第21話 嵐の予感

 翌日、指定された場所には約束の時間の5分前に到着した。


 仕事が終わったのは今から10分前。

 どうせはっきりと行くとは言っていないんだから、遅れようがすっぽかそうが文句を言われる筋合いはないんだけど……

「来てくれるまで待ってる」というウェンディの言葉がどうしても俺の足を急がせた。

 誰にも見られなかったからよかったものの、おかげで屋根伝いに最短コースを走らされてしまった。


 メルナク通りは様々な商業施設や娯楽施設が一箇所に集まった、この街で最も賑わう場所だ。

 市場が純粋に食料品や日用品の買い出しの為なら、この通りは行楽の為にあるというところだろうか。


 俺のように仕事が終わってから寄る人でとりわけ賑わうこの時間帯。

 待ち合わせに適した大きな噴水を、既に多くの人が所狭しと取り囲んでいた。


 その人混みの周りをゆっくりと回りながら一人一人の顔を確認していると、こちらに向かって手を掲げる人物が目に映る。

 どうやら先に気づいたのはウェンディの方だったようだ。


「ああ言っておけば絶対に来るとは思っていたけど、安心したわ」


 薄々感じてはしたけど、やっぱりあの言い方は意図的なものだったか。

 確かにもし行かなかった場合のことを考ると仕事中もずっと気分は落ち着かなかった。

 そう思えば俺に対しては十分すぎるほど効果的だったと言えるな。


「じゃあ、さっそく行きましょうか」


 ウェンディは店舗が密集する方向を指さしながら歩き出す。

 いや、その前にここまで呼び出された理由をまだ聞かされてないんだけど。


「理由? そんなの一緒に遊びたかった以外にあるわけないじゃない。とりあえず歩きましょうよ」


 なんだか腑に落ちない。

 というより、随分と振り回されているような気がする。

 後ろをついて行きながら心の中で舌打ちをしてみれば、ウェンディはピタリと立ち止まって振り返る。


「あのねぇ……」


 大袈裟にため息をついているけど、まさか今の胸の内を察知されたのか?

 しかし自分の髪に手をかける仕草を見ればどうやら別の不満があるみたいだ。


「私ね、今日ここに来る前に髪を整えてきたんだけど……気付かない?」


 咎められた後にこんなことを言っても信じてもらえないだろうが、本当は一目見た時から気付いてはいた。

 その証拠に僅かな変化にも関わらずちゃんと言い当てられる自信はある。

 まず艶が昨日までとはまるで違う、毛先をカットした、そしてサイドの髪が内巻きになっている、そんなところかな?


「正解なんだけど……気付いているなら尚更口にしてよね。女の子ってそういうのが嬉しいんだから」


 なんだか無頓着な奴みたいに言われているが、これには俺にだって言い分があるんだ。

 それはアリサと二人で出かけた時だった。

 明らかに髪型が変わっていたので指摘をすると、「変わってない!」なんて顔を真っ赤にするくらい怒ったから、女性にはそういうことは言ってはいけないのだと思っていた。


 だけどそんなことを明かすと、ウェンディにはまたもため息をつかれてしまった。

 頭を抱えて首を降るという仕草つきで。


「相変わらずね。でも、まぁ……ある意味変わってなくて安心したわ」


 そう言ってウェンディは腕を絡めて顔を覗き込んでくる。

 ともかく機嫌が直ったのなら何でもいいか。

 気が済むくらい適度に付き合ってさっさと帰るとしよう。




 メインストリートに入ってからはとりあえず外食の連続記録を更新して、卒業してから今まで何をしていたかなんて会話をしながら店を見て回っていた。

 まさか落雷に巻き込まれてから夜な夜な犯罪者を懲らしめているなんて言えるわけもないし、当然そこらへんは割愛させてもらったが。


 それにしてもここに来てからはウェンディがずっと腕を組んで歩くものだから、傍目にはカップルだと思われているかもしれない。

 道行く他の男が視線を奪われるあたり、やはりウェンディは魅力的なのだろう。

 だからこそ少しばかり優越感に浸ってしまう反面、釣り合ってないなどと笑われてやしないかと気になったりも。


 こんなことを常々考えていたのは学生の頃と同じだったけど、決定的に違うところが一つだけあった。


 それは、なんというか……意外にも楽しかったんだ。


 昔は会話もあまり盛り上がらずにギクシャクしていたし、自分のことを語ったりなんてこともしなかった。


 なのに今日は興味のある店に入ってはこれが好きだとか、実はこういうことが得意だとか、いろいろなことを明かしていた。

 その度に隣のウェンディが笑顔で頷いたり、質問してきたりなんてするから尚更である。

 ウェンディがどっちの服を買うか迷っている時だって、以前なら「ファッションのことなんてよく分からないから」とか言って外で待っていた。

 ところが今この場には一緒になって真剣に考えている自分がいる。

 最終的に右手に持っている方を指さそうとしたら、ウェンディが「やっぱりこっちかな」なんて反対の方を選ぶものだから瞬時に方向転換した。

 こんなところで超反射神経が役に立つとは。




 少し歩き疲れただろうと思ってカフェで休憩をしていた時に、俺はさっきのことを話そうと思った。

 楽しかったのは素直な気持ちだし、そう言えば誘ってくれた方も嬉しいだろう。

 すると、俺の変化に対しては彼女の方も同じことを感じてくれていたみたいだ。


「きっと自分に自信が持てるようになったんだと思うわ。今の表情を見ていればよく分かるもの。あの頃のあなたは市場に並んだ魚みたいな目をしてたのに」


「いや、魚って……」


「ふふ、冗談半分よ」


 ……全部じゃないのかよ。


「ごめん、ちょっと席外すわね」


 そう言って突然ウェンディは何処かへと足早に去っていった。

 いくらなんでもこれくらいは察しがつくから余計なことは何も言わない。

 気の使える男として得意げに、そして優雅にコーヒーを口に含んだその時だった。


「あれ? もしかしてファリスじゃない?」


 聞き覚えのある声に……いや、その時点で誰かはハッキリ分かっていた。

 恐々と振り返ると案の定そこには幼馴染の姿が。

 しかしどうやら正解は半分だけのようで、予想もしていなかった顔を目に映した。


「アリサ……と、エミリオがなんで一緒に?」


「今日は偶然にもお互いに休暇日でね。僕からデートに誘ったら快く受けてもらえたんだよ」


「うん、遊びにね」


 さりげなく訂正するアリサだったが、一方でどことなく勝ち誇った顔をするエミリオ。

 絶対に鼻で笑ったな。腹立つな、こいつ。


「それにしてもファリスがこんな所に来るなんて珍しいわね。誰かと一緒?」


「いや、フラっと一人で来たんだけど」


 咄嗟に嘘をついてしまった。

 するとアリサは俺の言葉に眉をしかめた。


「でもカップが二つあるじゃない」


「いや、ほら……俺コーヒーが好きだから。いつも二つ注文するんだ」


「別に飲み終わってからまた注文すればいいじゃない。それにそのカップ、口紅がついてるわよ」


 探偵かよこいつは!

 これが情報収集を生業とする者の怖さというものなのか。


「分かった! リリィでしょ?」


「ん?」


「だから、リリィと一緒に来たんでしょ?」


「あ、うん、そう!……リリィと」


「やっぱりね」と言って笑顔になるアリサだが、俺が女性と一緒にいるとしたらリリィのみという思いつきが何となく引っかかる。

 まぁ、上手く切り抜けられるならそれで押し通すつもりだけど。


「じゃあ戻ってくるまで待ってようかな」


「え?」


「だって何だかんだと創生祭以降は一度も会ってないんだもん。久しぶりにリリィと買い物もしたいし、いいでしょ?」


「そうだね。あの時は事件のせいでほとんど話せなかったから僕も会っておきたいな」


 うるさい! お前は口を閉じてろ! バカ!

 いや、今はこいつに殺気を向けている場合ではない。

 どうにかしてアリサたちにこの場から去ってもらわないと。


「リリィは具合が悪いってトイレに行ったからしばらく帰ってこないかもよ」


「え! 本当に!? もう! なんで早くそれを言わないのよ! あそこのお手洗いでしょ? 私が様子を見てくるから!」


 待て待て待て!

 アリサとウェンディは双方ともに顔を知っているんだ。

 俺のいないところで変な話の流れになっては目も当てられないじゃないか。


「なんか……リリィは大丈夫みたいだって」


「は? 何言ってるの?」


「俺には聞こえてきたんだ。『私は大丈夫だからアリサたちはデートを楽しんできて』ってさ」


「あんたが大丈夫? 熱でもあるんじゃないの? すごい汗かいてるし」


 もはや自分でも何が何だか分からなくなって収拾がつかない。

 最初の不意に出た一言の嘘のせいで底なしの沼に足を取られたように抜け出せなくなってきたな。


「もう行こうアリサ。察してあげなきゃダメだ」


 エミリオがアリサの肩へ手を置くと諭すように語りかけた。


「ファリスは二人の時間を大切にしたいんだよ。だからリリィさんが戻ってくる前に僕達は姿を消さないと」


 よくぞここで口を開いた!

 さすがは酒を酌み交わした友だけのことはある。


「そう……なの?」


 なんでそんなに寂しそうな目をするんだよ。

 そりゃ仲間外れみたいにするのは心苦しいけど、実際にリリィはここにはいないんだし、頼む! 早急に他の場所へ行ってくれ!


「あら? 少し離れてる間に何だか賑やかになってるわね」


 背後の人物を見て二人は目を丸くする。

 そして俺はさらに汗を噴出しながら、ただ地面を見つめることしか出来なかった。


「あの、ファリス……そちらの方は?」


 まさに恐る恐るというふうにエミリオが問うてきた。


「えっと…………リリィです」


「違うでしょ」


 アリサの冷たく鋭い視線が突き刺さる。

 だが、俺にはこの程度はまだ始まりにすぎないという予感がしてならなかった。

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NIGHT LYNX【ナイトリンクス】~Hope of the moonlight~ 宗岡 シキ @shiki0603

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