空の盃

Win-CL

第1話

 ちょうど一年前のことだった。


『あ、あなたが……伝説の救世主様ですか……!』


 地上がとても濃い魔素に覆われ。どこからともなく魔物が湧き出し。人々が怯え、震えながら暮らしていたこの世界に、救世主と呼ばれるべき『彼』がやってきたのは。


 暗く、絶望に包まれた世界に、一筋の光明が差したのは。


 その時の私はただの町娘で。なんとかして『彼』の手伝いをできないかと、必死に付いていくのがやっとなほどで。それでも、地道な修行を続けて彼の隣で戦えるまでに成長したのだ。


 もちろん、その道程は生半可なものじゃなかった。


 数多の困難を、途中で加わった仲間達と共に乗り越えた。辛い別れもあった。


 それでも――それでも、確実に歩を進めて。塔に巣食うヴァンパイアを倒した時も、火山の底に棲みついた火龍を討伐した時も。地下迷宮のミノタウロスを退けた時も。力をつけながら、私達は前へと進んだ。


 そうやって向かう先々を救い、その度に『彼』に集まる称賛、感謝の念。


 そして――たまにどこからともなく聞こえてくる『ピロリロリン、おめでとうございます』という音、声。


『救世主様……この音は何なのですか?』

『これは……“神様”が祝福してくれているのさ』


 ――神様が祝福してくれる音。神様。

 この世界を救うために、『彼』を送ってきた存在。


 神の加護と共にならば、きっと世界を救うこともできる。


 叶うのならば、私もその瞬間に立ち会いたい。いや、立ち会うのだ。

 そのために私は村を出て、『彼』の旅に加わったのだから。


 そして長い長い旅の末、全ての元凶となる悪の親玉の元へと辿り着き――剣を魔法を全力でぶつけ合う。何度も膝を付き、何度も血を吐きながら、何時間も、何時間も、日が落ち再び上るほどの長い時間の末、ようやく『彼』は、私たちは勝利した。


 全員息も絶え絶えで、玉座に残っているのは親玉の死体のみ。ようやくこの手で勝利を掴むことができたと、勝ちどきをあげることもできず。静寂の戻った空間に――


『ピロリロリン、おめでとうございます』という、なんとも間の抜けた音が響いた。


「ぷ……ふふふ……!」

「は、ははは……」


 ――神様からの、祝福の音。張りつめていた空気が一気に弛緩する。誰からでもなく笑い声が漏れ始め、こうして、長い旅は幕を下ろした。世界に平穏が戻った。






 それから一年後、私は村に戻り――


『あなた方は、自分自身をお互いに捧げますか』


「はい。捧げます」

「――捧げます」


 長旅を共にした『彼』と、村の教会で挙式を挙げていた。何もかもを終えて、平和な日常が戻って。これからは家族と共に、『彼』とともに――この先生まれてくるであろう我が子と共に、幸せな日々を過ごす。


 幸せの絶頂。人生の到達点。辛い戦いの末に得られたどんな賛美よりも、この教会から溢れ出しそうな皆の祝福の声が。私にとっては何よりも嬉しい。


『――では指輪を交換してください』


 神父様のその言葉で、私たちの指輪がゆっくりと運ばれて来る。『彼』がその片方を受け取り、私の左手の薬指へそっとはめられる。


 新しい魔法が使えるわけでもない。外部からの脅威に対する耐性が上がるわけでもない。それでもこれは、今まで身に付けたどんなアクセサリよりも大切なものだ。きっと――いや、絶対に、永遠に外すことは無いだろう。


 そして今度は私から『彼』へ。


 震える指で指輪を手に取り、落とさないよう気を付けながら。しっかりと『彼』の左手へと指輪をはめる。大切な、大切な儀式の終わり。最後に誓いのキスをしようとベールを上げられたところで――


『ピロリロリン、おめでとうございます』


 教会に、音が鳴る。


 こうして神様に直接祝福されるなんて――世界広しといえども、こんなことは『彼』の結婚式ぐらいじゃないのだろうか。どんな状況でも相変わらずの音に、少しだけ笑いそうになってしまう。


『彼』はどう思っているのだろうと、表情を確認すると――『やっと――』と、口元が動いたような気がした。次の瞬間だった。


「――バイバイ」


 私の身体が、正面から袈裟切けさぎりにされたのは。


「え――」


 目の前の『彼』の手元には、どこからともなく現れた剣が握られている。よく知っている剣だ。最後の戦いも、その剣で挑んだのを見ていたのだから。


「な、なん……で……」


 痛みを感じる暇も無い。全身に力が入らない。息をするのも忘れ――まともに考えることのできない頭で状況を理解しようとする。


「次はこっちの“実績”を終わらせないといけないから」


 そうしている間にも、今度は一番近くにいた神父様がばっさりと切り倒されていた。あまりに突然のことに悲鳴も上がらず。薄れていく意識の中、ただ淡々とした『彼』の声だけが耳に届いた。


「まずは500人か……先が思いやられるなぁ……」




















 















 ――『ピロリロリン、おめでとうございます』。












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