震災その夜

漆目人鳥

第1話 震災その夜

東日本大震災。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害。


私、漆目人鳥は当時千葉県在住でした。


津波などの自然災害はありませんでしたが、

あちこちの水道管が破裂したり、液状化で道路がぐだぐだになったり。

ディズニーランド近辺の惨状はテレビ等で何度も流されているようなので、

ご存知の方もあるかもしれません。


隣の町では3万戸が断水中で復旧のめどが立たない状態。

福島第一原子力発電所事故による影響で、関東の電力不足も叫ばれ始めました。


そんな中、

震災直後から宮城県石巻市に住んでいる母親との連絡が取れないという事態もあり、不安と憔悴、そして、己の無力さに打ちのめされ、それでもあきらめられずに足掻きつづけ。

自分は何をしたらいいのか?

大した事が出来ないと解っていても、

一人一人が出来る事を少しずつでもいいからやらなくてはと、

そんな気持ちの日々でした。


そんなわけで、


夜に家にいると電気を使ってしまうし、

計画停電の中、一生懸命営業しているお店の応援も兼ねて、

夕食は外でとることにしました。


まあ、みんなが大変な時期に外で飲んで歩くのは不謹慎。

と、思われるのを世間体的に回避するための言訳と、酒の力を借りなければストレスの解消法が無いという情けない個人的事情が正直なところであったのですが。


いつもの居酒屋さんに顔を出す。

カウンターに座ってふと、違和感を覚えた。

お店の客席側はいつもどおり明るいのだが、

カウンターを境にして調理場側が……。


暗い。


と言うより真っ暗!


「どうしたの?」


と、女将のチエちゃんに尋ねると、


「節電」


と満面の笑みとともに一言。

聞けば、店の裏側の照明も全部はずしているとのこと。


だって、板前さん達の手元、危ないじゃん!


「うちの板前はプロだから大丈夫!目をつぶっても手なんか切らないよ!」


そう言ってチエちゃんはまた笑った。


聞けば板前さん達からの申し出だったそうだ。

ちょっと感心してネタケースを見たらネタが、魚が一匹もいない。

変わりに料理の飾りに使う花やらが飾ってある。


「魚、やっぱり手に入んないんだ?」


思わず漏らした私のつぶやきにチエちゃんが『ズイ』と詰め寄る。


「節電」


そう言って手書きのお品書きを私の目の前に置いた。

『本日のお品書き』とかかれたそこには、

いつもどおりの、多種多様なお刺身と料理の数々が書き込まれている。


「うちのお店をおナメで無いよ!」


そう言ってドヤ顔するチエちゃんが頼もしい。

ネタケースの電源は止めて、材料はすべて保管用の冷蔵庫に入れてあるとのこと。



この居酒屋さん。

実は、地震の起きた当日にも店を開けていた。

地震の後片付けでぐたくたになった真夜中の帰り道。

お店の灯りが点いているのを確認し、うれしくなって思わず内に入る。


まったくいつもどおりのお店がそこにあった。


あちこちがばらばら、ぼろぼろになった世の中で、

そこは、ただひとつ、その日に自分が唯一見た変わらない日常。


いつもの当たり前の日常が、『おかえりなさい』と私を迎えてくれた。


揺れなかった?わけではないよな?


「揺れた揺れた!もう、色んなものが落っこちて割れてさ!うちの食器、安くないのにねぇ」


まるで人事のように板前さんが言って笑った。


「みんなで片付けて、意地で開店時間に合わせたよ!」


自分の家だって大変だったろうに。

大体、こんなときに客なんて来ないだろ。


「あんたが言うな!」


そう言って板前さんがまた笑う。


「うちは開けるよ、だって漆目ちゃん来てくれたじゃない?」


と、チエちゃん。


「お客さんが来てくれるか来てくれないかは関係ない。

うちのお店があるのはみんなのおかげ。

ここにみんなのお店があるから私達は店を開ける。

そして、みんなを待ってる。

予約してくれたお客さん達もいるの、

そのお客さん達がキャンセルするのにここが開いてなかったら困るでしょ?」


実際、ほとんどの予約客がキャンセルだったらしい。


「10人とか18人とか、結構大きい予約入ってたんですけどねぇ」


ホール担当の男性、カズがお通しを持ってきて会話に加わる。

と、店の引き戸が開き、初老の男性が一人入って来た。


「すいません、明日の予約をキャンセルしたいんですが……」


明日8人で予約を入れた常連さん。

どうやら、電話が混乱してつながら無いのでわざわざ店までキャンセルをしに来たらしい。

なんと律儀な。


カズとチエちゃんが男性を気遣い、何も気にしなくていいので、

落ち着いたらまた顔を見せに来てください。

と言って深々と頭を下げて見送った。


「キャンセルは気持ちよくお受けしなさいって言われてるんですよ」


そうカズが言う。

そうか、チエちゃんの言うことはこういうことなんだなぁ。


ここにはいつもの居酒屋がある。


きっと、あの男性も驚いたろう。

ここに何も変わらない日常があることに。

ひょっとして、ちょっとでもそのことがあの人の勇気になったりしたら、

とても素敵なことだよな。


「常連さんの漆目ちゃんが、いつものようにいつもの席に座って、

ここにいる事だって、誰かの力になるかも知れないよ?」


チエちゃんが言った。


「これが私たちに『今、できる事』。

特別な事をしようとする必要は無いと思うよ。

今だからこそ、制約の中で日常を努める事。とっても難しいことだけど……ね」


そう言って、

居酒屋かわらやの女将チエちゃんは、

その華奢な身体に似合わぬ、

ガキ大将のような笑顔で笑った。


その時、私の携帯電話が鳴りだした。

驚いて、上着のポケットから引っ張り出す。

着信者は、震災翌日からずっと連絡が取れなかった宮城の母親だった。

慌てて電話に出る。


「もしもし!」


「テレビで観たぞ、千葉は大変そうじゃないか!元気でやってるか?」


それが母親の第一声だった。


「元気だよ、もちろん元気だよ。でも、お母さん!

大変と言えば宮城の方がよほど大変だろ。なにか、困ったことは無いの?」


私がそう気づかうと、明るい声で母親が答える。


「うん?いろいろと不自由になってはいるが元気だ。不自由も最初からそう言う物だと割り切ればたいしたことはないぞ」


そうは言っても。


「しばらく千葉に来ればいいじゃないか?そりゃ、関東だって色々とヤバメだけど、こっちは、ゆっくり眠れるし、お風呂も使える、部屋は余ってる」


私の提案に、母親が訝しげな声で言った。


「オマエは何を言っているんだ?」


……?


「私達がみんなここからいなくなったら、誰がこの町を元に戻すんだ?」


……!


「私はダイジョウブだ。私が大丈夫と言ってるんだから間違いない。心配するな。それよりも、こんな時だから、今はオマエがやらなきゃならないことをやれ。頼んだぞ!」


そう言って電話は切られた。


その時、私は自分がこの母親の息子であることを誇りに思わずにはいられなかった。なんか、涙が出そう。


「お母さんから?」


チエちゃんが電話の終わった私の顔を覗き込んで訪ねる。


「ああ、元気だって。殺しても死なないような声出してた」


私の言葉を聞いてチエちゃんは再び笑顔で口を開く。


「おめでとう」


心から……。

「ありがとう」


その、チエちゃんの笑顔に最大の感謝。


そして、私は愉しむことにしました。

でも、忘れません。


まだまだ、まけるな!東北!

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震災その夜 漆目人鳥 @naname

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