第20話 ワガママ王子とワガママ姫

 待機していた馬車に、馬の足音が近づいてくる。ティーナは馬車のカーテンを閉めて沈黙し、ララは馬車の後ろに隠れて馬が近づいてくるのを待った。


 馬に乗っているのがジョックスだと気づいたララはほっと胸を撫で下ろして姿を現し、彼が馬を降りるのを待ってから馬車の扉を開けた。


「姫様、ただいま戻りました」


 身を屈めて馬車に入り込もうとするジョックス。ティーナはジョックスが馬車に入る前に抱き着き、無事を確認した。


「よく戻ったわね、ジョックス。怪我はない?」


「俺はありません。あいつは足をひねったみたいですが」


「生きているのなら後は何とかなるでしょう」


「とりあえず馬車を移動させます」


 ララは後ろからジョックスを押し込み、馬車の扉を閉めてすぐ御者台に飛び乗ると馬の手綱を握って馬車を走らせた。ゆっくりと動き出した馬車が速度を持って走り始め、舗装された道に出た。それから馬車は夜の街中を郊外に向かって三十分くらい走り、宿屋で停まった。ちょうどいくつか馬車が停まっているところに紛らわせるためである。


「無事で何よりです。……あの中で何があったのですか?」


 ララは入ってくるなりそう言いながらジョックスの隣に座った。扉にはしっかり鍵をかけてある。


「あいつが襲われてた。舞踏会で会ったあの黒い男にだ。姫様の言った通り、たぶん牢の中にいたところを襲われたんだろうな。黒い男は俺が左足を傷つけたら逃げてった。それから、部屋ではあいつが毒を仕掛けたおかげで何人か死んでた。こっちは見たことねぇ奴らだ」


「どの部屋ですか?」


「三つの部屋だ。他の部屋も見てみたが、他の部屋にはいなかった」


 ララは一度口を開けたが、すぐに閉じてしまった。そうして深刻そうな顔をして口元を隠した。


「予想通りね。推測に確証が得られて良かったと思うべきかしら」


 ふぅ、とティーナは息を吐く。


「あの三人全員があの男を狙っていたんですね……」


 ララの声が床に沈む。ジョックスは眉間にしわを寄せて腕を組んでいた。


「あいつ、敵ばっかだったんだな。……そりゃ、誰も信頼しねぇよ。味方はレリアンだけか」


 ララはため息を吐いた。


「その召使いも彼にとっては敵ですよ」


「あ? なんで」


 さらに深いしわを刻み、ジョックスはララを睨んだ。


「彼らはどこにどの部屋があるのか覚えていませんでした。それを覚えているのはあの召使いだけですから、あの召使いに聞いたはずです。彼らが何も明かさず召使いに部屋の場所だけを聞いて、あの召使いが主人の殺害計画実行のためとは思わずその部屋を教えただけの間抜けとも考えられますが、違うでしょう」


「なんで」


「第三者が来たからですよ。黒い男とやらです。その男はあの中に出入りしていない第三者です。第三者を呼んで毒の蒔かれた部屋を避け、あのけだもの男を襲わせることができるのは、三つの部屋が囮だと気づいた者、つまりあの召使いしかいません」


 ジョックスは口を開けて閉じた。


 レリアンはルフェールの従者だと思っていた。自分と同じように主人を信じ、何があっても付き従い、命を守る存在だと思っていた。それが違っていたのである。


 ジョックスは自分で気づかないうちに落胆した。


「……じゃ、あいつには味方が一人もいなかったってことかよ。あいつはずっとみんなに命を狙われてたってことか?」


「そういうことになるわね」


 ティーナが頷いた。


 何だか、やりきれなかった。


 ジョックスは、ルフェールのことはどちらかというと嫌いだった。さんざんティーナに迷惑をかけ、泣かせ、そして命までも奪おうとした奴だ。それに顔がいけ好かない。作り物の笑顔もそうだが、この世には楽しいことなんて一つもない、興味なんてない、というような顔をしているのが嫌いだった。しかし。


「……可哀想なやつだな」


 思わずぼそりと呟いてしまった。


 最後に見た彼の笑顔は本物で、こいつもこんな顔をして笑うのかと、ようやっと彼が人の子であることを認めた。守ってやれて良かったとさえ、思ったのだ。それくらいの情は持ち合わせている。孤児ですさんだ幼少期を過ごしたジョックスでさえ、それくらいの人情というものはあった。それなのに彼らは、ジョックスよりも近くでルフェールと長い時を過ごしたはずの彼らは、誰一人としてルフェールのことを信じていなかった。大切にしていなかった。むしろその息の根を止めようと狙っていたのである。


「そうね。でも、本人はそう思っていないようだから、私たちが可哀想というのはおかしな話かもしれないわ」


「……そうですね」


 ララは静かに同意した。


 しばらく、馬車の中は静かだった。各々が事実を飲み込む時間のように思えた。


「じゃ、あの影武者を殺したのは誰なんだ……?」


 ジョックスが呟く。ララがジョックスに視線を向け、ティーナも頬杖を突いた状態でジョックスを見た。


「……ガーウィンよ」


「え!?」


 青い目が見開かれる。その隣の緑色の目も驚きを持ってティーナを見た。


「証拠はないけれどね。状況から見れば彼しかいないわ」


 ティーナは背もたれに背を預けた。


「わたくしの前にあの白い男と踊ったご婦人が彼を毒針で刺して殺したのよ。それしか有り得ないわ。そしてその毒針をガーウィンが回収したのよ。ガーウィンは王国騎士団長だから、真っ先に死体を調べてもおかしくない。疑われることなく毒針を回収できるわ」


「騎士ならベルナード様も騎士ですが……」


「ベルナードは女性に殺させることなんて思いつかないわ。女性の扱いに慣れていないんだもの。それに、誰が殺したのか全然見当もついていない様子だった。あれは演技じゃないわ。彼に周到な嘘はつけない」


 一度息を吐いてからティーナは続けた。


「ガーウィンはね、わたくしに優しかったの。ちょっと泣いたらころっと態度が変わったの。ガーウィンのように真面目で厳しい人なら、どんなことがあっても容疑者に優しくなんてしないわ。容疑者のわたくしに優しかったのは、わたくしがあの男を殺した犯人ではないと分かっていたからよ。それから罪悪感もあったんでしょうね。真面目で良い人だから、自分の罪でわたくしを糾弾するのが辛かったのだと思うわ」


 先に言ったように証拠はないけれど十中八九そうよ、とティーナ。ジョックスとララは顔を見合わせた。


「姫様、男を騙すために嘘泣きしたんすか……」


「失礼ね。勝手に涙が流れたのよっ」


 ティーナは唇を尖らせた。


「とにかくまぁ、白い男を殺させた犯人はガーウィンよ。というより、白い男を殺すことに成功したのはガーウィンと言った方が良いかしら。ルフェールの立てた作戦で全員が彼の命を狙っていたという確証が得られたし、きっとあの舞踏会の夜も全員がルフェールを殺す計画を立てていたのね。結局成功したのがガーウィンであるというだけで、この犯人解明にはあまり意味がないわ」


「重要なのは全員が暗殺計画を練っていたということですね」


「そういうことよ」


 二人は一緒になってため息を吐いた。ジョックスにも事の重大さが分かり、彼もまた背もたれに体重を預けて力を抜いた。


 どうして部外者だったティーナが駆り出されたのかようやく分かった気がした。誰が敵になるか分からない王都ではなく、遠く離れた田舎の貴族に助けを求めたのはそういうことなのだろう。


「でもこれでおしまいね。わたくしの課題は終わったわ。自由よ! まだ気になることはあるけれど、もう関わることもないでしょう。しなくても良い苦労は避けて自分のしたいことを目いっぱいして過ごすのが一番よね。さぁさぁジョックス、ララ、馬車を出して宿に帰りましょう。ゆっくり休んでからたくさん遊んでお家に帰りましょうね」


 ティーナは身体を伸ばしてにっこり笑った。その可愛らしい笑顔に重苦しかった空気が癒され、ジョックスとララは自然に笑みをこぼした。


「じゃ、宿に戻りますよーっとそうだ、また忘れるとこだった」


 ララの前を通り過ぎ、馬車を出て行こうとしたジョックスが振り向いた。


「あいつから伝言です。珍しく姫様以外の言葉をそのまま覚えられたんでそのまま言います。『ありがとうティーナ。また直接お礼をしたい。そういえば、前回のお礼の品は大切にしてくれているかな? それをティーナが持っている限り、私たちが貴方を忘れることはないだろう。大切に持っていてほしい』だそうで」


 ティーナは目を大きくして固まった。それから震える手を唇に持ってきて何かを考え始めた。ジョックスとララは不思議そうな顔をしてティーナを見つめた。


「……ララ。あの銀の箱を出してくれる?」


 ややあってティーナは震えた声を出した。


 ララは素早く自分が腰かけていた長椅子から降り、椅子の収納部分を開けて中から銀の箱を取り出した。砂糖菓子の入っていた、ルフェールからもらったあの銀の箱である。ティーナは箱を両手で受け取ると馬車のカーテンを開けた。外界はすでに陽が出ていて、眩しい陽の光が目を刺した。


 その光の中に銀の箱を差し出した。


 キラリ、と銀が光る。いくつかついていた赤色の石が赤い光を反射する。その中で一際大きな石は、青い光を放っていた。それを見た途端、ティーナの顔が紅潮した。


「ひどいわ! 迂闊に返品も出来ないじゃないのっ! あの人、わたくしのことを自由にする気なんてさらさらないじゃないっ!!」


 怒るティーナにジョックスは首を傾げた。ララを見ても、彼女も分かっていないようで不思議そうな顔をしていた。


「ティーナ様、それは?」


 ララが箱を覗き込みながら言った。ティーナは手を出して箱をララに持たせた。ララは何の変哲もないただの美しい銀の箱を眺めながら首を傾げる。


「……この蓋についている宝石。これはあの人が、あの何にも頓着しない無気力で無関心な彼が、お風呂にまでつけてきていたペンダントの石よ。いつの間にか付け替えたんだわ」


 珍しく吐くように呟いたティーナの言葉を聞いてララはハッとした顔をした。


「そんな、まさか……」


「やりすぎたわ。信頼を通り越してしまったのはやりすぎだった。あそこを出られれば全てを忘れられると思ったのにっ! あの黒い男とも関わらないといけなくなりそうだわっ! 避けたかったのにっ!」


 ぷんぷん怒った顔をしているティーナ。ララは真っ青な顔をしている。しかしやはりジョックスには何故二人がそんな様子なのか分からず、置いてけぼりにされていた。


「あのー、どういうことっすか?」


 ティーナがキッとジョックスを睨んだ。


「この蓋についている石はあの人が王族だという証拠になるもの……王の証よ」


 声を小さくしてティーナは言った。だがジョックスはそれを聞いても事の重大さが分からなかった。呆れたララが、これまた小さな声でジョックスに耳打ちした。


「王族はそれと分かるように必ずある宝石を持っているんです。……昼と夜で色の変わる宝石ですよ。それがこの宝石なんですよ」


 ジョックスは首を傾げる。


「だから、これを持っている人物が王族なんです。良いですか、誰も姿を見たことのない王子様が、この国の王子様だという証拠がこれなんです。つまり、これが無ければ王族と認められないんです。そして、これを持っていれば誰だって王子様になれるということです。貴方だって王子様になれるんですよジョックス」


「俺は正真正銘その辺の孤児だぞ。そんなんになれるわけねぇよ」


 ジョックスはハハハと笑った。しかしララは真剣な表情をしている。それで、それが冗談でも何でもなく、事実なのだということを知った。


「えっまじかよ。これ、そんなすごいもんなの?」


「だからさっきからそう言っているでしょう!」


 小さい声で怒るララ。ジョックスは自分の心臓がドクドクと煩くなってくる音を聞いた。


「そんなもんがなんでここにあるんだ?」


「知らないわ! 知っていたら置いてきたわよ! 王位継承問題なんかに関わりたくないもの!!」


「お、王位継承問題??」


「そうよ!」


 ジョックスの頭の中にたくさんの疑問符が浮かんだ。何だってこの綺麗な石がここにあることが王位継承問題に繋がるんだ? とジョックスは首を傾げる。


「あの人を、王子をそれと分かっていて彼らが殺そうとする理由は一つしかないわ。他に王子がいるからあの人は必要ないのよ。そして彼らは十中八九そのもう一人の王子と繋がっていて、その人にあの甘えん坊を殺すよう命令されたのよ」


「王子がもう一人? でもそんなこと発表されてねぇっすよね?」


「そうね。王子様が産まれたという発表は一度だけ。けれどね、何人産まれたかは言われていないのよ」


 ジョックスはぽかんと口を開けた。


「……もう一人の王子様は、もしや先ほどけだもの男を襲ったという黒い男でしょうか……」


「そうでしょうね。そうとしか考えられないわ」


 口を開けたままのジョックス。最後の最後で情報量が多すぎてもう頭がついていかなくなっていた。


 王族を示す宝石に、王位継承問題。国民の知らない二人の王子の存在。あの剣を交えた黒い男がもう一人の王子とは。


「とにかく、わたくしの役目はあの城を出た時点で終わっているわ。王子様が誰で何人いようが構わないし、王位継承問題なんて首を突っ込むだけ無駄よ。しなくても良い苦労だわ。わたくしは美味しいお茶と甘いお菓子と素敵な物に囲まれていられるだけでいいの。早くそれを何とかしないと」


 ララが震える手でティーナに箱を返した。青色の宝石がキラリと光る。ティーナは忌々しそうな顔で宝石を睨んだ。


「もうあいつを助けてやらねぇんですか?」


 茶色の瞳が横にずれた。


「……今回の件で分かったでしょう。あの人は地盤のない砂の上に立っているわ。いつ埋もれるかも分からないところに一緒に立つなんてわたくしには出来ない。そんなに危ない真似をしなくても、わたくしはわたくしの欲しいものを手に入れられるのだから」


「その通りですね」


 ララが頷いて同意する。ジョックスもまぁそうだな、と納得した。二人ともティーナの実力はよく知っている。


「それではいかがいたしましょうか。このまま宿に戻りますか? それとも行先を変えますか?」


 ティーナはそうね、と言って息を吐いた。何事もなければ宿に戻って休み、次の日から観光を楽しむつもりだったのだが、そうもいかない理由がティーナの手の中にある。次に打つ手で今後どうなるかが決まる、大事な決断だった。


 ティーナはしばらく黙っていた。ララとジョックスは固唾を飲んでティーナを見守った。するとようやくティーナが口を開いた。


「……美味しいお茶が飲みたいわ」


「は?」


 思わずジョックスは気の抜けた声を出してしまった。


「たくさん話したから喉が渇いてしまったの。お茶が飲みたいわ」


「姫様ぁ。今はそれどころじゃねぇですよ」


「今すぐ用意いたしますね」


 がっくりと脱力したジョックスとは違い、ララはすぐに踵を返した。


「待ってララ。どうせならお茶会にしましょう。たくさんの甘いお菓子を食べて美味しいお茶が飲みたいわ。きっと素晴らしく素敵なお茶会になるでしょう。招待状を出して」


 ティーナはいつものようににっこり笑うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ウィザリア国王位継承事件~ワガママ男爵令嬢は新国王には興味ゼロ~ あまがみ @ug0204

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ