感情なんかないと思ってた上司がくれた記念品
御剣ひかる
これが「好き」の表れか
今日は、おれがこの
けど、別に何もない、いつも通りの平日だ。
おれの上司は、貿易会社の社長だ。けどそれは表に見せる顔。本当はマフィアの幹部だ。
ライトブロンドに銀縁眼鏡、クールさを引き立てるスカイブルーの瞳の、長身痩躯の三十過ぎのこの男は一見とても紳士だ。会社の中でも社長にあこがれる女子社員はたくさんいるみたいだ。
けれど裏じゃ違法薬物を売りさばき、必要ならば人を殺す。別に好き好んでやってるわけじゃなさそうだけれど、だからと言って仕事にためらいはない。
感情ってものをどこかに捨ててきちまった。
そんな表現がぴったりな、冷静で冷徹で冷酷な男。
彼がおれを路地裏から拾い上げたのは「使えそうだから」という理由以外のほかに何もない。
当時おれは、路地裏につるむグループに交じってその日暮らしをしていた。
親父がマフィアにゆすられて犯罪を犯したせいで、おふくろは精神を病んで自殺しちまった。おれは高校をドロップアウトしてストリートキッズの仲間入りってわけだ。
マフィアは路地裏のガキ達を手先にしていいように使うけど、自分のそばに置いたりはしない。
社長が、リカルドがおれを表向き自分の秘書として拾い上げたのは、おれの親父をゆすったマフィアが、リカルドの属するファミリーと敵対していたから。そしておれに異能の才能があったから。
リカルドがおれにまず言い渡したのは、異能を身に着けるための鍛錬と、表、裏問わず社会のルールを覚えることだった。
おれは必死に鍛錬して、いやいやながらも勉強もした。
ここでこの人に見捨てられたらおれは本当に行くところがなくなっちまう。
おれは命じられるままに犯罪に手を染めた。
敵は他組織の連中だけじゃない。本来味方のはずのヤツらも厄介だ。
たった十六歳の路地裏生活者のおれが「社長秘書」になったことで、周りのやっかみもすごかった。社長のいないところで、さまざまな嫌がらせを受けた。小学生かよ、って低レベルなのから、下手したら命に係わるような情報隠匿まで。
いや、リカルドは知っていた。だが彼は手を貸そうとはしない。それぐらい自分でどうにかしろってことだ。
今になって判る。それぐらいでつぶれるようじゃ、裏社会でやっていけない。リカルドはあえて無視していたんだ、と。
「レッシュ、コーヒーを淹れていただけませんか?」
社長室で、リカルドにお願いという名の命令をされた。
珍しい。
リカルドはコーヒー好きで、社長室の棚にはコーヒーを淹れるための道具が揃っている。自分で淹れた方が美味しいから、と普段は触らせないのに。
まぁしかし命じられたからには淹れなけりゃならない。
インスタントじゃないから今一つ豆とお湯の分量とか判らないけど、とにかく淹れた。
コーヒーカップに砂糖とクリームとスプーンを添えて社長の机に持って行った。
「ありがとうございます」
慇懃に礼を言うとリカルドはカップを手に取り口を付けた。
「……あまり美味しくないですね」
辛辣な採点が下された。
「すみません」
そりゃ、普段から淹れないし、とは心の中だけで言っておく。
「一応、秘書なのですからコーヒーの淹れ方も覚えておいてもらいましょうか」
リカルドはそう言って立ち上がると、美味しく淹れるには、と丁寧に説明しながら自分で作り始めた。
部屋の中には、おれが淹れた時とは違う、うまそうな香りが漂った。
同じ豆なのに。同じようにお湯を注いでいるのに。
これが「好き」という感情の、一つの表れなのかもしれない。
感情をどこかに捨ててきた男の、もしかしたら唯一の「好き」なのかもしれない。
「――これで出来上がりです。あなたがここに来て三年の、記念のコーヒーです」
リカルドはそういうと、応接セットのテーブルの上にコーヒーカップを置いた。
驚いた。
おれがここに来た日を覚えていたことに。
記念のコーヒーだなんてものを作ってくれたことに。
「ありがとうございます」
礼を言って、ソファに座って、コーヒーをすすり飲む。
うまい。
「飲み終わったら、仕事に戻ってください」
リカルドは味の感想など聞くこともなく、執務机に戻って行った。
いつものような、冷静で冷淡な態度だったけど、少しだけ温かい気分になった。
(了)
感情なんかないと思ってた上司がくれた記念品 御剣ひかる @miturugihikaru
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