後――おとなたちのかはたれ

 目覚ましが鳴るまであと五時間と五分、枕元の端末を手に取ってため息をつく。

 眠れないの?

 そう言ってもぐりこんできたヨシヒコのおなかにお尻を押しつけるようににじり寄る。うん、とうなずく頭のしたを手がくぐる。ふわりと肩から腹に腕がまわって、長い脛がわたしのそれを挟む。おたがいにそうやって少しもぞもぞして据わりがよくなってから目をとじた。あたたかい。ほっと呼吸が楽になったところでパジャマ越しに嵩をましたものが尻を押し上げた。

 手でする? 

 いや、眠たいんでしょ?

 うん

 もうすぐ四十になるヨシヒコのものは擦りあげなければそのままおとなしくなる。付き合いはじめたころなら、いいかなと湿った声で聞いてから、のっそりと覆いかぶさってきた。でも後ろからしたことは一度もない。彼以外の男をちゃんとは知らないからこれでいいかわからない。けれど、こうして七年も一緒にいるのだから悪くはないのだろう。

 

 いつも誰かを待ってるような顔してるよね――飲み会の帰りにそう言われたのが始まりだった。七年前の夏の日だ。わたしはまだ二十歳の学生で、ヨシヒコは今と同じく学習塾の講師だった。

 その言葉は口説き文句にしては間が抜けていた。なにしろ駅のホームだった。さみしそう、もしくは物欲しそうだと言いたいのかと仰ぎ見ると、あ、やっぱりと左手を掴まれた。

 これ、これのある子はさあ、優しいんだよね、親切にした証拠でしょ? 

 そう言って、ヨシヒコはどこか痛むようなかおをした。わたしは手を振り払わなかった。馬のような目が、薬指を眺めるにまかせた。生徒からの評判が悪くないのは知っていた。子供は口さがない。ヨシヒコ顔長すぎ、ひょろい、けど教え方は上手い。ふわんと鼻に抜けるような声で、あ、ごめんねと手を放した。見惚れちゃって、という目はわたしの顔を見なかった。キリンと呼ばれてたのを思い出して笑ったわたしに首をかしげた。くっきりとした二重とバサバサの長い睫毛が羨ましかった。そのときは山手線の内回りと外回りに分かれて、ひと夏のバイトが終わるころには同じ車両に乗り込んだ。

 

 おれの父親が小学校の教師でさ、卒中でやめたんだけど――

 親しくなって、そのくちから「聖職」という言葉がいつ飛び出すかとどぎまぎした。親を尊敬できる人間のつよさに反撥をおぼえながらも話しはちゃんと聞いた。ヨシヒコはヨシヒコで、全人格的な教育を請け負うのは怖いと吐き出して、学習塾を選んだらしかった。

 

 ちえりちゃん、この指環くれた子の名前おぼえてる?

 

 ふいに手が重なって、耳の後ろで問われた。両腕でぎゅっと抱き締められているのでどんな顔をしてるのかわからなかった。

 わたしは、その子にいつも頭をさげられた。倒れているところを見かけて親に知らせて病院に一緒にいっただけなのに、いつまでもいつまでもその子はわたしを見かけると目をほそめて頭をさげた。お風呂に入っている様子もないのにその頭には天使の輪がひかっていたし、襟のひろがったシャツは色褪せていた。駆け寄ってこないのは遠慮しているにちがいなかった。

 うちの親は、誰かと遊んではいけないというようなひとたちではなかったけれど、コドモタチとはもう遊ばないようにときつくわたしを叱った。危ないからコドモタチのいるところに行っては駄目だとくりかえした。あの子たちは優しいよと言い返すと、あそこに入り浸る悪いひとがいるのよと眉を寄せた。お願いだからもう近寄らないで、お母さんは心配なのと泣きそうな顔で叫ばれてわたしは口をつぐんだ。怒られているうちはなんとでも言えた。悲しませたくはなかった。

 父親も似たようなものだった。母と少し違ったのは、彼らのために何かしたいなら保健所のひとに相談しなさいと教えてくれた。じぶんのお古の洋服や本と漫画、お小遣いの一部を寄付した。両親ともそれには何も言わなかった。

 わたしは、わたしと似た年頃の子たちが置かれた境遇が理解できなかった。この国はおかしい、みんな変と地団太を踏んだ。そうね、と母親がキッチンで背中を向けたまま肯定した。お箸とお茶碗をそろえてちょうだいと、いつもと変わらぬ声で続けた。味噌汁をよそった汁椀がじいっと鳴いて動いた。母親はふいにそれをとりあげて、布巾でテーブルと底を拭いた。ちえり、冷めてしまいますよ。にべもなくそう言って、箸をとりあげた。

 コドモタチの件で、わたしは小学校で軽く仲間外れにされ始めた。中学は都心の私立に通うと決まっていたから我慢できた。家族そろって千葉から引っ越すと伝えにいった日に、わたしはそれを受けとった。

 母はわたしが小学校の先生に身体を触られていたことを知らないし、父親に愛人がいた数年間がある事実をわたしが気づいてないと信じたがった。

 そうやって胸に閊えていた何もかもをヨシヒコに話したわけじゃない。ヨシヒコだってそうだろう。お母さんの話しは滅多にしない。そういうお父さんを置いて出ていったからだとおもう。お父さんの仕事ぶりを聞くと、家庭が犠牲にされていたのは歴然としていた。でもそれはヨシヒコに言ってはいけないことだ。ごくたまに、気持ちよさそうに眠るかおを見て意地悪をしたくなることもあるけれど。

 わたしはずっと、この身体がいやでたまらなかった。女だけがもつこの空洞を、瑕のようにおもってきた――ブルーベリージャムみたいな塊りの血が吐き出されるし、なによりも腰から下がこそぎ落されるみたいに痛いし、こんなもの、子供を産まなければ要らないと思いつづけた。

 ちえりちゃん、クスリは飲んだのとヨシヒコに聞かれてうなずいた。生理中は薬がないといられない。ピルは合わなくて、やめてしまった。

 

 おれがちえりちゃんを迎えに来たって言えたらいいなあって、ずっとおもってたんだよね。

 

 初恋はこれをくれた子だ。その子に置いていかれたと、そう話した覚えはある。

 ヨシヒコの指がわたしの薬指と小指の股をくすぐるように撫でる。それから薬指の根本を指の腹でなぞる。そういえば、これに似ているのは包皮だ。不思議とやわらかくてすべすべして、どことなく頼りない。

 

 あのさあ、ちえりちゃんさえよければ、今さらだけど、籍、入れよっか?

 ……あのね、わたし明日会社休めないから

 

 お腹のうえにあるヨシヒコの手をぎゅっと握って目をとじる。こたえを促すこともなく、骨ばった大きな手につつみこまれた。この手はいつも温かい。

 後どのくらい眠れるだろう。

 わたしのお尻の割れ目ちかくで蹲るものはやわらかく、うなだれている。

 たぶん朝にはそうではないのだろうとおもうと可笑しくて、わらえた。その振動を胸で受けとめる男が鼾をかきはじめた。あいかわらず寝つきがよくて羨ましい。でも、わたしが眠れなくて寝返りをうっていると起きて、こうして隣りに来て抱き締めてくれる。

 羊の数をかぞえるように、わたしはあの子の名前を懸命に考える―――もう思い出せもしない名前を、ヨシヒコに教えるために。

 夜明けまで四時間四十二分、飽きることはなさそうだ。

 

                     了


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 こどもたちのたそがれ、おとなたちのかはたれ 磯崎愛 @karakusaginga

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