第20話 ウェンディの誘い
夜遅くに女性を自宅に招くのもどうかと思うが、だからといって外で立ち話……もしくはその場で追い返すのもあまりいい対応とも言えないからな。
俺は仕方なく前者を選択した。
幸い家の中には最低限の物しか置いていないから、男の一人暮らしにしては綺麗にはしてある。
単に揃えられないだけとも言えるけど。
窓際に置いて昼間のうちに光を吸収させていたリラン光石が入った照明具で部屋を灯してから、椅子に座るように促す。
しかしウェンディはそれを聞かずにベッドに腰掛けてから足を組んだ。
「コーヒーか紅茶しかないけど、どっちがいい?」
歓迎はしていないが何もおもてなしをしないというわけにはいかない。
丈の短いスカートを履いていたから、つい目がいってしまったのを誤魔化したという理由も否定はしないが。
「お酒はある? せっかくだから久しぶりの再開に乾杯しましょうよ」
「ないよ。酒は進んで飲まないから」
「そう、残念。なら紅茶をいただこうかしら」
上等な茶葉ではないから口に合うかは分からないけど。
リプセット家は商業ギルドの中ではガーディナー家と双璧を成すほどの名家だからだ。
こんな俺でもいつかは使うだろうと思って用意しておいた来客用のカップ。
使うのはアリサとリリィに次いで三人目。
まさかあの二人以外に使わせる日が来るとは思ってもみなかった。
「あら、結構おいしいじゃない。あまり馴染みのない香りだし、何ていう茶葉?」
一口飲んで感心するウェンディだったが、俺だって名前は知らない。
もともと詳しいわけじゃないし、たぶん市場で買う時に聞いたかもしれないけど覚えてはいない。
一番安いやつというくらいしか。
「ふーん、なら淹れ方が上手なのね」
もう二口三口飲んでからナイトテーブルにカップを置くと、ウェンディは自分が座っているすぐ横を手でポンポンと叩く。
「ねぇ、そんなに離れてないでもっと近くに来てよ」
俺は部屋の真ん中に置かれたテーブルと共に備え付けてある椅子に座っていた。
だけど別にここでもいいだろう。
狭い部屋なんだから、どこにいたって会話は出来るんだし。
「それで俺に何か用? 疲れてるから早くお引き取り願いたいんだけど」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない。こんな時間に訪ねてきたのは謝るわ。とは言っても結構な時間帰りを待っていたんだから大目に見てよ。それに――」
ウェンディは後ろに手を付いて体を少し仰け反らせて、微笑みながら首をかしげる。
「用事がなければ会いに来てはダメ?」
わざとらしいアピールだと分かっているのに、情けないことに男としての如何わしい感情が込み上げてきた。
言い訳をするつもりではないが、実際にウェンディは女性として誰が見ても魅力的だろう。
容姿はもちろんのこと、時節見られるさり気ない仕草も艶かしい。
それでいて面倒見がよくて、異性同性問わず自然と人が集まってくるんだから完璧と言ってもいいくらいだ。
だけど俺とは性格が合わないのか、育ちが違うからか、彼女と一緒にいて特別な感情を抱いたという記憶はない。
寧ろあの頃は、その性格ゆえに疎ましく思っていたところもあったかもしれない。
学園で俺がデリック達に絡まれていた時にいつも間に割って入っていたのはウェンディだった。
さすがのデリックもリプセット家の人間が相手では強く出られないし、ウェンディに敵対するということは女子生徒のほとんどの反感を買うことになる。
「また女に助けられてるのかよ!」という罵声を背中に浴びながら、その場を収められていた時の思いは俺を惨めにさせていた。
例え彼女が厚意で行っていたとしてもだ。
告白をされた時にあまりいい返事をあげられなかった理由、そして卒業が間近になるにつれて疎遠になった要因の一つにはそれがあるのかもしれない。
だから早く帰ってほしいというのも疲れているからというだけではない。
今さらどんな顔をして、どう接すればいいのか分からないんだ。
向こうは気にする素振りを見せてはいないが、実際は今の沈黙をどう思っているのか。
「ダメというわけではないけど……」
無音の空間よりはマシだろうと思って、とにかく口を開いてみる。
それにこれは本当に気になっていたことでもあるし。
「あまりにも唐突すぎて正直戸惑っているんだ。本当は何かきっかけがあったから来たんだろう?」
ついさっきまでは必要以上に喋っていたくせに、ウェンディは俺の質問には答えなかった。
その代わりにもう一度自分の隣、ベッドの空いている場所に手を添える。
「ここまで来たら教えてあげる」
一体何がしたいんだ?
お互いに噛み合わないというのは既知の事だが、いくら深読みしてみても考えが及ばない。
だからだろうか、俺はウェンディの言葉に従ってベッドに腰掛けた。
本人に直接教えてもらうしかなさそうだったから。
「ファリス、私のことが嫌い?」
隣まで来ても尚、前を見据えたままの俺にウェンディは顔を覗き込んで聞いてくるが、その言い方はズルいと思う。
人と人の関係なんて単純に二分できるものではないじゃないか。
だからこそ俺は思いあぐねて、言葉を詰まらせてしまった。
「言いたいことはよく分かるけど、ズルいのはあなたの方よ。だって私はちゃんと想いを告げたのに、返ってきたのは今みたいな曖昧な言葉だったじゃない」
当時俺がウェンディに伝えたのは「友達からだったら」なんて、およそ男らしいとは言えない青臭いものだった。
その理由は様々だ。
ひとつはウェンディとはほとんど喋ったことがなかったから。
しかも学園で一番の人気者、言わば自分とは真逆の人間。
そんな少女から告白をされるなんて、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまった。
それにもうひとつは、俺にはずっと好きな人がいたからだ。
仮にその時点でウェンディといい関係が築けていたとしても、その事実がある限り上手いこと続くわけはない。
ここまで理由があったのにも関わらず、キッパリと断れなかったのは自分なりの相手への配慮でもあった。
かえってそれが失礼にあたるということも知らずに。
それはまだ俺が子供だったからか、男女の在り方というものに疎かったからか、そんなところだとは思う。
ウェンディは意図的にだろうが、大きなため息をつくとその場に立ち上がった。
「だから今日ここに来たのはあなたのせいでもあるのよ。私の中ではまだ決着はついていないんだし、最後はあんな別れ方をしちゃったんだから」
その言葉によって心にチクチクと突き刺されていた針がグッと一気に押し込まれた感じがした。
ウェンディと最後に話したあの日、俺は彼女の頬を平手で思いっきり叩いてしまったからだ。
「もし悪いと思っているなら明日は私に時間をちょうだい」
感情を気取られたのか、顔にありありと出てしまっていたのか、何かを要求をするにはこのタイミングは効果的だ。
だけど生憎と俺はもう暇というわけではない。
「明日は仕事があるから無理かな。しばらくは忙しくなるし」
そんなこと実際には分からないんだけど。
しばらくあやふやにして上手く話を流そうという魂胆だ。
「だったら仕事が終わってからでもいいわよ。夕方の6時にメルナク通りの入口の噴水前に集合ね」
一方的に詳細を告げながら玄関まで歩いていくウェンディの背中に、俺は慌てて言葉を投げかけた。
「行けるかどうかなんて分からないぞ! 残業だってあるかもしれないんだから」
「大丈夫、来てくれるまでずっと待ってるから。それじゃあね」
外へ出る間際に振り返ると、笑顔のまま突然の訪問者は去っていった。
そういえば言われた通りにしたのに、結局ここに来た真意は何だったのか教えてもらえなかったような。
しかも上手いこと会話を誘導されていたようにも感じたし。
やっぱりウェンディとは根本的に噛み合わないというのはいつまでも変わらないんだろうか。
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