【KAC9】死神からの「おめでとう」

筆屋 敬介

死神からの「おめでとう」


 あるところに、死神さんがおりました。

 

 死神さんは、神様が与えた命の時間が終わりそうな者を迎えに行き、この世から魂を切り離す仕事をしていました。

 

 黒くて長い髪、生真面目な表情の女の人です。大きな黒い鎌を両手で抱えていました。

 

 と言っても、死神さんは普通、死ぬ予定のない人には見えません。死ぬ瞬間にその人からは見えるようになるのです。

 きちんとこの世から離れるべき人かを確認してから、たましいをこの世から切り離すのです。

 いわば、この世とのお別れの管理をしているのでした。

 この世で迷う人間が居ないよう、頑張っていました。死神さんは、人間が大好きだったのです。



 今日も死神さんは、あるおばあさんの部屋でその時を待っていました。

 ベッドの上で静かに息をしているおばあさんは、家族に囲まれていました。少し離れたところにお医者様が立っています。


 家族みんながおばあさんの両手をにぎっています。

 死神さんは腰にぶら下げていた大きな時計を見ました。

 午後3時56分12秒。

 おばあさんは一つ大きく息を吐くと、そのまま静かに息を引き取りました。

 

 すると、柔らかな虹色のふわふわのかたまりが、おばあさんの身体から抜け出てきました。

 ゆっくりおばあさんの姿になります。


 死神さんは言いました。

「おめでとうございます。89年間、無事、天寿を全うされましたね」

 たましいのおばあさんは、うなずきました。


 死神さんは持っていた大鎌で、身体につながっているたましいの一部分にちょんと触れました。すると、おばあさんのたましいは身体から離れました。


 死神さんの仕事はこれで終わりです。


 次は、33歳のおじさんの所へ行きます。

 そのおじさんは54年間が神様に与えられた命の時間ですが、先ほど交通事故に遭ってしまいました。身体から離れそうなたましいを、逆に身体に戻さなければいけません。

 死神さんは大忙しです。




 そんなある時、死神さんは神様に呼び出され、お願いをされました。

 別の死神――死神くんが神様の決めた命の時間を無視して、勝手な事をしているらしいのです。

 止めてもらうようにして、というお願いでした。

 たしかに、それは良くない。大好きな人間の命の時間を勝手にするなんて。

 死神さんは、死神くんの所に行きました。



 死神さんは言いました。

「死神くん、神様の決めた命の時間を守ってあげないと人間がかわいそうですよ」


 死神くんは白くて長い髪、何かにあきらめたような皮肉げな表情をする男の人でした。死神さんと同じく大きな黒い鎌を、片手で肩にのせています。


「よぉ、死神ちゃん。神様のお使いかい?」

「私は、“ちゃん”ではありません」

「どっちでもいいじゃないか、死神“ちゃん”」


 死神さんはため息をつきました。昔から何度言っても変えてくれません。不まじめな感じはイヤな気分なのですが、このままでは話が始まりません。大好きな人間たちの命の時間を勝手に変える事をやめさせないと。


「呼び方の事はもう結構です。それより、人間の命を勝手に変えるのはやめてあげてください。最後まで命の時間を過ごせるように守ってあげないと」


 死神くんは、口のはしを上げました。

「ああ。『天寿を全うして、おめでとう』 ……だな?」

「そうです。死神くんも人間が大好きなんじゃないんですか?」


 へへ……と死神くんは、皮肉っぽい笑みを浮かべました。

「大好きだよ……おっと、仕事だ仕事。邪魔すんじゃねえよ」

 死神くんは片手の大鎌を背負いなおすと、サッサと移動し始めました。

「ちょっと。勝手な事をしてはダメなんですから。人間がかわいそうです」

 死神さんも追いかけました。




 マンションの5階。その屋上に1人の男の子がいました。

 そして、何もない空中へ、ふっと身を投げ出しました。

「大変! 彼は70年間の命の時間があるのに! 14年しかまだ経っていないのよ!」



 死神くんは地上に降り立ち、その男の子のそばに向かいました。

「おめでとう。迎えにきたぜ」

「死神くん! なにがおめでたいんですか!」


 あわい虹色のかたまりがその身体から抜け出て、男の子の姿になりました。

「これで、お前さんにとってこのクソみたいな現世から離れられるな。おめでとう」

 あわい虹色をした、たましいの男の子はうなずきました。

 死神くんは大鎌でちょん、とたましいに触れると、そのたましいは身体から切り離されました。




「死神くん、なんてことするんですか。あの子の命の時間はまだあったのに! あの子がかわいそうです!」

「喜んでいたぜ?」

「でもダメです! 勝手に命の時間を自分で縮めるなんて」

「なんで?」

「……」

 死神さんは言いよどんでしまいました。

「それは……親や友達が悲しむからです」

「そうかい。……おっと、次だ」




 小さなボロアパートの小さな部屋からおじさんが出てきました。

 電車に揺られ、荒れた海の崖の上にたどり着きました。

 そして、身を投げました。


「大変! 71歳まで残りたくさんの命の時間があるのに!」


 死神くんは、そんな死神さんの声を気にする事もなく、海の中に現れました。

「おめでとう。迎えに来たぜ。こんな寂しい世界から抜け出せてよかったな」

 たましいのおじさんは、うなずきました。




 死神さんは言いました。

「勝手に命の時間を――」

「親や友達が悲しむからか? さっきのヤツは天涯孤独だぜ。親も居ない、友達も誰も居ない。悲しむヤツはいないぜ」

「……でも、ダメです。勝手に命の時間を短くするのは」

「なんで」

「それは……未来に何かあるかもしれません。可能性があります」

「そうかい。……お。次だ。忙しいな、まったく」




 ベッドに横たわる少女が外を眺めていました。

 すると、突然発作が起きました。まゆをしかめて、ギュッと胸を押さえます。


 死神くんがそのそばに降り立ちました。

「よう、迎えに来たぜ」

 少女に話しかけます。

 少女は苦しそうな中、かすかにニコリと笑いました。すると、あわい虹色のたましいが身体から抜け出てきました。


「おめでとう。おつかれさん」

 死神くんんはそう言うと、大鎌でたましいの女の子にちょん、と触れました。




 死神さんは言いました。

「……勝手に――」

「未来があったのにって? たしかに、あと半年残っていたな。苦しんで苦しんで、後半年か?」

「……希望があったかもしれないです……」

「……お。次に行こうか」



 そこはあばら屋でした。穴が開いたままの壁、屋根も斜めに傾いでいます。

 生きている人がいるの? 死神さんは思いました。

 中には年老いた母親と、もう良い年をした息子が寝ていました。


「よう、迎えに来たぜ」

 死神くんはその年老いた母親の枕元にしゃがむとそう言いました。

 おばあさんはにっこり笑うと、ふわっとした虹色のたましいが抜け出てきました。


「死神くん! このおばあさんはまだ!」


 死神くんは言いました。

「このおばあさんは、息子の負担になりたくないって願っている。おばあさんは病弱。息子は会社から見放されて、気がついたらあっという間に何もできなくなっていた」


 死神くんは立ち上がると、大鎌を両手で構えました。

「二人は食べ物も尽きて、ずっとご飯を食べていない。おばあさんは、自分が亡くなれば少しでも保険金が入るから何とかしたいと思っていた。だから、病気で死んだようにしたいって願っているのさ」


 死神くんは、ちょんと、たましいのおばあさんに大鎌を触れさせました。

 たましいのおばあさんは、にっこり笑い、ひとしきり息子の顔を見ると、天に向かっていきました。




 それから、死神さんと死神くんは、いろんな所へ行きました。


 自分が時々何をしているのかわからなくなり、家族に迷惑をかけてしまっているおばあさんが呼んでいました。

 おじいさんが動けなくなり、自分も動けなくなったおばあさんも居ました。





 死神さんは、神様の所に戻ってきました。

「神様、私は神様の言う通り、死神くんを止めることができませんでした。どうしたらいいのかわからなくなってしまったんです」

 そういうと、ポロポロと涙をこぼしました。

「天寿を全うすることこそ幸せなのだと思っていたんです。でも、分からなくなりました」


 神様は言いました。

「わかりました。あなたの思うようにしてください。死神くんのこともしばらく様子を見たいと思います。あなたはどうしたいと思っていますか」

「私は何が大切な事かわからなくなりました。でも、今はとにかく天寿を全うしてもらえるように守っていきたいと思います」

 ポロポロと泣きながら、死神さんは言いました。




 校舎の屋上から、一人の女の子が、じっと空を見上げていました。

 そしてそのまま、倒れるように身を投げました。


 死神くんは、地面に伏した女の子のそばに降り立ちました。

「よう。迎えに来たぜ」

 そして、こう続けました。

「どうだい?」

 たましいの女の子は死神くんの方を見ました。

「そうかい。わかった」

 そう言うと、女の子のたましいを身体に戻しました。


「おめでとう。今度迎えに来るのは黒髪のヤツになるよう、祈っておいてやる」


 女の子が気付いて立ち上がった時には、もう、大鎌を持った白髪の、皮肉げな表情をする男の人は居なくなっていました。

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