詠み人来たりて
千住
四月二日
「……」
公園には、桜の甘い香りが充満している。ハーフアップの少女・
すると、すすす、と人影が真横にカニ歩きするのがわかった。赤毛に青い瞳の少女はパンフレットの陰をまわりこみ、指で枠を作って再び茉莉を眺めはじめた。茉莉はパンフレットを傾けて、少女から顔を隠す。
さらに、すすす、と位置をずらす少女。
茉莉は携帯を出し、110と入力した。
「ちょおっと待ったぁ!」
少女が焦り顔で駆けよってきた。茉莉はその清楚な佇まいに似合わぬ舌打ちをする。
「なんですかさっきからジロジロと」
「いやあ、あはは、それが」
大振りのトリがぱたぱたと舞い降りて、少女の肩に止まった。ホホホウと囁くように鳴く。フクロウに似ているがどうにも間抜け面だ。
「えー、そんなこと言われても」
誰と話してるんだこの子……
茉莉はベンチから立ち上がり、その場を去ろうとした。少女は茉莉を引き止める。
「あ、ちょっとまって! あたし、カタリィ・ノヴェル!」
「……はい」
「きみの物語を必要としてる人がいるの! ちょっと『詠ませて』くれない?」
カタリィが両手で四角い枠を作ろうとする。と、少女は病院のパンフレットをカタリィに思いっきり投げつけた。
「わぶっ」
カタリィが顔に張りついたパンフレットをどかすと、茉莉はすでに早足で公園から出ようとしていた。病院の方へと角を曲がっていく。
「怒らせちゃった……なんでだろ……」
トリがカタリィの肩でホホホウと鳴く。とりあえず後追ったら? とでも言うように。
茉莉はそのまま病院に入り、整形外科の入院病棟に向かっていった。個室の一つをノックする。
「
スライドドアを横にずらす。
「姉ちゃん、いらっしゃい」
中学生くらいの少年がベッドから微笑んだ。その顔を見て、茉莉の表情が緩む。
「具合はどう?」
「来週レントゲンに異常がなかったから、車椅子乗っていいってさ」
「よかったじゃない」
うん、と呟いて、少年は外を見た。窓はちょうど先ほど茉莉がいた公園の方だが、5階のここから桜は見えない。
しばらく茉莉は着替えをバッグに詰めたり、新しい着替えを棚に置いたりしていた。すると
「姉ちゃん。もう小説は書かないの?」
茉莉が生唾を飲む。
「な、なんで?」
「いや、一日中ベッドにいて暇だからさ。姉ちゃんの小説読みたいなー」
「……」
茉莉はわざとらしく携帯で時間を見た。
「そろそろバスの時間だから、行くね。また明日来るから」
「うん。じゃあねー」
茉莉はそそくさと病室を出る。と。
「わわわっ」
どすん。
茉莉は真顔でスライドドアを後ろ手に閉めた。そして、どすんと音を立てた主、尻もちをついたカタリィを冷ややかに見下ろす。
カタリィは頭をかきながら苦笑いした。
「は、ははは……いやあ、まさか依頼人のお姉さんだったとは」
「……」
茉莉が携帯に110を入力する。
「ちょおっと待ったぁ!」
カタリィは茉莉の左腕にしがみついた。茉莉が心底うざそうにカタリィを見る。
「なんで小説書かないの? なんで?」
「あなたには関係ないじゃない」
「きみの弟はきみの物語を必要としているんだよ。書けるなら書いた方が……」
すると、廊下の手すりで大人しくしていたトリが、ばささと羽ばたいてカタリィの肩に乗った、何かを耳打ちする。カタリィの青い目が見開かれる。
「……動かないの? 右手」
茉莉は唇を噛みしめ、カタリィから目をそらした。
弟に聞かれたくないから、と、茉莉はカタリィを連れ公園に戻った。夕焼けに桜が霞んでいる。
カタリィとトリに背を向け、夕風に髪を流しながら、茉莉は言う。
「私たち、半年前に交通事故にあったの。弟は両腿を折ってまだ寝たきり。私は右肩を砕いて……神経が傷ついて、右手がうまく動かなくなった」
茉莉が左手をぎゅうを握りしめた。
「だから小説は、もう書けないの」
悲しげに茉莉の話を聞いていたカタリィが、にこ、と笑った。
「ならあたしに任せてよ!」
「……なにを?」
振り返る茉莉。その切なげな表情を切り取るように、指で四角い枠を作り、左目で覗きこむ。
「聞かせてよ、きみの物語を」
すると。
一陣の強風が茉莉の髪をかき乱した。カタリィの瞳が宝石のように輝く。桜の花弁が視界を染める。
カタリィのカバンの蓋が開いた。まるで意志があるかのように、紙が一枚ずつ飛び出して、茉莉の周りを巡り、まるで手を繋いで輪舞するよう。
茉莉があっけにとられていると、紙に文字が浮かび上がってきた。そして端から一枚ずつ折り重なり。
「……え?」
気付けば、カタリィの手の中には一冊の本があった。美しい
カタリィが茉莉にウィンクする。
「おつかれ! じゃあ、一通り読んだら弟くんに渡しておくから」
「え、ちょ、ちょっと、意味が」
「じゃあねー!」
手を振って走り去るカタリィ。その肩からトリがふわりと飛び立ち、茉莉の頬を撫でるように通りすぎた。その瞬間、ホウホウという声に混ざり、茉莉はたしかに少年のような声を聞いた。
「声で小説が書ける機械もあるよ」
「ううっ……ぐすっ……なんて切ない物語なんだ……この女性の報われないけど純粋な愛は……」
夜、廃ビルの屋上で、カタリィは鼻水をすする。ぱたん、と閉じたのは先ほど『詠んだ』
ぶびーっ、と大きな音を立てて鼻をかみ、カタリィは立ち上がる。
「さて、名残惜しいけどこれを藤也くんに届けに……」
カタリィの襟を翼でクイと引き、ホウホウ、とトリは囁く。
「その必要は ないかも」
トリが示した方。大型電機店の窓際には、音声入力ソフトを手に、じっと考えこむ茉莉の姿があった。
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