あなたにわたしにおめでとう

英知ケイ

あなたにわたしにおめでとう

流星りゅうせい、流星、りゅーせい」


 自宅のリビングで愛菜が、流星に呼びかける。

 愛菜の母親は、相変わらず、彼女の部屋に男子が入ることを許していない。

 だから、試験前の勉強だというのに今日もリビングだ。


 愛菜的にはきっと不満だろうが、ケーキに紅茶にお菓子と魅力的な物量攻撃をしかけて来る母親には流石に文句が言えないようだった。


 しかし、今その母親は、買い物に出かけて不在。

 流星は気付いているだろうか、彼女の目に宿る狩人のような光を。



「ここの訳わからないの。おしえてー」


「どれどれ……『藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし』、枕草子か」


「『藤の花』って、あの紫色の垂れ下がる綺麗な花よね」


「そうそう、近くの神社で毎年綺麗に咲いてる、アレだよ」


「ねーねー、りゅーせい」


「うん?」


「咲いたら一緒に見に行こうねっ!」


「あ、ああ、そうだな」



 彼は気付くまい、彼女の満面の笑みの奥に潜む、何かに。

 その方がきっと幸せだ。


 昨日しつこく、両親に、神社の藤祭りの日程を確認していたから、もう愛菜の頭の中では当日のスケジュールまで出来上がってるに違いない。

 それはもう完璧に。



「じゃあ続けるぞ。『藤の花』までわかれば大丈夫だとは思うけど、『しなひ長く』は、さっき愛菜が言ってたみたいに、『しなやかに垂れ下がって長く』って感じだ」


「そっかー、って思っちゃってた」


「……」


って思っちゃってたんだよ、私」


「えーっと……」


 ソファの隣から、至近距離に迫る愛菜。

 さくらんぼを思わせる瑞々しいその唇は、何を彼にせがむのか。

 何故に彼女は少し上向きなままで目を瞑るのか。


 時間が止まる。

 具体的には、彼の方がカチコチで動けていないように見える。


 愛菜は長時間何もされないのに耐えかねたのか、目を開けると決まり悪そうに体を引いた。


 流星はせめて何か言わなければと思ったのだろう。

 絞り出すように、言葉を紡いだ。


「ごめん愛菜……情けない男で。でも俺、愛菜のこと、大事に思ってるから……」


 この一言が彼女の心にヒットしたらしい。

 さっきまでのバツの悪そうな顔が、真っ赤にとろけた顔に変化してゆく。


「……ううん、こっちこそ急にごめんね。勉強中なのに……でもちょっとだけ甘えさせて……」


 そのままこてん、と彼の肩に体を預ける。

 流星は、愛らしいその様子に微笑むとその髪を撫でた。



 ……



「それで次の『色濃く咲きたる』はそのままとして、最後の『いとめでたし』なんだけどな」


「めでたい! おめでとう! って感じなのかなって私思っちゃったけど、古文であるあるな、そのままの現代語だとダメなやつ?」


「そうだな、ここの『めでたし』は、『すばらしい』とか『見事だ』って感じだ」


「でも考えてみると、どうしてその意味になるのか不思議ね。目が出ちゃったら怖くない?」



 愛菜が目のところに手をやると飛び出るようなジェスチャーをした。



「愛菜……とってもお前らしいけど、この言葉の語源はそうじゃないんだ」


「目玉の方じゃ無くて、植物の芽だった? やっと芽が出たぜハッピーいぇーい、みたいな感じ?」



 流星は無言で愛菜の頭を撫でた。



「あー、ちょっと今のはバカにしてなかった」


「そんなこと無いって、まさに語源の通りの『めでたし』さ」


「ちゃんと教えてよー」


「『めで』は漢字で愛って書いて『愛で』なんだ、心が惹かれる感じ、『たし』は元々は『いたし』で『とっても』だな」


「それって……もー、恥ずかしいよ。もう一度甘えていい?」


「……ああ」



 ……



「ふーん、流星君は紳士なのね」



 突然リビングに響く、第三者の声。



「お母さん!?」



 驚く愛菜は、流星の肩から頭を離し、流星は恥ずかしさの余りか、顔を覆う。


 いつの間にか、愛菜の母親がリビングにいた。

 油断しすぎていた。



「い、いつからっ!?」


「『しなひ長く』あたりからかしらね。お財布忘れちゃって取りに戻ったんだけど、良い雰囲気だったから、つい……お母さんね、お父さんとのデートとか思い出しちゃったわ」


「え~~~~~」


 叫ぶ愛菜。

 隣の流星は、あまりのことに顔を覆ったまま動くことすらできないようだ。


 そんな二人の様子を見渡し、母親は満足げな顔をして言い放つ。



「合格よ」


「えっ!?」


「流星君」


 二人に向かってニコリと笑う母親。

 その声に、彼も顔を覆う手を離す。



「……そ、それじゃあ」


「これからは愛菜の部屋に入ってもいいわ。あんなに愛菜が頑張ってもキスもできないなんて……お母さん逆に流星君を応援したくなってきちゃった。愛菜のこと、よろしくね」



 流星に向かってウィンク。

 彼は真っ赤になると下を向いた。



「やったよ、やったよ流星! おめでとう!」


 愛菜はそんな流星に抱きつき祝福する。



「さ、てと、じゃあお母さん、買い物に行ってくるから。今日はお祝いだから、腕を振るっちゃう。流星君、愛菜のこと、お願いね」


「は、はい……」



 母親が扉を締めた後も愛菜は、はしゃいでいた。

 喜びを抑えきれないらしい。



「お祝いだって、りゅーせい私達のお祝い」


「こ、こらこら、あんまり抱きつくなって」


「えー、今度こそ誰もいないからいいじゃない」


「いるだろ、そこに」




 彼はリビングの片隅にいる私を指さす。




 ケージの中、泊まり木の上で静かにしている私を。




「ミミーはトリだからノーカンだよ~。あれ……」


「愛菜、どうかしたのか?」



 愛菜は一瞬考え込んでいたが、思い出せなかったので、すぐに諦めたようだ。



「何でもなーい。甘える~」


 幸せそうに、彼にじゃれついていた。




 すっかり忘れられているな……

 でもまあいいか、いや、これだけは言っとこう。



 今 日 は


 私 が こ の 家 に 来 て か ら


 3 年


 最 初 は そ の お 祝 い


 だ っ た ん だ ぞ



 もういいです、寝ておきます。

 ミミズクの私は、夜行性ですから。

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