We wanna be,

柳なつき

私たちはきっと何者にもなれる

「はあー? 最終日のお題、なんだこれ?」


 彼はパソコンの前でひとり呟いた。

 画面をスクロールしていく。カチ、カチ、とクリック音が彼ひとりの部屋に大きく響く。


「……ふむふむ……カクヨムのキャラクター……カタリとバーグ……ああ……そんなこともあったっけな」


 背もたれつきの座椅子に、もたれかかり。

 シュパ、とビールの缶を開けた。


 ちなみに本日は発泡酒ではない。正真正銘、ビールである。

 今日はつまみも完璧だ。コンビニで、大好物のするめを買い込んである。

 週末くらいはちょっとした贅沢をしたっていいだろう、という彼の方針――普段、会社員として必死で働いているのだから。


 彼は第十回目の「KAC」のお題ページと、カタリとバーグのプロフィールページを読み終えた。

 頬杖をついて、ふうん、とつまらなそうに言う。


「まあバーグちゃんは可愛いんじゃん? でもこれ、結局運営の思い通りっていうか……そういうイベントなのはわかってるんだけど……」


 彼はすかさずスマホを取り出す。

 創作用に用意してあるツイッターのアカウントに、慣れた手つきでつぶやいていく。


『お題出たねー。せっかく今まで書いたから皆勤賞狙おうかしら』

『図書カード! 図書カード!!』

『まあどうせ書いても上位陣に持ってかれるけどw』


 すぐにポンポンとリプライがくる。

 俺もー、とか。私もねー、とか。



「だよなー」



 彼は座椅子にもたれかかり直した。

 右手には、缶ビール。おそらくこの後すぐに飲み終えて、二本目を開けるのだ。

 決して酒に強いわけではない彼の顔は、すでに真っ赤になっている。



「どうせ俺なんかがなんも取れないことは、わかってんだけどー」




 彼は、作家を目指してすでに十年にもなる。

 大学時代に「作家になる!」と決めて、就職してからも、なんだかんだで書き続けてきた。


 貴重な平日の夜。

 貴重な休日。

 そういった時間をどぶどぶと費やして、彼は黙々と書き続けた。


 彼には作家仲間というものはいなかった。学生時代は運動系の部活を貫いたし、大学は社会系の学部だった。いまの仕事はシステムエンジニア。普通に暮らしていれば、小説と関わるような機会はなかったであろう。

 実際、彼自身、そんなに小説を読まずに育ってきた。……時々、小説を読まないと小説のことはわからないよと言う人がいるが、彼のような人だっているのだ。


 それでも彼が作家を目指したワケは、なんてことない、ある日、本屋で偶然出会った一冊に心を動かされてしまったのである。


 ああいう作品を、自分も書いてみたいと思った。

 その一心だけで。

 平均すれば、おおよそ年に二回か三回のペースで出版社の公募に原稿を送った。

 結果はどれも芳しくないものだった。

 いちど、二次選考を突破して、雑誌に自分のペンネームが載ったことがある。飛び上がるほど嬉しくて、その雑誌はいまでも貴重品ボックスに保管されている。

 だが、それだけだった。

 彼はずっと、下読みや選考委員以外には読まれない原稿を、生産し続けていた。


 ウェブサイトで小説を公開したり書くことができる、と知ったのは、もう七年も八年もひとりで書き続けたときだった。

 最初は、無料で書いて公開できるなんてなにか裏があるのでは、と疑ったりもした。

 変な思惑があるのではないか、と。


 怪しければすぐに撤退しようと思っていた。

 しかし、どうも変な金も取られないし勧誘もされないし、彼はいつしかその場所に馴染んでいた。

 それと、大手出版社がやっているというネームバリューも彼を安心させた理由のひとつだろう。


 今では彼は数十個の作品をここに置き、数百個の作品を読み、ほかの作者とも交流がある。




 彼はスマホを覗き込んで、作家仲間のツイートに大笑いした。



「そうそう! バーグちゃんは可愛い!」




 こういう時間を、彼はなによりもだいじにしている。




「――あのー、悪くないとは思うんですけどー」


 少女の声に、少年は振り向く。それが耳を澄ますべき声とわかっているからだ。

 少女は、少年の原稿を覗き込んでいた。

 スマホでぽちぽち書かれた原稿には、ひとりのカクヨム作家のいつもの夜が描かれている。


「えっ? ここで終わりですか作者様!」

「え、うん、そうだけど……」

「『こういう時間を、彼はなによりもだいじにしている』――って、だから? これはどんな気持ちで読めばいいんですか?」

「それは、そのまま……」

「そのままって何です! ああ、AIなのに、頭痛くなってきました私! AIなのに!」

「なんかこう、カクヨムに救われてるよね、ってほっこりしてもらえれば――」

「ええっ? ほっこりですって? この流れだとなんかちょっとメリーバッドエンド感もありますよ!」

「あー、えっと……なんだっけそれ」

「えええっ! もう今まで四回も作者様にお教えしてますけど? まさか作者様がそんな簡単に忘却してしまうスペックの低い頭をお持ちだなんて私、知りませんでした!」


 さんざんな言われようだが、物語を紡ぐ少年はとくに気分を悪くした様子もなく、ふんふんと興味深そうに少女の話を聴いていた。


「つまり、ラストでもっと共感してもらうには、カクヨムが彼にとって他のもの、たとえば仕事とか家族とか恋人とか結婚とか……以上に、ほんとうの意味でだいじなんだってことを、わかるように書かなければいけないってことか」

「そうですよ。『この登場人物は、決して他の何かの代償としてカクヨムを楽しんでいるのではなく、自分自身の選択と生き方としてカクヨムを楽しんでいる』のです」

「そんな大層な話になるかな?」

「作者様。小説というのは、そこに書かれたことがすべてです。ぶっちゃけ作者様の意図やあれこれの言い訳なんて、知ったこっちゃないんですよ。私は今この原稿に書いてあることを読んで、それを読み取って、そういうことだと解析したまでです。お手伝いAIとして!」


 えっへん、と少女は胸を反らした。

 少年は、ただあたたかく苦笑した。――なんだかんだで、この少女は、いつもある種の正しさをもっていることを少年はすでに知っている。

 アドバイスのすべてを、鵜呑みにするわけじゃないけれど――でもこの少女には、あくまでもほんとうはAIでしかないはずの少女には、小説が、物語が、人間が、見えているのだ。



 だって、それが彼女の存在理由だから。

 そして、少年の存在理由は――。



「あとはですねー。全体的に描写がふわっとしすぎじゃありませんか? ほらこことかも。何ですか『運動系の部活』とか『社会系の学部』とか。もうちょっと具体的になりません? 作者様の頭のなかにそれが存在していないから、こうやって誤魔化しに走ってるんじゃありません?」

「待ってよ、バーグさん。それにはれっきとした理由があるんだ」

「おおっ、理由を言い返すようになるとは、作者様も進歩したようですね! とてもわずかほんの少しの成長、『すべての文章にはかならず意図がある』とかいう最低限のレベルであっても、成長は成長と認めます!」

「その言い方、バーグさん……いや、いいや、原稿の話だよね今は。運動系とか社会系とか、曖昧なのはわかってるさ。わざとぼかしたんだ。どんな運動部に所属しているひとでもどんな学部に所属しているひとでも共感できるように――」

「それはおかしいですよ作者様! その理屈でいくと、文化部のひとはどうやって共感するのです?」

「……じゃあ、もう漠然と、部活、と書き直すとか?」

「いえいえそれでは文脈が合わなくなりますよ。そもそもどうして運動部にしたかって、『今まで小説にふれてこなかった』というエピソードの理由づけでしょう?」

「でもよく考えれば文化部でも小説にふれていないひともいるよね」

「でもそんなリアリティは小説の描写に必要ありません」


 ふたりはいろいろと議論を交わし合って、

 けっきょく、その箇所はもっと具体的に「剣道部」「経済学部」と直された。


「あとはですね作者様。不本意ですがこれだけは言っておきます。――あなた、前に比べれば、ずいぶん小説が上達しましたね」

「どうもです」

「でも、技術的なところは、まだまだ全然……努力が必要といいますか……」

「言葉を選ばなくったってもいいんだよ」

「あっ、ほんとですか? じゃあ正確に言いますけど、作者様の技術は今も全然ダメダメです。――ですけど」


 少女は、柔らかく微笑んだ。

 少年は、心臓が鳴ったような気がした。



「何となくですけど、ここには、真実がある気がします。――作者様にとって一番大事なものが、本音で、遠慮も躊躇なく書かれています。

 だから――私は、この物語の続きを、読んでみたいです」



 少年は、そっと微笑んだ。――まさかこの毒舌AIに、続きが読みたいと言ってもらえる日がくるとは。




 書き続けることで、きっと何かを救うことができる。



「……あと、作者様。これから紡がれることになるこの物語の冒頭、その、この原稿では最後の部分についてなんですけど」

「なに? どこ? 直すよ」

「……私、可愛い、ですか? あ、いえ、その、あくまで文章表現上のことですよね、『バーグちゃんは可愛い』なんて――」

「ほんとうのことだと、思ってるよ。バーグさんは可愛い」

「えっ!」


 すらりと言われた言葉により生まれた、許容量以上の感情により。

 AI少女はシステムエラーを起こした。




 ――その後。

 少年は、続きを書いた原稿を少女に見せてみた。


「えー? なんですかその展開! 合コンしちゃいます? えっ? この素敵な物語でそんな理由でそんな合コン?」

「とりあえず続きを読んでみてよバーグさん」

「いやいやいや読まなくたっておかしいですよここはもうすでに!」

「理由があるんだよ!」

「こんなの絶対ろくな理由じゃないじゃないですか! そういうのってお手伝いAIの私にはわかっちゃうんですからね!」

「読めばわかるさ!」

「読んでわからないのが問題なんです!」



 彼らは、賑やかに、きょうもきょうとて物語をつくり続けている。

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