世界の終わりの片隅で

凍龍(とうりゅう)

巡回図書館員

 夜明けから、もう随分になる。

 太陽はすでに中天にかかり、ジリジリと容赦ない日差しでティーヴァを灼いていた。

 彼は水筒を振り、まったく水音がしないのに気づいて顔をしかめた。

 

「全部飲んじゃったか……」


 うかつだった。

 村長の話では、となりの村までは徒歩で丸二日、いい加減何か見えてもいいはずだ。

 だが、荒れ果てた荒野には雑草一つなく、砂埃にかすむ地平線の向こうには木立の影すら見当たらない。

 

「迷った、のかなあ?」


 パンパンに膨れた肩掛けのカバンからコンパスを取り出し、太陽と見比べてみる。

 

「ちくしょう! 錯綜領域さくそうりょういきだ」


 暑さを嫌い、夜明け前の薄明の荒野をコンパスを頼りに歩いた数時間、彼は間違った方向に進んでしまったらしい。

 この辺りには、コンパスが正確な南北を示さない場所エリアが至る所に存在する。

 地下に巨大な前世紀の遺物が埋まっているからだとも、砂自体が磁性を帯びているからだとも言われる。だが、いずれにしても彼は自分の位置を見失った。

 昨夜は砂嵐がひどく、舞い上がった細かい砂が星の光を遮っていた。こんなことならナビゲーターを立ち上げておけば良かったと今さらながら後悔した。バッテリーの残量が不安だったけど、日の出までの数時間ならギリギリ間に合ったかもしれないのに。

 ティーヴァはため息をついて電源ボタンに手をかける。また叱られるんだろうなとため息をつきながら。

 

「ティーヴァ、あなた、バカですか?」


 案の定、画面の中でふくれっ面をしている少女はいきなり辛辣な口調で彼を非難する。

 

「私がアクティブになっていればこんな初歩的なミスはしなくて済んだはずですよ」

「バッテリーがギリギリだったんだよ。次の村にまともな充電設備があるとも限らないし、できるだけ節約したかったんだ」

「だからといって荒野のど真ん中で迷子になっていたら世話はないですよね」

「まあ」


 ティーヴァは不承不承頷く。

 画面に映る少女の名前はモーニュ。彼のように各地を旅する巡回図書館員をサポートするパーソナルアシスタントだ。人工知能エーアイだと聞いているけれど、その可愛らしい自然な表情といい、辛辣な口調といい、どう見ても人間だとしか思えない。だいたい、人工知能だったらもう少しユーザーフレンドリーであってもいいと彼は思う。


「……わかったからそろそろナビゲートしてくんないか?」

「しょうがないですね、私のおバカさん。とりあえず回れ右、四キロほど逆戻りですよ」





 結局、目的の村にたどり着いたのは夕暮れも迫る頃だった。

 彼が村を守る頑丈な柵を越えるなり、待ち構えていた子供達に取り囲まれ、両手を引っ張られながら村長の家に案内された。

 巡回図書館員の派手な制服は遠目にもよく目立つ。彼は水を飲むいとますら与えられず子供達にせがまれ、早速村の広場で預かってきた本の読み聞かせを始める羽目になった。


「ティーヴァ、今夜は絶対に電源を切ってはだめですよ」


 供された旧式の充電器から存分に電力を吸い上げながら、モーニュは澄ました表情でそう注文をつける。

 ティーヴァ自身は照れくさいこともあってなるだけ彼女の前で朗読を披露したくないのだけど、彼女は頑として聞き入れない。

 ペアを組んで仕事をするようになってからこれまで、いつ、いかなる時も彼女は最前列で彼の朗読を聞きたがった。

 ティーヴァは小さくため息をつくと、肩をすくめながら本の表紙を開いた。





 あの大きな戦争から一世紀。今や、本は大変な貴重品だった。

 電子化された膨大な図書コンテンツは戦争に伴う猛烈な放射線の嵐を生き延びることはなく、各地の図書館に申し訳程度に残されていた紙の本は今や同じ重さの金を超える価値を持つ。

 当然、小さなコミュニティでは高額な本の維持などできない。

 そこで、ティーヴァら巡回図書館員は各地を巡回しながら村々に図書を貸し出す。僻地の村で発見される貴重な本を保護し、土地の古老が記憶する様々な物語を採録するのもその役割だ。

 彼らが集めた物語は中央図書館で再び紙の本に編まれ、いずれ再びこの世界を本で満たすことになるだろう。

 子供達は図書館員が持ち込むさまざまな物語に目を輝かせて聞き入り、大人もまた、彼らの運ぶ世界情勢を首を長くして待っている。

 危険で過酷な仕事であることは間違いない。でも、ティーヴァは、いつかどこかで理想の物語に出会うことを夢みて、今もこの仕事を続けている。





「……だから、ミーシャは今でも青い屋根の家で、彼女のドラゴンが帰ってくるのを、たったひとりでずっとずっと待っているのです。おしまい」


 情感たっぷりにそう締めくくる。

 主人公と共に物語の世界で冒険し、怒ったり笑ったりしていた子供達は、一斉にほーっと大きなため息をつく。

 一拍おいて、拍手が巻き起こる。

 一番激しく拍手をしているのは、画面の向こうで頬をピンク色に染めて目を潤ませたモーニュだ。

 彼女はまるで幼い子供のように物語の主人公に肩入れし、その理不尽な運命に怒り、幸福な結末に目を潤ませる。

 そんな姿を見るたびに、ティーヴァは彼女が愛しくなる。

 旅がどれほど過酷で辛いことばかりが多くても、画面の向こうの小さな女の子がそばにいてくれる限り、僕はこれからも旅を続けるんだろうな。

 そう、思った。





「ティーヴァ、起きて下さい」


 夜。供された質素な寝台で目を覚ました彼は、傍らのパーソナルアシスタントが非常モードに切り替わっていることに気付く。


「どうした? モーニュ」


「村に接近する怪しげな人影があります。狙いは……」

「言うまでもない。僕、だね?」


 ティーヴァは素早く制服を着込むと重いカバンを抱え上げ、するりと部屋を抜け出した。

 金にも匹敵する高価な本を持ち歩く図書館員が盗賊のターゲットにされることは少なくない。

 普通、村の人々がそのような無茶を働くことはほとんどない。孤立したコミュニティにとって、図書館の恩恵を失うことは情報的な死を意味する。これほど悲惨なことはないからだ。

 でも、決まった縄張りを持たない流浪者アウトローにそんな理屈は通用しない。

 こんな事態に備え、図書館員候補者は幼い頃から様々な体術を仕込まれている。

 

「できるだけ村から離れよう。迷惑がかかる」


 ティーヴァはあえてパーソナルアシスタントの画面を最大輝度にして移動する。盗賊を誘うようにに裏手の柵から村を飛び出し、荒野に向かって走り出す。


「気付かれましたよ。追ってきます。三人です」


 ティーヴァは腰の伸縮警棒を一振りし、木影でモーニュに呼びかける。

 

「ごめん、少しの間切るよ」


 地下書庫でかろうじて電子嵐を生き延びた貴重なパーソナルアシスタントを奪われるわけにはいかない。彼はカバンの隠しポケットに彼女をしまおうと指を伸ばした。


「っちい!」


 ところが、電源ボタンに指を掛けようとした所で弱い電撃を受ける。

 

「何すんだよ!」

「駄目です。電源はそのまま。カメラも塞がないで!」


 言い争っている暇はなかった。

 ティーヴァは仕方なく彼女を定位置になっている胸のポケットに収める。カメラの位置に穴が空いているので彼女の視界が塞がれることもない。


「これでいいだろ?」

「はい。画面だけ消しますね」


 すっと画面が暗転し、辺りは闇に包まれた。

 

「いるな」


 星明かりの下、大柄な人影が三つ、腰を低く構えた姿勢で近づいてくる。

 

「はっ!」


 先手必勝。ティーヴァは立木の影から飛び出すと、先頭の人影に全力で体当たりをかけ、姿勢を崩したところで相手の向こうずねに思いっきり警棒を振り下ろす。


「ぐわっ!」


 悲鳴と共に骨が砕ける感覚が伝わってくる。

 男はひざを抱えて地面に倒れ込む。そのまま走り抜けたティーヴァは、二人目の背後から首筋を打ち据える。

 

「ティーヴァ! 銃です!」


 振り向く間もなく銃弾が発射され、ティーヴァの胸に吸い込まれた。

 彼は衝撃で吹き飛ばされ、激しく地面に叩きつけられる。

 

「本屋の坊主、残念だったな」


 三人目の男は倒れたティーヴァを仰向けに蹴り転がし、とどめを刺そうと頭に狙いをつけてきた。

 瞬間、ティーヴァはカッと目を見開き、警棒を大きく振って引き金に掛けた男の指を叩き潰す。

 パアンッ!

 銃は暴発しながら遠くに跳ね飛ばされた。

 

「ぐぅおおっ!」


 そのまま跳ね起き、猛獣のように唸りながら右手を押さえてうずくまる男の後頭部を打ち据える。男はそのままどうと倒れ込んだ。

 異常を感じたらしい村の家々に明かりが灯りはじめた。

 ティーヴァはそのまま村に背を向けて、闇の中に走り込んだ。


「モーニュ! モーニュ! 無事か!?」


 彼の代わりに銃弾を受け止めたパーソナルアシスタントは見るも無惨な状態だった。

 普段なら可憐な少女を映し出している画面はバラバラに砕け、内部の電子基板がむき出しになっている。内蔵された人工知能は果たして無事だろうか。

 必死に呼びかけるティーヴァの耳に、歪んだ微かな音声が届く。

 

「……ティーヴァ、無事で良かった。あなたを守れて良かった」

「バカ! そんな別れのあいさつみたいなこと、言うなよ!」

「……いじょうぶ。あなたはきっと立派な図書館員になれる。理想の物語を、きっと見つけられるわ」

「だから、そんなこと言うなって。いつもみたいに上から目線で偉そうに……」

「……バカね。私のティーヴァ。どうか、無事に……この先も……」


 小さなスパークが走り、端末モーニュは永久に沈黙した。





 予定の巡回を終えて、ティーヴァは中央図書館に戻ってきた。

 館長に旅の経緯いきさつを報告し、砕けたパーソナルアシスタントの残骸を差し出すと、館長は一瞬だけ表情を曇らせ、ただ、

 

「そうか。君にケガがなくて何よりだ。ご苦労だった」


 そう言って彼をねぎらった。

 ティーヴァは無言で館長室を退出し、次に資料課を訪ねる。回収してきた図書をカウンターに積み重ね、空になったカバンを振って大きなため息をつく。

 相棒を失った自分が今後も巡回図書館員を続けられるのかどうか判らない。パーソナルアシスタントは本当に貴重で、簡単に換えが効く物でもないのだ。それに、彼はモーニュ以外の誰とも組むつもりがなかった。

 その時、カウンターの奥、関係者以外絶対立入禁止の書庫の重い扉が開き、小さな人影が現れた。

 

「あ! え?」


 何気なくそちらに目をやったティーヴァは言葉を失った。


「お帰りなさい、ティーヴァ」


 目を見開く彼の前で、彼女モーニュは柔らかく目を細め、そう言ってまるで花が開くように笑った。


――了――

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