第2話
走る二人が向かう私立I.P.S高等専門学校は、秀の家から徒歩で20分ほどの距離にある。
8時28分、秀と彼女は校門をくぐり、遅刻を免れた。この学校での校門遅刻の時間は8時30分なので、2分の余裕があったことになる。
「だから、そんなに急がなくても大丈夫って言ったでしょ?」
秀は方で息をするほどに呼吸が乱れている。彼女も平静を装っているが、かなり息が荒い。
「それは結果論だ。途中で信号にひっかかって遅れていたかもしれない」
視線を合わせようとしない当たり、彼女は言い訳を言っているのだろう。
「途中で信号は無かった気が……いやまぁ、いいけど。君、手、離さなくていいの? みんなに見られてるよ」
彼女は急いで周囲を見まわし、皆が注目していることに気づくと、握っていた手を乱暴に振り払った。
「別に、そういう意味で手をつないでいたわけではない。ただ、お前が変な奴に絡まれているのを見て、人としてほおっておけなかっただけだ。私はああいう自分を特別な何かだと思って他人を差別する奴が嫌いなんだ。だから、お前を助けてやっただけだ」
「そう。じゃあ、礼を言っておかないとね。感謝してるよ」
彼女はその言葉を聞くと歩き出した。秀がそれに続き、二人は並んで歩く形になり、校舎に入る。ちなみに、この時代の学校の校舎には土足で入るのが基本だ。上履きという物に履き替える習慣は無い。
彼女が独り言のように話す。
「私は気に食わないが、お前はこの学校でも今朝と同じような目に会うのだろうな。なんせこのご時世だ。加えて、ここは創立してから10年間、男子生徒は一人もいなかったらしいからな」
「らしいね。でも、僕以外にも、もう一人男子生徒が今年は入学してるみたいだよ」
「そうなのか。なら、お前はそいつと仲良くしないとな。そういえば、お前の名前を聞いてなかったな」
「狭間秀。秀は秀でるという字だよ」
「では狭間と呼ばせてもらおう。いきなり下の名前で呼ぶのは失礼だからな」
「う~ん、できれば名字はやめてほしいかな。別に、家族が嫌いとか、反抗期とかじゃないんだけど、色々あってね」
「なんだかわからんが、それなら秀と呼ぼう。お返しに教えておこう。私の名は柳原燈火だ。私は名字で呼ばれても名前で呼ばれても、どちらでも問題ない」
「じゃあ、燈火で。呼びやすいからね。よろしく、燈火」
秀は先ほど握られていた左手を差し出す。
だが、燈火はその手を取らずに背を向けて歩き出してしまう。
「人が見ているだろうが、バカ」
顔を一切秀に向けずに話していた。燈火は恥ずかしくなったら、相手に表情を隠す癖があるのだろうか? などと秀は思ったが、口に出さない。秀は思ったことを割と口に出すタイプだが、憶測をそのまま口に出してしまうほど馬鹿ではない。
「そうだったね、ごめんごめん。人前で燈火とむやみに触れあわない。覚えておくよ」
「私のクラスはここだ。じゃあまた」
話しながら歩いていた二人は気付けば1年3組とプレートに書かれた教室の前に来ていた。
「奇遇だね。僕も3組なんだ。ホラ、事前に郵送されたプリント」
秀はそう言ってプリントを取り出し、自分の名前が1年3組の欄にあることを示す。
「クラスに珍しい男の名前があったら、覚えたりしないの?」
「さっきも言ったが、私は男とか女とか気にしないタイプだ。男性の名前があっても意識なんてしない。それに、名簿に載ってる人たちとは殆どが初対面なんだし、名前だけ見ても何も分からないだろうから、元から自分の名前以外見てない」
「確かにそうだね。僕も、燈火の名前が同じクラスの欄にあることを今の今まで気づかなかったわけだし」
教室の入り口で立ち話をしている二人に声がかけられる。
「ほら、二人とも、もうすぐホームルーム始まるわよ。席について」
少し若い教師に急かされ、二人はそれぞれの席に着く。
若い教師は全員が着席したのを確認した後に、黒板に自分の名前を書いた。
「では、自己紹介をしたいと思います。このクラスの担任の中川さおりです。好きな物は美味しいラーメン、嫌いな物は口うるさい上司。少しおっちょこちょいなので、みんなに迷惑かけちゃうこともあるかもしれないけど、よろしくね。楽しくお勉強しましょう」
教師にしては陽気で軽いノリの挨拶が生徒たちの空気を和ませる。彩度の高い赤色の縁取りの眼鏡からしても、まだまだ若さが残る年頃であることを印象付ける。
「次に皆さんの自己紹介……と行きたいところですが、その前に。この学校の創立者であり、『I.P.S』の開発者である狭間慶さんから挨拶のビデオがあります」
教室内がざわめく。
「ああ、ちがいます。これはそんなに最近の物じゃないです。7年前に録画されたのですが、数日前に届く様になってるメールに添付されてただけです。そして今日ここで再生するように指示があったので、今から動画を再生します。残念ながら、狭間慶さんの消息は3年前から掴めないままです。慶さんの息子である秀君は何か、手紙のような物でも貰ってないのかしら?」
クラス内の視線が一斉に秀に集まる。
「いえ、TVなどで報道されている通り、『ちょっと会えなくなる』という置き手紙以外ありませんでした。元から、父はいつも家を空けていてほとんど会っていませんでしたけどね」
さおり先生は素直に落胆の表情を見せる。
「残念、やっぱり家族にも何も無いのね。男の人って冷たい生き物なのかしらね。じゃあ、ビデオを流しますね……あれ? これどうやるのだったかしら? すみません、スクリーンの使い方を春休みの間に忘れちゃったみたいで。事務員さん呼ぶから、静かにまっててね」
中川先生はそういうと、恥ずかしさを笑ってごまかしながら足早に教室を出て行った。
「おい、おい秀」
先生が居なくなった隙を見て、燈火が秀に話しかける。
「お前の“狭間”って、『I.P.S』を作った、狭間慶の息子の狭間だったのか? それならそうと早く言え!」
「君は僕が狭間慶の息子と知っていたら、今朝は僕が疲れない程度の速さで走ってくれてたのかい?」
「別にそういうわけじゃないが……」
「それに、僕が誰かと会うたびに一々『狭間慶の息子の狭間秀だ』なんて言ってたら、親の名前を借りて生きてる嫌な奴みたいじゃないか」
「……」
燈火は言い返す言葉が見つからない。
「分かってくれたならそれでいいんだ。僕が住んでた島では父親の件で男性からは嫌われ、女性からは妙に優しくされて、ずいぶん息苦しかったからね」
「ああ、だから名字で呼ばれるのを嫌がっていたのか。お前も、色々あるんだな」
「そりゃ、このご時世、トウキョウほどの男女比の偏りが無くても、男なら何かしらあるものだよ」
そうこう話してるうちに、先生が用務員さんを連れてきて、教卓のパネルの操作を始める。
すると、スクリーンに髪の毛が跳ね散らかった、白衣姿の男性が写しだされた。
「どうも、みなさん御入学おめでとうございます。『Imaginary Power Spirit』通称『I.P.S』の開発者である狭間慶です。わかってると思いますけど、『iPS細胞』とは何の関係もありませんからね」
『I.P.S』とは、ゲームセンターなどに置かれているゲームのタイトルのことである。『I.P.S』は多人数参加型想像対戦アクションゲームであり、13年前にプロトタイプが開発されてから、プレイ人口は莫大に増え続け、世界中で絶大な人気を誇っている。
また、『I.P.S』は特殊な仮想空間『マトリックス』でプレイヤー自らの想像力を世界に反映することができ、そのシステム自体も『I.P.S』と呼ばれる。
『I.P.S』が登場して以来、次世代の技術として注目されている。『I.P.S』によって、複雑なシステムの視覚化ができ、感覚的操作で即座にシステムのバグチェックや、ウィルス撃退が可能になる。それだけでなく、人間の脳とコンピューターが直接リンクすることによって、人間の脳のブラックボックス部分を解き明かすことができるのではないかと注目されている。中でも、量子脳理論を解き明かすことにより、脳をコンピューター化させたときの情報伝達の超光速化、さらには脳の休眠部分のみを使用したグリッドコンピューティング(ネットワーク上の多くのコンピュータをつなぎ、一つのコンピュータのように使うこと)の完成に多大なる期待が寄せられている。
それにより、近年徐々に衰退してきた技術力の復活、もしくは新たな技術の発見を学者たちは望んでいる。また、一般的な人間、特に若者の間ではマトリックスでのスポーツも徐々に人気が出てきている。中でも、開発初期の目的であった単純にマトリックス内で戦うというゲームは一番の人気である。
「おそらく、2×15年現在で人気の仕事は『I.P.S』に関わったものが多いだろう。国立I.P.S高等専門学校に通う君たちの使命は『I.P.S』を使いこなすことだ。『I.P.S』を使いこなすようになるには、ゲームとして『I.P.S』のマトリックスで、実際に力の使い方を学ぶのが一番だ。だから、授業をできるだけ多くマトリックス内で行っている。どこかのお固い人達は、ゲームをする学校だなんてとんでもない。なんてバカなことを言ってきたがね」
狭間慶は苦い物でも口にしたかのような仕草で、開校当初、さまざまな苦労があったことを感じさせる。
今では『I.P.S』の重要性が世界的に認知されている。そのために、ゲームであろうとも、『I.P.S』を教材として用いるのは当然という考え方が広まったが、以前はそうではなかった。朝に秀が出会ったような人間は、みな反対の色を示していた。
「今じゃ『I.P.S』は国際的な政(まつりごと)を取り仕切る際にも使われ始めている。この前ヨーロッパの国が鉱山の利権でモメてて、それを『I.P.S』の勝ち負けで取り合いをしたんじゃなかったかな? そのうち、戦争の勝ち負けを『I.P.S』の勝ち負けで決めたりする時代がくるかもしれん」
狭間慶の予想通り、2×13年にアフリカ大陸の北部の砂漠地帯での内乱で、『I.P.S』の決着によって政府の解体、もしくは反乱軍幹部を差し出すといった内容の賭けが行われた。しかし、貧困している民間人に『I.P.S』を使うための専用媒体『I.P.S.Conecter』の数を揃える経済力は無かった。『I.P.S.C』が無ければその戦いにアクセスすることができないので、政府軍の圧倒的な数の力で反乱軍が敗北した。
「さて、そろそろ本題に移ろう。私がなぜこのビデオをこの時期に見せるように指定したのか。それは狭間秀。我が息子が入学するからだと皆は思っているだろう?」
教室の中の人間は心の中でその問いかけに頷いた。
「だが、違う。秀はこの学校に入学できるほどにはイマコンを使えると信じているが、これから伝える言葉の重荷を背負わせるほどの力があるとは思っていない。だが、我が息子秀よ、お前は私が与える重荷を背負う人になれなくとも、その背負う人を支えてやってほしい」
画面の中の狭間慶が生徒たちに指を突きつける。
「本郷院魁人(ほんごういんかいと)。お前に人類消滅の危機からこの世界を救ってほしい」
教室中の視線が最前列に座る金髪の男に集まる。
本郷院魁人、体は細めで、ライオンのタテガミのような髪形が特徴的。ツリ目が狭間慶を睨む。
「あ? 見ず知らずの人間にいきなりお願いとか冗談もほどほどにしろよ」
魁人が椅子から立ち上がり反論、モチロンこちらの声は時空を超えて相手に聞こえるわけなど無いのだが、魁人は気にしてないようだ。
画面の中の狭間慶は話しを続ける。
「人間は男性と女性の両方が居て初めて人間だ。片方しかいないのなら、それは人間ではない。何も私は、すべてのもが自然のままであれ、人の行為だけが自然の摂理から外れた特別なものだと言うわけじゃない。人間は男だけでは不十分であり、女だけでも不十分なのだ。現に、男性人口が急速に減り始めたここ100年で技術的に退化している分野が多く存在する。また、新たな技術を確立した人間の9割以上が男性だ。女性だけでは、いずれ石器時代に戻ってしまうかもしれない」
狭間慶の女性に対する偏見が教室をざわつかせる。
録画したデータなので当然なのだが、狭間慶はそれを気にせず話を続ける。
「もちろん、これは言いすぎかもしれない。だが、少なくとも私は男だ。男が居なくなった人類など、男からしてみれば種が途絶えたのと同じことだ。運よく、『I.P.S』は筋力が男性に比べて弱い女性でも対等、もしくはそれ以上に戦えるので、世界的に『最も近代的で文化的な戦いができる競技』として認知されている。つまり、『I.P.S』で世界一強い人間が男性なら、男性の知力、想像力、忍耐力の高さを知らしめることができ、男性の必要性を決定づけることができるだろう。本郷院魁人、お前はI.P.Sで世界一強くなれ」
「いやだからオッサン。そんな大仰なことを頼むんだったら直接頼めよ。しかも、代わりに何か金くれるとか無いのか? やる気起きねぇぞ」
「私が伝えたかったのはそれだけだ。人類の未来を頼んだぞ、本郷院魁人」
「オッサン、マジ話聞けよ。俺専用のハレムを用意するとか、そういうご褒美を用意しないとやる気出ねぇぞ」
「ああ、もしかしたら魁人君は褒美を欲しているかもしれないね。でも、それは君が一番強い男になった時には自然と手に入るものなんじゃないだろうか?」
魁人は慶の言った通り、一番強い人間になり、権力を持ち、男性の存在の優位性を示した暁には、必然的にハレムを持ち、自分の子を多く作る必要が出てくる。図星であるがゆえに、魁人は反論しない。反論したからと言って、声は届かないのだが……
「それでもやる気が出ないなら仕方ない。前払いとして、ウチの娘を好きにしてもいい。服をひっぺがそうが、おっぱい揉もうが、好きにすればいい」
「え、マジ?」
「それではみなさん。これから毎日勉強を楽しく頑張ってください。さようなら~」
慶がそういうと動画の再生が終わり、スクリーンが片づけられる。さきほどのメッセージに対してクラス中が思い思いの会話を始める。
その時、窓際一番後ろの席の秀は、
「おい秀あいつは誰なんだ?」
燈火に話しかけられていた。
「あれは現在最年少で『I.P.S』を動かした記録を持つ男、本郷院魁人。たしか7歳の誕生日だったはずだよ」
「7歳だと? 『I.P.S』は精神的にある程度安定して、自我を確立してからでないとプレイに危険が及ぶ。だから起動時に思考は成熟しているか、精神状態が安定しているかなどのチェックがかけられ、それをクリアしないと動かせないんじゃなかったのか? 私もかなり早い方だったが、10歳と2カ月の時だったぞ」
前で先生がまたもスクリーンの操作で手間取っているのを良いことに、二人の会話は続く。
「僕は14歳と8カ月だった。『I.P.S』を起動できる平均年齢は女性で14歳3カ月、男性が15歳と10カ月。このことからも、女性の方が『I.P.S』との相性がいいという研究結果が出ているらしいんだけど、そのハンデを跳ね除けて彼は最年少で『I.P.S』をプレイしたというわけだ」
「そんなに凄いやつだったのか……」
燈火が素直に驚きの声を上げる。
「燈火、本当に知らなかったの? 彼の名前と顔は何度もニュースに出ているよ。彼の父は超高層ビルを何本も建てるような大企業、HONGOの会長の本郷院正敏だし」
さすがにここまで来ると自分の無知が恥ずかしくなったため、燈火は顔を赤くしながら言い訳を始める。
「わ、私は男がどうとか、差別的な物は気にしてないからな! それに、TVのニュースは印象操作が多いからあまり見てないのだ」
「いやいや、確かに差別的な意味でも気にしてる人もいるだろうけど、これは常識の問題でしょう……TV以外でもいくらでも知る手段はあるわけだし」
無知を指摘され無理やりごまかす燈火に少し呆れる秀だった。
だからと言って、秀は本当に燈火に対して呆れかえったりはしない。彼女が人前で自分の腕を握ってくれたことは、誠に男性に対しての差別が無いことを示す。それを見逃して、このような小さなことで他人を阿呆だと決めつけて遠ざけてしまうほど秀は愚かではない。
I.P.S 伊藤しげる @itoushigeru
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