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  • 第9話:導火線への応援コメント

    トセの危うさがかなり出た話
    花札ほど運否天賦によらない遊戯はなく、特に大事なものがかかってる、負けられない勝負であればあるほど、希望や願望を頼りにしてはならないハズ

    自身の戦術的に、一番、そのことを本能的にも理解してるはずのトセが、それが出来ていないのが不味すぎます

    こいするのなら、次に加点する役が見えてねばならず、手札や場の札を見たら、ここでこいする選択肢はないハズ。
    たぶん、トセにとって一番大事な嗅覚が働いてない状態なんで、かなり危険です

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    トセは一年生の《代打ち》として活躍している為、「私は強い」と無意識の内に自賛していたのでしょう。

    《姫天狗友の会》に所属して良いか否か、その決定権を賭けるという非情な闘技に際し、トセは「興奮」を、一方の目代は「沈着」を見せています。

    幾ら技術や駆け引きを学んだとしても、他のゲームに比べて「運否」の重要性が高い賀留多闘技において、無益な高揚は自殺行為に近しいものです。

    トセの《焔硝札》は確かに強力です。何も考えずに突進を続けたとしても、相手は「何か恐ろしいものを含んでいるのでは」と臆してくれれば、此方のペースに巻き込んで華々しい勝利を飾る事が出来ます。

    但し、目代のような手練れを相手にした場合、これはハッキリ言って「弱い」です。一回は通じたとしても、二回目からは続闘宣言が虚勢である事を悟られ、冷静に対処されてしまうだけです。

    その為、トセは《焔硝札》の打ち筋に「怜悧な戦況把握」を加える事で、猛者集う花ヶ岡高校にて《代打ち》を続けられるのです。

    「何事も、熱くなって視界が眩んだら終わり」

    トセがこの真理に気付く時は来るのでしょうか。

    そして――目代はトセが気付くのを待つ程、甘い打ち手ではありません。

    今後ともよろしくお願い致します。

  • 第8話:女達の闘争への応援コメント

    自分はこいこいプレイヤーじゃない上に、のみ役がないこいこいしか人と打ったことがないので、若干の感覚的な差があるのだと思うのですが、たぶん、打ち方のセオリーとして

    ①相手の穫れる札を増やさない
    ②相手に役を作らせない

    当然、自分は役を作るーーを大前提としてですが

    トセの一手目の桜の合わせは、目代を警戒したためですかね?
    結果論的には正解ですが、その時点では松の短がない、桜カスがくっついてなかったので、赤短、花見、三光は自力で確定できないのですが、仮に穫らなくても梅の短は手札にあるため、目代の赤短は阻止できますし、手札に桜に幕がないと教えなくてすむって私なんかは考えてしまいます

    手が揃って場とあってるならともかく、そうでないなら短やカスは足が速いので、安くても上がって流すこともできるし、自分が捲った札、しかも、役に関係する札をすかさず穫られる方がプレッシャーになるのですかね?

    この辺の感覚がこいこいメインじゃなく、しかも、やったとしても12回限定戦じゃないので、長丁場でしかやったことない人間との感覚のズレかなとも思えるため、場数を踏んでるトセの思考の深みがいまいち読み切れないですね

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    盃札の役、所謂「のみ役」の無い《こいこい》を普段打たれている上での御高察を拝読し、別視点からの戦略に触れる事が出来、大変嬉しく思います。

    今回、トセと目代が打っている《花ヶ岡式こいこい》では、二枚で五文を獲得出来る「のみ役」が存在します。その為、殆どの花ヶ岡高生は場に関連する札を認めた場合、最初にそれを取るか、或いはリスク軽減に動くかを考えます(勿論、例外の生徒もいます)。

    この場合、トセは第一手に《桜のカス》を短冊札に合わせて《赤短》への道を延ばしましたが、彼女の手札から考えても、及第点の一手かと思います。

    しかし、です。御推察の通り《桜のカス》を打つという事は、同時に目代へ「《三光》《花見で一杯》は私にとって遠い出来役です」と暴露するも同じです。目代は自分の実力を把握しており、それが他人を「どれ程威圧するか」も理解しています。

    結果、目代が「トセの上がりはまだ遅い」と看破するのは容易い事でしょう。私自身、トセの立場に置かれたとしたら、最初に打つ札は「安全牌」だと思います。

    但し、トセの打ち筋は「爆発的な文数で相手を捻じ伏せる」というものであります。また目代との間に生まれた確執は、多少なりともトセに大胆さ――或いは傲慢さをもたらしたのでしょうね。

    『起き札は踏め』という格言もある通り、起こした札を次々と取られて行くと、次第に戦意を喪失してしまいがちですし、第一戦略の「更新」が効かなくなります。トセは古来より伝わるオーソドックスな戦法を用い、目代の出方を計ったのでしょう。

    頂いた御意見を読み返す毎に、私の中に《こいこい》の戦略論が増えていくようです。今後も何か御座いましたら、是非コメントでお教え下さいませ。

    今後ともお暇の続く限り、拙作にお付き合い下さりますよう、よろしくお願い申し上げます。

  • 第4話:必殺の行程への応援コメント

    こんばんは。

    とても興味深いです。
    年上なのに。
    (といっても1才ですが)
    見守らせていただきます!笑

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「恋愛は片想いの期間が一番楽しい」とはよく聴く推論ですが、なるほどこれは的を射ているように思えます。

    梨子のように、全力でデートプランを考え、隣を歩く想い人に相応しい服を選び、ついつい道行く男女と此方を比較してしまう。これは如何にもな「片想い」期間でありましょう。

    両想いよりも、真相が不透明な片想いに注力するその「疲弊感」「苦労」を、私達は楽しいと感じるのでしょうね。

    今後ともよろしくお願い致します。

  • 第12話:捨て身への応援コメント

    手役は大負けして逆転不可能状態にさせない意味合いが強いのかなって思ってます
    場合によっては、場から緊張感や全てを奪ってしまいますからね

    ただ、八八の手役はやり過ぎかなって思いますね
    出来役の点に比べて、手役の点が高すぎるように感じます

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    手役の持つ意味は全く私見でありますが、大きく的を外していない気もします。《総ガス》に至っては手札全てがカス札と、素早い得点が難しい状況です。

    《八八》は手役自体が膨大にあり、仰る通り出来役よりも手役の方が重要視されている傾向があります。

    これは《八八》の醍醐味ともされる「出降り」に起因しているかもしれません。大負けをするリスクを抱えてでも参戦するか否か、ジレンマを楽しむ為ですね。また、手役に係る細則を

    ・手役を公開して闘技し、上がれた者だけが役代を貰える
    ・上がれない者は役代無し

    と変更すると、手役と出来役の重要度比率を変えられるかもしれません。これにより、「手役はあるが公開せずに打つ」という選択が活きる場面も増加するはずです。役代の再構成が必要になるかもですが……。

    今後ともよろしくお願い致します。

  • 第11話:即死の七枚への応援コメント

    六百間の妙味である鬼札の存在と、イチコロ
    それを思いっきりあじあわせてもらえるなんて、かなり美味しい経験じゃないですか、羨ましい
    って思えるほど歌留多にハマっていれば、本当に面白い闘技だったんですけどね

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    鬼札の存在する技法は色々とありますが、一撃で闘技を終わらせる出来役は面白いシステムだと感じます。《八八》の四三が当て嵌まるでしょうか。

    梨子は龍一郎のような「スイッチ」を持っておらず、相手の豹変に慣れていないのも手伝い、悪い流れに飲まれてしまいました。まだまだ実戦が足りない、という事ですね。

    今後ともよろしくお願い致します。

  • こんにちは。

    期待に胸を膨らませます。
    いや、わたしが。笑

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    デートを待ち侘びる余り、誰よりも早起きしてしまう梨子でしたが、どなたでも一度は「期待からの早起き」を体験したかと思います。

    夏の日差しは女性にとって悩ましいものです。化粧崩れ、日焼け……持ち歩く物品も増えてしまいます。

    汗っかきな梨子の初デート、ごゆっくりお読み下さいませ。

    今後ともよろしくお願い致します。

  • 第1話:駄目でしょうかへの応援コメント

    こんばんは。

    無理な人探しをしたかと思うと、周到なワナを仕掛けたりして。
    おそるべし、恋する女の子。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    賀留多の戦力自体は龍一郎が優っているでしょうが、こと「盤外の駆け引き」に関しては、歳上の、それも「花ヶ岡の女生徒」というアドバンテージがあるのでしょう。

    物事の行く末を読み明かすという行為に、梨子をはじめとした生徒達は慣れ親しんでいます。

    猛者の集う花ヶ岡にて培った種々の地力が、見事花開いた瞬間でありました。

    今後とも拙作をよろしくお願い致します。

  • 第6話:噴水のある広場への応援コメント

    にやにや。
    青春って、いいなあ。
    にやにや。😊

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    接近して来る相手の顔面に向けて、開手を突き出すのは簡単かつ優れた防御であります。差し出された腕を掴んでの頭突きも、虚を突いた場合には効果的でしょう。

    尤も、今回のケースは三人を相手取ったものであり、行動を誤ると袋叩きに遭いかねません。そもそも、青春に喧嘩など不必要です。穏便に過ごしたいものです。

    龍一郎も梨子も、無傷での帰宅が出来て幸いでした。

    今後ともよろしくお願い致します。

  • 第4話:神宮祭への応援コメント

    いいですね、お祭り。
    夏が待ち遠しいです。
    それにしても、だれかと出くわすのは不可能っぽいですね。
    でも……?笑

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    縁日、特に夜祭りは財布の紐が大いに緩んでしまう空間であります。何の事も無いジュースですら、プラスチックの透明な容器に入っているだけで旨味が増すような気がします。

    大量の客に大量の出店、広い会場内で「想い人」を捜すのは大変に困難です。

    後は、梨子の「引き」に懸かっている、という事でしょうね。

    今後ともよろしくお願い致します。

  • 第2話:エストレーモへの応援コメント

    こんにちは。
    いつも楽しく読ませていただいております。


    アルフレッドは知っていたのですが、ボスカイオーラは?でしたので、ググってみました。
    キノコとか山の食材を使ったものなんですね。
    日本だと和風キノコになってしまっていますが。

    あとエストレーモ も調べてみましたが、良くわかりません。
    スペインでは「熱狂」。
    日本ではティラミスに関係あるような……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    キノコなど使ったこのパスタは「木こり風」という意味を持つらしいです。

    色々なキノコを混ぜて食べるボスカイオーラは、梨子の好物の一つであります。

    なお、二人が食べた「エストレーモパフェ」のestremoは、イタリア語で「究極」「極限」「極度」などの意味を持っています。

    私も調べてみましたが、どうやら岐阜県のティラミス専門店に同じ名前の商品があるようですね。岐阜には一度行きましたが、立ち寄らなかったのが悔やまれます。

    今後とも、拙作にお付き合い下さいませ。

  • 第4話:鉄樹の花への応援コメント

    感想戦じみてて面白いですね
    歌留多系の遊技は因果律が明確で、常に自身の選択の是非が突きつけ苛む感じが出てて痺れますね

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    道ならぬ恋であると思い込む梨子にとって、《お七櫓》の結果は神仏の類いに「自業自得だ」と宣告されたように思えたのでしょう。

    あの時、この札を捨てておけば。

    あの時、あの札を取っておけば。

    全ては自身の選択ミスであり、どのようにそれらを乗り越えるかが、優れた打ち手に求められる条件かもしれません。

    今後とも、拙作をよろしくお願い致します。

  • 第5話:想い人への応援コメント

    恋の予感!?

    と、見せかけてここで絵実がきたらややこしくなりそうww

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    絵実は梨子と正反対の性格をしており、たとえ狼藉者に絡まれようとも、正面を切って立ち向かう少女です。

    勇ましく、憧れてしまう対応ですが……やはり危険ではあります。梨子の取った苦肉の策も、結果として怪我を回避出来るかもしれません。

    今後とも、拙作にお付き合い下さいませ。