夏の日差し
凪野海里
夏の日差し
私は夏が好きだ。
夏なんて、長期休暇が長いということ以外、何の取り柄もないように見える。ましてや大人になってしまえばそんなもの、関係なくなってしまうのだ。
しかしそれでも、私は夏が好きだ。
私が卒業したその高校はその年、初めて甲子園に出場した。
野球部を創設してたった3年しか経っていない、歴史の浅い野球部が甲子園に出場する。このニュースは地元だけでなく、全国の高校野球ファンも注目したほどだった。まるでドラマのようだと、誰かが言っていた。
実際、その野球部はドラマであるかのように、順調に勝ち進んでいった。部員数は強豪に比べたらひとつまみの塩程度しかおらず、観客席を埋め尽くすのはほとんどOBやOGのおじいさん、おばあさんばかりだった。野球部の歴史は浅くとも、学校の歴史は明治の時代から続く、古い学校だった。
結局、球児たちは決勝まで残ったのだった。
まだ齢16~18程度にしかならない子どもたちが、丸刈りにした頭に帽子やヘルメットをかぶり、たったひとつの白球を追って、打って、走る。たったそれだけのゲームに選手だけでなく、私たちでさえ胸踊らせる。
夏の暑い日差しを受けて、誰もが汗を流していた。額を流れる汗をうざがりながら袖でぬぐう球児たちの瞳は、うらやましいほどに光り輝いている。
その光景を見ながら、私は不思議と涙がこぼれてくるのだった。
あの頃を、思い出す――。
***
あの高校の野球部は創設3年だとはいっても、私が在学中の頃にも、野球部は存在していた。けれど、私が卒業する代でそれも廃部になってしまった。
全てはあの、忌まわしい戦争のせい……。
私の学生時代は女子のマネージャーがいることができず、私は外から彼らを応援していた。当時付き合っていた彼氏が、野球部で投手をしていたからだ。
「おーい」
金網越しから私が呼び掛けると、彼はすぐに気づいてこちらに駆けてきた。
私は彼に「これ」と言って水筒を渡す。彼が飲み物を忘れたので私が作って持ってきたのだ。
「ありがとう」
「もう忘れないでよね」
「わかってるって」
そうして彼は笑った。けれどどうせまた彼は忘れるのだ。だって同じことを繰り返してこれで5回目なのだから。そのたびに私が水筒を持ってくるのはいつものことだった。
「おーい、逢い引きしてねぇでとっとと戻ってこーい!」
仲間の誰かが私たちをからかう。
私たちは顔を見合わせて真っ赤にして、それじゃあと別れる。
「今日、校門前で待ってて!」
彼の声が背中で聞こえた。
私は振り返ってうなずいた。
校門前で待っててとは言われたけど、私は彼の練習風景を見るのも好きだったから校庭より少し離れた位置でその勇姿を眺めていた。
まだ夏前だというのに、彼らは体じゅうを汗だくにしていた。どうしてそこまで一生懸命にやり続けるのか。それはまもなく、甲子園が近いからだった。
やがて太陽は西へと沈んでいく。
私は校門前に急いだ。
校門前で待っていると、少しも時が立たぬうちにユニフォーム姿の野球部員たちがわらわらとそろってこちらにやってくるのが見える。彼の姿もあった。私が手を振るとすぐに気づいてくれた。
まわりの部員たちがそれをからかう。しっかりやれよ、だの。人の前でいちゃいちゃするな、だの。そんな言葉を受けて彼は朗らかに笑い、私の隣に来た。私たちは帰りの道を歩く。
連日ラジオから流れるニュースは、どれも戦争のことばかり。自然と話題はそういったことに向く。けれど彼だけは違っていた。
「今年こそ甲子園の出場権は俺たちがもらうよ!」
そんな夢物語に、私は思わず笑ってしまう。
「またそんなこと言って。去年、怪我したこと忘れたの?」
「今年こそは大丈夫だ!」
根拠のない自信に私はあきれるしかない。けれどこれが彼の良さでもあった。みんな、彼のこういったところに惹かれているんだ。私もそうだった。
「応援、来てくれるか?」
「もちろん」
彼の言葉に私ははっきりとうなずいた。
実際、彼の言葉通り。野球部のみんなは順調に勝ち進んでいって、とうとう甲子園への切符も手にすることができた。彼も、まわりのみんなも、そして私も。喜んだのは言うまでもない。
けれど、甲子園に出場するという夢は、あっけなく絶たれてしまうことになる。
戦争が激しさを増していき、いよいよそれは高校球児にまでその魔の手をのばしていったのだ。
彼にも赤紙が来た。
「大丈夫。俺は必ず帰ってくる。だって甲子園があるからな。あの舞台で戦わずして死ぬわけにゃいかないだろ」
出発前日、そう言って彼は私に向かって無邪気に微笑んで見せた。
結局、彼が戻ってくることはなかった。
野球部のみんなも次々と徴兵されていき、そのほとんどが戦地でその命をあっけなく散らしていった。
***
今の時代は良い。誰もが野球に寄り添うことができる。誰もが甲子園に夢をもてる。その環境が私には何よりも心地よかった。
創部3年を迎えたその野球部は、その年の甲子園で優勝旗を手にすることができた。
あの頃と変わらない校歌を嬉し涙と汗で顔をぐちゃぐちゃにしながら斉唱する球児たちを見ながら、私も彼を想ってまた涙を流していた。
夏の日差し 凪野海里 @nagiumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます