俺たちは人間を卒業しない

柳なつき

おめでとう!

「おめでとう!」



 先生も、後輩たちも。

 拍手をしながら、花を投げながら、みんながその言葉をイワンにかけていた。

 イワンは、はにかみながら手を頭にやって、「どうもどうも」とおどけて言ってはどっと仲間たちの笑いを買う。



 花道。学院の者たちが、総出で祝う。



 真っ黒でメタリックな同じ制服スーツを着た同士たちは、

 イワンの旅立ちを、ある者は笑顔である者はちょっとした泣き顔で、見送る。

 どちらにせよ、それは祝いの表情だ。心底、紛れもなく――。



 イワンは歩く。花道を。もう、ここには戻らないのだと実感しながら――。



「おめでとう、イワン!」

「われわれもイワン先輩に続けるようがんばります!」

「――イワンにわれらが星神ほしがみさまのご加護が永久とわにありますように!」




 おめでとう!

 おめでとう!

 おめでとう、おめでとう、おめでとう……。




 花道の最後のアーチ。――ここをくぐれば、もう、学院には戻れない。

 事前に打ち合わせでもしておいたのだろう、みんなが、声を揃えてはっきりと言った。




 卒業、おめでとう!




「じつにその通り。めでたいな」



 誰にも気づかれないようにぼそっと呟いた。



 直後、イワンは顔面全体でくしゃっと笑った。

 仲間たちに向けて。まるで、嬉しくて誇らしくて仕方ないとでもいうかのように。



 仲間たちはみんなきれいな顔で、そして、ふたたび声を揃えた。




「イワン、おめでとう、われわれの誇り、誇り高き宇宙の確実な一部、英雄イワン、また一体となって会いましょう!」



 ――おそらく、教師がそう言うように教えたのだろう。




 英雄というのは果たして人間なのか?



 そんな、自分でもよくわからないことをただぼんやりと考えながら。

 イワンは、待合室の窓のふもとに腰かけて煙草をふかしていた。



 出立までにはまだ少し時間がある。

 マシンの最終調整には少し時間がかかるのだ。

 


 短く揃えたオレンジの頭髪、アイスブルーの瞳。高めの背丈、訓練を乗り越えたすらりとした身体。

 これでもまだ年齢は十三。だが、年下の子どもたちばかり面倒を見ていた関係で、どことなく年齢よりは大人びて見えた。

 イワンは、どこにでもよくいる銀河系の人間のひとりだ。


 一面のガラス。一面の銀河。

 いま通ったのは、おそらく隣の星の戦闘機だろう。

 クマのぬいぐるみが無重力空間をぷかぷかとしている。誰かが、落としたのだろうか。子どもか。小さな女の子が宇宙で落としものをしてしまったのだろうか――。




「ここにいたんですか先輩」



 硬質な響き。そのわりに、まだ成熟しきっていない、少女の声。


 その声を聞いても、イワンは驚かなかった。

 ふう、と最後の最後まで煙草を吸うと、ツルツルの床に落として足で踏みにじった。



「行儀が悪いですよ先輩」

「レンピカほどじゃないと思うがな」


 レンピカは、銀色の眉をひそめた。


 みんなと同じく、制服スーツを着た少女。

 シルバーのボブカット。レッドの瞳。まだ子どもとしての小さな背丈に、痩せっぽちで訓練に苦労する身体。

 年齢は十二歳。つまり、イワンのひとつ下ということになる。



「私のどこが行儀が悪いというのです?」

「いろいろあるけど、たとえばそうだなこうして待合室まで来ちゃうところとか」

「お祝いの言葉を言いに来たというのになんと冷たい先輩なのでしょう」

「遠慮しとく。もうおなかいっぱい。一生ぶんの祝いの言葉をさっきもらった」


 レンピカは鼻を鳴らした。


「気づいてなかったんですか? 私、さっきの場には、いませんでしたけどね。あんな賑やかで低俗な空間にはいたくない、って!」

「レンピカ、そういうとこだぞ。これからは直せよ。俺はもうここからいなくなるんだ」

「ふん、先輩がいないからってなんだというんです?」


 生意気に笑いながら、レンピカはさも当然とでもいうかのようにイワンの隣に座り込む。


「……行儀が悪いんじゃなかったのかよ」

「先輩。おめでとうございます」



 レンピカは、窓の外のどこまでも続く宇宙を眺めながら、紅い目を細めて呟くようにそう言った。

 イワンはくしゃ、とオレンジ色の髪を掴んだ。



「……おまえに祝ってもらえるなんて思わなかったよ」

「まさか。先輩は、英雄ですから」



 にこりともしないでレンピカは言った。



「冗談を言うならもっとわかりやすい雰囲気で言ってくれ」

「あいにく先輩に対して使う表情筋は存在していません」

「表現は正確にな。誰に対しても、だろ」



 いつもの他愛ないやりとり。こんなことさえも。――これからは、できなくなるのだ。


 だから、イワンは、ちょっとだけ。

 ……ほんとうにほんのちょっとだけ、柄にもなく、三年間たぶんなんだかんだで一番時をともにした、この生意気な後輩の少女に、

 本音を言ってみたく――なって、しまった。


「そんなにめでたいことなんかじゃ、ねえだろ。――人間イワンは、死ぬんだぞ。これからな、宇宙だか、宇宙の一部だか、なんだかになってな」

「ええそうですねイワン先輩」



 レンピカは不自然な早口でそう言い切ると、細い指で窓の外の宇宙をさした。

 ――宇宙。巨大なる存在、崇高なる意思。




 宇宙一体化運動が始まったのは、一体いつからだったのだろうか。


 あまりにも時が経ちすぎてしまって、

 イワンたち、つまりいまの子どもたちにはもうわからないけど、とにかく宇宙全体に増え過ぎてしまった人類は、

 そして新しい時間技術や惑星技術で、死ぬよりつらい事故も珍しくない悲惨な戦争を繰り返した、人類は、



 ごく自然の道理として、宇宙と一体化することを、望むようになった。



 一体化は、簡単だ。――マシンに乗って、銀河の広いところまで突き進んで、

 あとは、ただ――次元ベクトル情報を操作すれば、



 それでもう、人間は、高次元の存在に成れる。らしい。――イワンは、知識でしか、それを知らない。




 ……大人たちは、子どもたちの教師役を除いて、もうほとんどが一体化を終えた。

 残りの子どもたちも時間の問題だ。


 イワン・セービイ・ナカリャコフは十三歳世代のなかで最後だった。

 親しかった先輩たちがみな宇宙と成り、先輩たちが終われば次はわれこそはわれこそはと名乗りをあげた同期たちのなかで、

 イワンは、最後まで、ただひとり名乗りをあげず――。



 しかし、今回は、さすがに、順番が、きてしまったのだ。

 ――イワンがいなくなれば、残りはもうほんとうに、十二歳世代以下ばかりになる。ただし、教師を除いては――。



 これからの運命を想い、イワンはハッと鋭く自嘲した。――自分のほうが、イマドキ間違っているのはよく知っている。



「……レンピカは俺と同類かと思ってたがな」

「ええ同類ですよまったくもって。いまも不本意ながら紛れもなくそうです」

「じゃあ、なんで、おめでとうなんて言うんだよ? ――めでたいことなワケがないだろ?」



 人間じゃ、なくなるんだぞ。

 イワンのその言葉に、……レンピカはますます銀色の眉をひそめた。



「先輩はあとどのくらいでここをつのですか」

「いまほんと最終調整中だから……あと十分もしないうちにって感じだと思うけど」

「へえ。なるほど。――ところでですね先輩。なぜ、私たちの学院に大人が、教師がいるのか……考えたことは、ありますか?」

「なんだよそれ。教師は子どもたちをぶじに宇宙に一体化させるために、残ってるんだろ」

「――そうなると教師たちは最後の人類になろうとしているということになりますね?

 そのときに、彼ら大人たちは素直に――宇宙と一体化するのでしょうか?」

「……なんの話だよ……そのつもりに決まってるだろ」


 宇宙への、一体化。

 それは、とても意味があり、とても幸福で、とてもよいことだと言われているけど、

 そしてほとんどの子どもは宇宙への一体化を夢見るようになるけれど、



 しょせんは――すべて、大人たちの教えたことなのだ。



「先輩、だって、ほんとうに、そうなのでしょうか?

 教師たちは子どもたちを送り出してそのまま自分たちは別のことをするという可能性は?

 そもそも宇宙への一体化といいますけど次元ベクトルを変更したあとに実際物理的にそこで起きることは?

 私たちがなんらか、大人たちの思惑に利用されているという可能性は?」

「レンピカ声が大きい」


 イワンはレンピカの口を手で塞いだ。――この子は、頭はいいが、こういうところで妙に不注意なところがある。

 そして、イワンは、その耳元で。――バレないように、小さく言う。


「おまえの理屈はわかったレンピカ。――俺だってほんとはこのまま宇宙と一体化する気なんてさらさら、ない」

「え! 先輩……」

「このあとすぐに抜け出す。五分後には銀河タクシーを手配してあるから乗って逃げるんだよ。コツコツ貯めたマネーを全部注いで、行けるところまで遠くに行く。――レンピカもいっしょに来るっていうなら有り金を全部はたけ。そうすれば俺らはもっと遠くに行ける……」

「ウィンウィン、ってことですね」

「古臭い地球語を使うんじゃねえよ。――おら、行くなら行くぞ!」



 イワンは、立ち上がった。

 レンピカは呆然とイワンを見上げる。

 イワンは、その手を半ば無理やり取って、廊下を――駆け出した。




 左手には宇宙タクシーのチケット、右手にはふたりぶんの未来。

 まだ、人間でいたい。

 宇宙だとか、そんな大層なものになるのは、――まだ、遠慮しときたいんだよ。



 もうすぐ、出口だ。

 銀河タクシーに飛び乗れば、あとは、もう遠く遠く――見たことのないところへ行くだけ。




「おめでとう、ございます、先輩」


 必死で走りながら。息を切らせながら。

 レンピカは、うつむいていた。




「今度こそ。素直に言える。――先輩、ご卒業、おめでとうございます」

「もっとも宇宙になるんじゃなくて。このまま、人間のまま。――ただこの頭のおかしい学院を飛び出るってだけだけど!」

「それでも、卒業は卒業です!」

「ならおまえにも言っとくぞレンピカ。――学院、卒業、おめでとう!」




 出口。

 ウィーン、と扉が静かに開いた。




 ふたりは、銀河タクシーに、飛び乗った。

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俺たちは人間を卒業しない 柳なつき @natsuki0710

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