第19話 正義と悪の境界線

 最大限の警戒を払うべき相手であった鉄皇団の副団長。

 こんな形で顔を合わせることになってしまうとは思ってもみなかった。


 俺は何とか動揺を隠すことに努めていたが、冷静になって考えれば正体がバレているわけではないんだ。

 ならば変に意識しない方が自然な振る舞いが出来るだろう。

 かなり難しいとは思うけど。


「それで、どうしてアレクシス様の息子がこんな所に?」


「それはね、今後は私がこの子の面倒を見させてもらおうと思って」


「そういえば聞いたことがあるぞ。何でもいろいろと大変な境遇だとか」


 いや、就職したくて面接に来ただけなのに、いつの間にか話がかなり歪曲しているなぁ……

 でも一つだけ会話の中で俺の心に平静を与えてくれる事があった。

 それはどうやらオリヴィアさんの耳にも俺が生まれつき魔力がなくて体が弱いという話が入っていたということだ。

 これならあの人並外れた身体能力を持つリンクスが、まさか目の前の男だとは夢にも思わないだろう。


「とは言っても、自ら重荷を抱えたがるこいつの趣向はいつまで経っても理解できん。それよりも頼んでいた作業は終わっているのか?」


「ええ、もちろん。でも姉さん、最近はうちに剣を預ける頻度が増えたんじゃない?」


「何事も常に万全にしておかねばならないからな。そうでなければあのすばしっこい野良猫を捕らえるなど、とても無理だろう」


 眉を寄せ、目付きを一層鋭くするオリヴィアさん。

 それを見て表情では我関せずを貫いていたが、実は背中に変な汗をかいていた。


「あの……ひとつだけいいですか?」


 本来ならばこの場は口を噤んでやり過ごすべきなんだろう。

 でもこの機を逃すともう二度と聞くことが出来ないと思ったんだ。


「どうしてリンクスをそこまで目の敵にするんですか? 他にもっと率先して捕まえるべき犯罪者はいますし、むしろ彼の活動はその手助けになっていると思いますが」


 オリヴィアさんは眉間に深いシワを刻んだ後に、大袈裟なくらいのため息をついた。


「いや、今の仕草に不快な思いをしたのなら謝ろう。申し訳ない。一般市民である君が今の彼の姿に希望を抱くのは当然のことであるのにな」


 オリヴィアさんの謝意は心の底からのものだと感じられるあたり、本当に思わず表面に出てしまった反応なのかもしれない。


「ファリス、君は正義と悪の違いは何だと思う?」


 急な質問に俺は一瞬固まってしまったけど、返答しようとすぐに口を開こうとした。


 ――だが、そこから言葉が出てくることはなかった。

 俺は何も言うことが出来なかったんだ。


 頭では分かっているはずだった。

 それでも実際に誰かに対して説明するとなると明確に表すことが難しい。


 どうすればいいのか分からなくなっていた俺は、体を硬直させたまま目を泳がせていたかもしれない。

 その様子にこれ以上は時間の無駄であると判断したのか、オリヴィアさんが自ら質問の答えを示した。


「あくまで持論ではあるがな。それはシンプルにどちらがより多くの支持を得ているかというだけに過ぎないのだ」


「支持……ですか?」


「そうだな、とある世界征服を企てる悪とそれを阻害する正義の味方がいたとしよう。だがある日突然、全ての民衆がこれまで悪としていた者の支配を望むようになったらどうなる? たちまち立場は逆転して、それを妨げる正義の味方が悪と成り果ててしまう」


 頭の中でその局面を想像してみると、オリヴィアさんの言わんとしていることは何となく理解できた。


「つまり正義と悪の境界線というのはすごくハッキリとしているが、同時に酷く変則的なものだ」


「それはリンクスがいずれはそうなる可能性があるということですか? だとすればあまりにも極論すぎるのでは?」


「そう思うのも無理はない。言ってしまえば我々だって、いや……この世に生を受けた全ての者がそこに当てはまるのだからな」


 言い出したらキリがないということだろう。俺も同じ意見だ。

 だけど、どうやら仮面の男は例外だと考えられているらしい。


「奴のように大きな力を持った者の場合は秩序の外にいること自体がこの街にとって脅威なのだ。いざリンクスという猛獣が牙を剥こうとした時に、首輪でもつけていれば制御も容易いだろう」


 鉄皇団が飼い慣らすと? 自由でいることが彼の罪だとでも言いたいのか? そんな利己的な考えがまかり通るわけがないじゃないか。


「それ以前に勝手な自警行為そのものが許されはしない。これだけでリンクスを捕縛する理由としては十分だ。それにしても――」


 熱弁を振るっていたオリヴィアさんは話を切り替えると、一度俺の足先から頭の上まで順に視線を送る。


「君はまるで自分のことのように話すのだな。よほど奴を狂信しているということなのか」


 しまった! どうやら感情的になってしまったせいで少しばかり食い気味な話し方になっていたか。


「うちの新しい従業員を弄るのはそこまでにしてくれや。オリヴィア」


 二人の会話に割って入ってきたのは、今までずっと奥の工房で作業をしていたと思われるドーインだ。


「ほれ、ちょうど今終わったところだ。タイミングがよかったな」


 自分の剣を受け取ったオリヴィアさんは、鞘から抜いて念入りに確認をした後に満足気に頷いてから収める。


「見事な出来栄えだな。もうここ以外には任せられなくなるほどに」


「へっ! 元より手を抜く気はねぇが、ほんのちょっとの半端な仕事でもお前の目はごまかせねぇからな」


 オリヴィアさんは「当然だ」と言わんばかりに鼻で笑うと、仕上がったばかりの剣を布で包んで肩に担いだ。


「今回も世話になったな。まぁ、またすぐに顔を出すつもりだが」


 パイプを咥えながら苦笑いをするドーインから目を離すと、ソフィアさんにも軽く挨拶をしてから最後に俺へと顔を向ける。


「君との討論がまだ途中であるのが心残りではあるが、決着をつける機会が訪れるのもそう遠くはないだろう」


 そう言って不敵な笑みを浮かべるとオリヴィアさんは店の扉を開け、外で待機していた二名の団員と共に帰路についた。


「ごめんなさいね、ファリスさん。姉さんは自分の主義主張がしっかりとしているんだけど、その分盲目的で融通が利かないところがあるから」


 肩を竦めてからやれやれといったように首を振るソフィアさんに、俺は聞いておきたいことがあった。


「その……ソフィアさんは知っているんですか?」


 一応濁してみたのは自分の正体についてのことだからだ。

 ドーインが全てを把握していたということは、もしかしたらソフィアさんもなのかと。


「はい。私もメルリエルさんとは親しくさせていただいてますし、ドーインさんのお手伝いをする都合上どうしても……」


 俺の言葉の意味を察したソフィアさんは静かに頷いた。

 だとするとオリヴィアさんとの関係を考えれば非常に気掛かりになってくることがあるな。


「その事については姉さんはもちろん、誰にも口外するつもりはないので安心してください。そうは言っても気休めにしかならないと思いますけどね」


 全く信頼していないわけではない。

 しかしこの秘密が自分にとってどれだけ重要な事かと考えれば口約束だけでは不安が拭えないのも確かだ。


「それに、ファリスさんには姉さんを止めてほしいんです」


 オリヴィアさんを? どういう意味なんだろうか。

 ソフィアさんの表情もどことなく憂いを帯びているような。


「姉さんが規律に則った正義を極端に重んじるのは何も最初からというわけではありませんでした。まだ駆け出しの団員だった頃に起きたある事件を境に変わってしまったんです」


「ある事件ですか?」


「ええ、その時にとても大切な人を失ったみたいで」


 何だかオリヴィアさんと言葉を交わしている時には執念じみたものが感じられた。

 それほどまでに至るとは一体どんな事件だったのか。


「必要以上には話してくれないので詳しくは知りませんが、とにかくそれからの姉さんはどこか危うくて見ていられないんです。たくさんの実績を残し若くして今の地位に上り詰めましたが、同時に凄まじい勢いで自分をすり減らしているようで」


 ソフィアさんは俯いて、エプロン越しにロングスカートを摘む両手にグッと力を込めた。

 しかし期待されたとしても、何も知らない俺がオリヴィアさんにしてあげられることがあるとは思えないのだけど。


「今のままでいてくれればいいんです。何ものにも縛られない自由なリンクスであれば、きっと姉さんにも伝えられることがあるはずです」


「今のまま」か。

 いつまでも変わらずにいるということなんだろうけど、もしかしたら一番難しい注文を受けてしまったのかもしれないな。


「よし! 今日はスティールフォートに新しいメンバーが加わっためでたい日なんだ! 湿っぽい話はここまでにしようぜ」


 ちょっとだけ重くなった空気を払拭するようにドーインが手を叩いて一度大きな音を鳴らした。

 そういえばさっきもさり気に口にしていたっけ。「新しい従業員」とか。

 それはひょっとして雇ってもらえるということでいいのかな?


「俺はもとよりそのつもりだったからな。ソフィアの方はどうだ? 実際に面接をしてみて」


「私の方も異論はありません。尤も初めに言ったダメ人間のままでいてほしいというのは本気ですけどね。ふふ」


 ソフィアさんの目が少し前までのものに戻り、俺は一瞬背筋に悪寒を感じた。

 そんな一抹の不安を感じるも、とりあえずは無事に職を見つけることが出来たというわけだ。



 ◇



 今日の仕事が終わった後にはドーインとソフィアさんが酒場で歓迎会を開いてくれたので、帰りがすっかり遅くなってしまった。

 ここ最近は連続して誰かしらと外で飲み食いをしているけど、一人寂しく食卓を前にするよりずっといい。

 いつにも増して食事が美味く感じるのは体質の改善だけじゃないのだろう。


 そんな思いに耽ったまま自宅が見えるところまで来ると、玄関の前に誰かが立っているのに気付いた。


 こんな時間に来客か? それも女性だ。

 今日だけで対面するのは三人目か、やたらと多いな。

 だけど今度は初めて合わせる顔ではない。俺がよく知っている人物だった。


「ようやく帰ってきたわね。根気よく待っていた甲斐があったわ」


 腰まで伸びたダークブラウンの長い髪、珍しいグリーンアイが特徴的な同い年の女性、ウェンディ・リプセット。


 学生時代の同期で……生まれてから初めて、そして唯一の、俺に告白をしてきた女性でもある。


 しかし卒業してから3年もの間、一度も会うことがなかったのになぜ今頃……?

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