ラーメン無料券3周年

七荻マコト

ラーメン無料券3周年

 駅から少し外れた裏路地に、大して売れているわけでもないが、半年前から細々と続いているラーメン屋があった。


 夜11時もすぎ、最後のお客さんを送り出す。

「ありあっした!またお願いしやす」

 知り合いからは、ラーメンの味が美味くても、口下手で営業力がないのが売れない理由だとよく言われる。

 けれど、今のままでも十分だった。

 好きなラーメンを作って、生きていくだけの身銭は稼げている。そんな充実した日々が過ごせているのだから。


 そろそろ店を閉めようと、暖簾を下げに店先に出ると、一人の女性が歩いているのが見えた。

 狭い裏路地の通路で、うちの店の看板が照らし出した女性の顔は、真っ青だった。

 目には生気がなく、歩く力も乏しいのか、引きずるような足取りで進んでいく。


 その先は、遮断機の下りた線路。


 悪い想像が頭をよぎる。

 俺は考えるより先に体が動いて、女性の肩を掴んでいた。

 女性は掴まれた勢いのまま、力なく俺に倒れ掛かると、幽霊のような虚ろな瞳でこちらを見上げて、


「死なせて…」

 と、呟いていた。



 そのままにすることも出来ず、取り敢えず、店内のカウンターに座らせた。


 とはいっても、何を話せばいいのだろう。ただでさえ、女性に免疫もなく、ラーメンを作るしか能のない俺がこの局面をどう乗り切ればいいんだ、誰か教えてくれ!


 け、警察に連絡すべきか?

 大事になればこの女性は嫌がるがだろうか?

 けれど、自分の手には余り過ぎるほど余る。

 数少ない社交的な友人に助けを求める電話を入れるも、反応なし、すでに一杯飲んで寝ているのかも知れない。


「どうぞ」

 コトリとお冷を差し出す。


 おいおい、客でもないのに水出してどうすんだよ!と自分に突っこみながらも女性の動向を見守る。

 顔面蒼白の上、げっそりとした女性は緩慢な動きでコップを握ると、猫がちびりと水を舐める程度口をつけて、コップを置いた。


 の、飲んだぁ!

 な、なんだこの表現しがたい感情は!

 例えるなら、雨の日の路上、ずぶ濡れで段ボールに捨てられた猫に、ミルクを与えた時の感情に近い。


 これが、母性というやつか!?

 いやいや、違うだろ!ビシ!(一人突っ込み)


 そう、どちらかと言えば庇護欲に近いのかも知れん。


「あの…」

 俺が声を発すると女性は変わらず虚ろな目をしたままこちらを見る。

 音がしたからそちらに目を向ける、といった機械的な動きだ。


 む、無理無理無理無理!

 この人の目、闇が深すぎぃぃいぃ!


「あ、いや、その…なんだ…」


 何話したらいいのか、本当無理!

 頭に何も浮かんでこねぇ。

 こちとら心理カウンセラーでもなければ、警察や看護師でもない。

 踏んできた場数が少なすぎるんだぞ、エッヘン!って威張れることかぁぁ!


 女性は目線をコップに戻した。

 両手で挟むように持ったコップを焦点を定めずに見つめている。


 …どうしたものか。

 下手なことしたらまた線路に向かいかねない危機感というか、負のどす黒いオーラのようなものを纏っているように見えてならない。


 こんなことなら、友達の合コンの誘いや婚活パーティーに参加して話術を鍛えておくべきだったか。


 高校を出て、ラーメン作りの修行を15年、遊びも賭け事も一切せず、兎に角ずっとラーメンを作り続けてきて、全く面白みのない人間になっていた。

 ようやく独立資金が貯まり、店を立ち上げたのが半年前。

 これからもラーメン一筋で今が頑張り時でもあるのだ。


 俺には、これしかな…い…、ん?


 そうだ!


 ラーメン!

 ラーメンだ!


 たった一つ努力を積み重ねてきて誇れるものが俺にはあったじゃないか。


 手にしていたタオルを鉢巻きの様に頭に巻く。


 眼光は、さながら戦場に赴く侍の如く。


 両手で顔面を打ち、気合を入れる。


「おしゃっ!少々お待ちくださいっ」


 急に大きな声で気合を入れた俺を、ビクッと反応して丸めた目で見てくる。

 俺は厨房に入ると、鍋に火を点け、どんぶりを取り出す。

 手際よく作業に取り掛かる俺を、ただ動くものを目で追う猫みたいに凝視してくる。


 見るがいい、開き直った俺を!


 俺は、麺を茹でる。


 これだけは、ラーメン作りだけは、誰にも負けねぇ。


 俺は、醤油ベースの出汁をどんぶりに準備する。


 たとえ死を選択しようとしている人間だろうと。


 俺は、麺の湯切りを鮮やかに決める。


 たとえ人生に絶望した人間だろうと。


 俺は、麺とスープを絡ませ熱く抱擁させる。


 生きる気力を失った人間だろうと。


 俺は、合間で用意したチャーシューなどのトッピングを乗せる。


 そんなのはどうでもいい!


 とりあえず、食ってけやぁぁぁああぁぁ!


  どん!!!!!!


「へい、お待たせしやした!」


 体に染みついた流れるような動きで女性の前に出来立てのラーメンを置いた。


 どんぶりから立ち昇る湯気が醤油の優しい香りを醸し出す。

(女性に人気の特製醤油ラーメンでさぁ)

 心の声で商品説明しながら、それを顔で表現するけど、ただドヤ顔してるだけの店主が居るだけだった。

 これを声に出して喋れてたら苦労しねぇんだよ、こんちくしょぉ。


 ラーメンのどんぶりと俺を交互に見て困惑する女性。

 いいね、いいねぇ。

 女性が初めて感情らしきものを浮かべたことに愉悦を禁じえない。


(今回は、特別に厚切りチャーシューも食べやすく細切れにしましたぁ。普段はどんぶりの上を堂々と寝っ転がってるトッピングの王様も、あんたのために食べやすくしてみやしたぁ)

 ここでもドヤ顔だけど喋れてない…。

 ただ店主がニカッニカッっとドヤ顔を繰り返しているだけという不思議な光景だった。


 ただ、彼女の視線がラーメンに止まったことで、確信を持つ。

 そう、この人は絶対食べてくれると。


(もやしや野菜も食べやすくしてるし、煮卵もサービスでぃ、疲れた体に一杯言っちゃいなぁ!)

 決め台詞を格好つけて胸の内で吐いても伝わってないぞ、ヘタレの俺!今こそ勇気を振り絞れや!


 なけなしの勇気をもって心の中で叫ぶ、

(燃えろ!俺の背油たち!舞い上がれ刻み海苔!)

 意味不明の絶叫の勢いに乗せて、女性の手を取ると、レンゲを添えて握るよう誘導する。


 突然のことに吃驚するものの、弱々しくレンゲを握ってくれたことに安堵して、頷いて見せる。


(頼む、一口でいい…)


 お膳立てが揃ったからか、恐る恐るレンゲをスープに潜らす。


 池に水を放流するようにレンゲの中に吸い込まれるスープ。

 湯気が誘うように鼻孔を擽る。

 誘惑に負けたのか女性は、緩やかに口に含んでくれた。


 よぉっしゃぁぁああぁあぁ!!!


 俺は逆転ゴールを決めたサッカー選手よろしくガッツポーズを決めた。


 女性は一口、また一口と口に運び、次第に麺も食べだした。

 俺の完全勝利だあ!

 あれ?別に戦ってるわけじゃなかったな。


 食べながら女性は涙を流していた。

 震える手で麺を啜りながら、溢れて止まらない涙と鼻水を拭きながら、それでも食べるのを止めなかった。

 小さな声でありがとう…って聞こえた気がした。



 数分後


「ご馳走様でした」

 透き通るような女性の声は美しく、青白かった顔は血が通った温かいピンク色に変貌を遂げていた。

「いえ、あ、あの味…は…」

「物凄く美味しかったです。生きてきた中でこんなに美味しいものは食べたことがありません」

「そ、それはどうも…」


 オーイェー!サンバ!サンバ!イエー!フゥ~フゥ~!ひゃっほ~い!

 心中はまさに有頂天!最高の誉め言葉だぜ、こんちくしょぉめ!


「なにも…、聞かないのですね」

「ま、人間色々ありますから」

 おい、もっと気の利いたことが言えないのか。

(話して楽になるのなら、聞くくらいは幾らでも出来ますぜ)

 って声に出したい日本語ぉぉお!


 しかし、このままこの人を帰してもいいのか?

 もう死ぬ気は消えたのだろうか?

 考えあぐねていると、カウンター横の新聞紙からはみ出た広告が目に入る。

 近所のスーパーマルリオの3周年記念セールのチラシだ。


 ん…?これだ!


「お代はおいくらでしょう?」

「あ、あの、お、お代は結構です!」

「そんなわけには…」

 女性の言葉を遮って続ける。

「そ、その代わりお願いがあります!」

「何でしょう?」

「あ、明日ですね。当店は開店3周年記念を迎えるんです」

 真っ赤な嘘。思い付きの勢いで言ってしまった。

「まぁ」

「それで、明日また、食べに来て貰えませんかぁ?3周年記念でラーメン無料券配ります!年間パスポートもあるかも知れません!これから美味しいラーメン食べ放題になるかも知れません!」


 何を訳の分からないことを口走っているんだ俺は。

 こんな嘘すぐばれるだろう。

 けれど、このまま彼女を帰すなんて駄目だと思ったのだ。

 てか、俺、喋れてる!?


「と、とにかく明日はそんな吉日なので、来ないと損です!いや来て欲しいんです!また自分のラーメンをあなたに食べて貰いたいんです!」


 女性は一瞬キョトンと虚を突かれた顔をしたが、次の瞬間には大輪の花を咲かせていた。

「はい、喜んで!」



 数年後


 ラーメン店が本当の3周年を迎えた時、俺の横にはあの時の女性がいる。

 彼女が来てから口下手な俺の代わりに、愛想よく接客してくれて、評判の店となり、今ではすこぶる繁盛していた。

 3周年を迎えたこの日、彼女が俺たちの子を身籠っていることも分かり、嬉しいことがあると配ることに決めていたラーメン無料券を配りまくった。


 この店が時々配る無料券は、何故か何時も3周年と書かれているのであった。

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