トゥトゥは三周年を祝いたい。

東洋 夏

トゥトゥは三周年を祝いたい

アルマナイマ星のセムタム族。

海洋放浪民と汎銀河共通語では語られる。

(略)

彼らの結びつき――家族、長老を軸にした島域ないし海域による結束、職能にまつわる定住――は私達の感覚よりもごく軽い。

しかし、だからといってセムタム族が他愛の感情に欠けているかといえば、むしろ逆である。

彼らの情の表し方は概して激しく、単刀直入だ。

大海原をカヌーで渡り、特定のテリトリーを持たず、ほぼ独力で生きている人々にとって、

「再び会う」

という、汎銀河系の私たちには当たり前と思える状況は、まったく保証されていない。

私にエタリ・ラコポゥという偉大なセムタムが語った言葉によれば、セムタム族は、

「情は風に似る。ひとときたりとも同じ風が吹くことは無く、良い風を捉まえるには躊躇なく帆をはらねばならない。心も同じだ」

と考えているという。

だから商売も恋愛も憎悪すらも、一目会ったその時に成し遂げなければならないとセムタム族の思考回路には刻まれているのだろう。

先達の研究者たちの浅慮によって、セムタム族が野蛮で短気で無愛想だというイメージが流布しているのは誠に遺憾である。



※『海洋放浪民の世界』(著:アム=アカエダン)より引用。




雨季から乾季へ移り変わる二十六月巡目、<龍、風に乗るイティ・フーフ・ファル>の節気。

島には緩やかな南風が吹いている。

エタリ・ラコポゥが、殊の外、好きな季節であった。

湿度は低く、気温はからりと高く、飛龍の掻きまわす空からは恵みのスコールが落ちてくる。

このころ飛竜たちは恋の季節を迎え、昼夜を問わず雲の合間でも空の低いところでも、彼らの鳴きかわす声が響き渡る。

セムタム族は、むつみ合い、あるいは恋の死闘を繰り広げる龍たちの下で、羽毛や鱗のおこぼれに預かろうと待ち構えた。

海は温暖で、ラグーンの内海には大型の魚が転換する季節流に乗って入ってくる。

島暮らしの人々――幼子を連れた家族、体力を枯らした老人、そして敬虔な龍の司祭にとっては大いなる収穫の季節である。

エタリはこの時期のさざ波に揺られていると、自分たちセムタム族が神話の通り、大海原にまします海龍神の海の幼子セムタムであることを、はっきりと感じるのだった。



トラパティ島で海龍神の司祭を勤めるエタリの日課は、彼自身がそうであるように、静謐である。

夜明けの礼拝と夕暮れの礼拝の合間に、ラグーンへ出て、時には遠洋まで足を伸ばして、漁獲をする。

魚や貝、大型の肉食亀や海獣、小龍。

それは彼の食料であり、同時に島に暮らす弱者への配分でもあった。

セムタム族は定住を嫌うが、身体的に海での暮らしが難しい者は島に寄り集まって暮らす。

龍の司祭たちはそれらの人々の面倒も見るのである。

また人が集まるので商人らも集まり、そして商人らを目指して他のセムタムたちが立ち寄る。

そういった群衆を仕切るのも司祭の役割なのだった。

エタリは食料調達係としても人望を集める司祭としても申し分ない。

カヌーを扱うことにかけて島で一番どころか、セムタム族随一の腕前と言っても過言ではないだろう。

遠洋における速さ、正確性、安定感は勿論のこと、操船知識は既に長老連の上をいっていると評する者もいた。

セムタム社会においてカヌーの扱いが上手いという事は、信頼を得るという事と同義である。

けれどもエタリは驕ることもなければ、司祭の座を蹴って遠洋で華々しく活躍しようという気も無かった。

カヌーに乗るよりも、最近は料理をしている方が楽しいかもしれない。

静かに生きたい。

誠実でありたい。

そしてセムタムの暮らしが平和であればよい。

エタリの願いはそれだけである。



この日も、いつも通りの静かな朝が来て、エタリは島の滝にある祭壇で、海龍神アラコファルとその妻マウメヌハヌ妃に向けて穏やかな祈りを捧げた。

滝が祭壇として選ばれるのは、天と海と地の交わるところとしての意味合いを持つからである。

祈りは、まずイキネという木製の鈴を振り、祝詞と歌で神を讃える。

それが終わると、おふたりへの朝餉として塩焼きのプフ(魚の一種、細長い葉のような銀色の胴体に青緑色の斑点が散っている)を奉納した。

最後は、水に額をつけての黙祈イーファーである。

黙祈イーファーによって祭司は龍神と対話し、そして一日の幸を授かるのだ。

ただいつもと違ったのは、その黙祈イーファーの最中に邪魔が入ったことである。

「痛ってえじゃねえか、この野郎! いきなり殴るってえのはどんな了見だってえんだ、コラッ」

という、島中に響き渡ったであろう罵詈雑言が、エタリの穏やかな祈りをかき乱した。

しかしながら――。

エタリは微笑んでいた。

その太鼓の如き大声、彼のものに祝福を与えた黄金の王と同じように烈火の気性を持ったセムタムのことを、エタリはよくよく知っているからである。

顔を洗って黙祈イーファーを終わらせ静かに拝所から立ち去るころには、罵詈雑言は島の砂の上にずんずんと降り積もるよう、求愛する飛龍の声よりもうるさいほどだった。



「おい、ちょっと……」

「あのなあ俺」

「待ってくんねえか、教えてもらいたいことが……」

エタリは、森の切れ目に立って、彼の奮闘を眺めている。

柄にもないことをするものだ、と思いつつ。

「ああ、ちょっと、そこの、なあ、頼むから……くっそ!」

もう何人目だろうか。

青年が、女性に話しかけようとしてことごとく敗れ去るのは。

トゥトゥ・ララカフィ。

どこにいても目立つずば抜けた高身長と、黒と赤のグラデーションの長髪の持ち主。

抜群のカヌー操船技術と身体能力、および神からの寵愛を併せ持つ男にして、本来ならばセムタム族の中でも大いに尊敬を集めるべき存在であるが、その腕っぷしが強すぎることと、思考が先鋭的すぎるために、かえって疎まれるべき存在として有名だった。

そろそろ彼の堪忍袋の緒が切れる頃だろうと思って、エタリは傍観者をやめる。

彼を彼たらしめる爆発的な、狂気的な暴力の発作を起こされては困るのだ。

ここは聖なる島である。

「トゥトゥ・ララカフィ」

静かに呼びかけると、怒りに吊り上がっていた大男の肩が、すとんと落ちる。

「なんだじじいか」

「エタリ・ラコポゥ」

「知ってる。俺がじじいって呼びたいからじじいって言ったんだよ」

ふん、とトゥトゥが鼻を鳴らした。

この物言いがセムタム族の中でも彼を疎ましめる。

恐らくは率直すぎるのであろう。

飾らないのは良いことだが、<過不足を求めるなかれ、均衡を貴ぶべし>とするセムタム族の考え方には馴染まない。

エタリは別に構わないと思っている。

それが彼の生き方であるならば。

「お前は何をしに来たのだ」

問うと、トゥトゥの眉がきゅっと上がった。

途端に険が消え、愛嬌のある顔になる。

「俺と同い年くらいの女が、何を好きなのか聞きに来た」

エタリは思わず噴き出した。

「あっ、じじい! 笑うんじゃねえよ! 俺は真剣なんだ」

「わかっている。必死さは伝わる」

「うううううるせえなっ、ちくしょう」

トゥトゥは地団駄を踏んだ。

扱いにくい駄々っ子の様相である。

「聞いてどうする」

「ドクに」

ここで急に声が小さくなって――、

「贈り物をと思って」

「成程」

エタリは頬が緩むのを感じていた。

この頑固者がようやく他者を理解しようという心持ちになったのかと思うと、どうも、我が子の成長を見るような気持になってしまう。

エタリが我が子を持ったことは無いのだが。

「ちくしょうめ、笑うんじゃねえったら! 三周年なんだよ」

「ほう?」

「成人の儀から三年経ったんだ」

セムタム族にとって「三」は聖なる数字である。

それは神話において天・海・地を統べる三柱の龍がセムタム族を守るとされているからだ。

故に、三周年とか三人とか三種類といったものは、縁起がいい。

セムタム族の第二の誕生といえる<成人の儀>から三周年目は、大いに祝うべき節目である。

エタリはトゥトゥを背後に従えて、島の市場を練り歩いた。

人格者の司祭として名高いエタリの通る所ではみな胸に手を当てて(これは海龍神を敬う仕草)挨拶をし、トゥトゥに対しては及び腰で対応した。

彼の癇癪については知らぬ者がいないからである。

「ドクターは何色が好きだ?」

「ううん……」

「何色が似合うと思う」

ひとつひとつ問いかけをしながら、鉱石の首飾りや、布地や、小刀ペライナ、それに骰子フルルを買った。

その度に真剣にトゥトゥは悩み、うんと時間をかけて決める。

エタリは未知のものを発見したように青年の横顔を見ていた。

いつの間にやら思慮深い顔も出来るようになったではないか。

かの女性、遠い星からやってきた異邦人の与える影響が、これほどまでに大きかったとは。

市場の端から端まで渡り終わったころには、トゥトゥが長い腕に抱えてなお余るほどの贈り物を買い込んでいた。

トゥトゥは急に素直になり、大きく頷いて言う。

「ありがとよ、じじい。正直なとこドクが何を送ったら喜ぶのか、わかんなかったから」

「何、彼女には私も恩がある」

恩、とはすなわち、トゥトゥが良い方向へ進んでいることに対してである。

もちろん、ふたりに伝えはしないが――。

その時、天が割れるような音がした。

はっとして振り仰ぐと、二匹の飛竜が揉み合いながら落下してくるところである。

龍たちの翼がぶつかり合うところに雷が沸き、凄まじい音を立てた。

「じじい、あいつの鱗でも獲ったら、ドクは喜ぶと思うか?」

「まあ、喜ぶだろうな」

よっしゃあ、と叫んでトゥトゥは荷物をエタリに押し付けた。

「預かっててくれ。あと祈祷しといてくれ。下っ端に負ける気はねえけど」

鼻息荒く、しかし嬉々として駆け出して行ったトゥトゥの背中を見ながら、エタリは笑っている。

成程、大したものだ。

他人を喜ばせるために、自分が楽しむようになるとは。

きっと良き三周年の祝いになるであろう。

だがトゥトゥよ、恐らくは一番の贈り物は、お前だろうさ。

エタリはゆっくりと、その祝いのためのレシピを頭の中で紡ぎ始めた。

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