鷹は目を瞑った。



***

 

 ……ういいかーい? ……いいよー!


 微かに声が聞こえる。この甲高い声は子どもの声だろうか。

 弥鷹は瞼の裏に残る光の残像を振り切るように目を開いた。

 視界に映ったのは、どこか懐かしい公園の風景だった。ブランコにすべり台、鉄棒に砂場とよくある遊具が点在している。小学生の頃、毎日のように遊んでいた場所だ。


『もういいかーい?』

『もういいよー!』


 今度は子どもたちの声がちゃんと聞こえて、それが『かくれんぼ』の掛け声だと気付く。

 声のする方に首を巡らせると、大きな木の下に鬼の子どもがいて、公園のあちこちに他の子どもたちが隠れているのが分かった。

(懐かしいなあ)

 今から考えると、『もう良いよー』と声を出して応えている時点ですぐに見つかりそうなものだが、あの頃はただ、隠れる・探す・見つかる、が面白かったのだと思う。

 弥鷹はぼんやりと子どもたちのかくれんぼの様子を見ていた。不思議なことに、子どもたちは弥鷹の側を通っても誰も何も反応しなかった。まるで透明人間にでもなった気分だ。

 やがて、子どもたちは全員が見つかったらしく、次の遊びの相談を始めた。

 だが、その中でまだ一人だけ、周りを見渡しながら歩き回っている少年がいた。

(あれは……)

 弥鷹は目を凝らして、その少年の正体に目を見開いた。

 それは、小学生の弥鷹自身だった。

 少年はきょろきょろとしていた視線をふいに一点に留め、公園の端の方にある草叢をかき分けた。

 

「見つけた」

「!」


 そこにいた男の子が顔を上げる。大きく見開いた目が真っ直ぐに少年の方に向けられていた。


「……弥鷹君、何でいつも僕の隠れてるとこが分かるの?」

「さあ? ……勘?」


 小学生の弥鷹があっけらかんと笑って男の子に手を伸ばす。

 ――『咲来』が、嬉しそうに破顔してその手を握り返した。


(ああ、そうか。そうだ、そうだった)

 弥鷹の頭の中で記憶の蓋が開く。

 なぜ自分は彼のことを忘れていたのだろう。



***


 目を覚ますと、少し汚れた白い天井が見えた。

 弥鷹が横たわっていたソファーから身を起こすと、デスクチェアにはいつものようにサクラが膝を抱えて座っていた。

 部屋の中には他に誰もおらず、福郎もカタリももう立ち去ってしまったらしい。

 弥鷹は一体どれくらい横になっていたのだろうか。


「サクラ」

「ああ、おはよう、弥鷹君」


 サクラは弥鷹に向かって微笑み返した。その姿は、まさに先程見た小学生の『咲来』だった。


「お前は……あの咲来なのか?」

「本人ではないよ。僕は咲来の複製コピーだから」

「コピー?」

「でも記憶は共有してる。だから弥鷹君のことも昔から知ってる――あの『かくれんぼ』の物語もね」


 サクラはすでに弥鷹が見た物語の内容を知っているようだった。


「かつて弥鷹君のクラスメイトだった咲来は今ここにはいない。ちょっとその辺は複雑だから簡単に説明はできないけど」

「じゃあ前に本の中で会ったのは……」

「あれは本物。咲来は本の中を移動してるんだ。会える確率はすごく低いのに、弥鷹君は本当にすごいよね。『かくれんぼ』と同じだ」


 サクラが泣きそうな、でも嬉しそうな顔で微笑む。


「咲来は気配を消して隠れられる特質を持ってる。鬼に見つけてもらえないのもそのせい。でも、弥鷹君は見つけちゃうんだ」


 思い出した記憶の中で、他の子が探すのを諦めてしまう中、弥鷹だけはいつも咲来を見つけることができた。不思議なことに。


「君ならまた咲来を見つけられると思う。だから」


 サクラが傍にやってきて、弥鷹の右手を握った。


「これからも僕と咲来をよろしく、弥鷹君」


 弥鷹は答えるよりも先に彼の手を強く握り返した。

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物語を届ける郵便屋さん 葵月詞菜 @kotosa3

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