スウィーツ・トライアングル
しろもじ
第1話「甘いものは苦手なんだ」
二限目が終わった休憩時間。彼女は僕のクラスへとやって来た。
教室のドアからキョロキョロ辺りを見回しているひとりの女生徒。普通の生徒だったら、もしかして気づかなかったかもしれない。でも、それが容姿端麗、文武両道で知られている
そう言えば、この前森本さんと打ち合わせしてたときにも、ウチのクラスに来てたよね。あのときはなんでか分からないけど、凄い顔で睨まれてたんだよなぁ。
誰か声を掛けるだろう。でも彼女の近づき難いオーラに押されてか、クラスメイトは近づこうともしない。はぁ、しょうがないな……。
「どうしたの? 何か用?」
「あ、えと、あなたは確か浅倉……くん?」
驚かせちゃったのか、珍しく動揺している。僕が彼女を知ってるのは当たり前だけど、彼女が僕のことを知っているとは意外だ。
「森本さん……いないかなって」
「あぁ、森本さんなら先生に呼ばれて職員室に行ったよ」
「そう……困ったわね。教科書借りようと思ってたんだけど」
へぇ。田辺さんでもうっかり忘れちゃうことってあるんだ。これまた意外。
「よかったら、僕のを使うといいよ」
「えっ、いいの?」
「もちろん。困ったときはお互いさまだからね」
「……あなた、案外いい人なのね」
そう言って微笑む彼女に僕、浅倉総司十六歳は、生まれて初めての一目惚れをした。
※
田辺さん……田辺朝海さんかぁ……。
「ねぇ、聞いてる? そうちゃん」
「あぁ、ごめんごめん」
母親の言葉に我に返る。母さんには悪いけど、頭の中はあれ以来田辺さんのこと以外受け付けなくなってしまっていた。でもまぁ、とりあえず話は聞かないと。
「それでね。ウチの店、今年の二月で三周年記念だからイベントでもやろうか、ってお父さんと話してててね」
「うん、おめでとう」
「で、そうちゃんにも手伝って欲しいなぁ、って」
「えぇ!? 僕、甘いもの苦手なの知ってるでしょ」
「スウィーツショップの息子がそんなこと言わないの」
僕の父さんと母さんは、どちらもパティシエとして修行中に知り合ったそうだ。そんな二人が頑張って修行を重ね貯金をして、ようやく自分のお店を持ったのが三年前のこと。当然、ひとり息子は跡を継ぐものとして期待はされているんだけど、どうしてもあの甘い匂いは苦手。
そうは言っても、両親の苦労は知っているので、できるだけ協力はしたい。
「先週から新しいアルバイトさんも来てくれてるから、そうちゃんはお手伝い程度でもいいから」
「ねっ、ねっ」と両手で拝まれてしまうと断れないよね。
「じゃ、明日から行くよ」
「さっすが、そうちゃん。イベントは今週の週末だから、そこまででいいからね」
「はいはい」
ま、作る人は二人もいるんだし、僕は接客や呼び込みでも頑張るかな。
そんな感じで軽く考えて、翌日の放課後にお店に向かう。地元にあった商店街の多くは廃墟になりつつある中、近くに巨大な住宅街を持つこの商店街だけはまだ賑わいを失っていない。それでもお隣のお肉屋さん曰く「これでも全盛期に比べたら減ったんだよ」らしいから、当時はどれだけ活気があったんだろう?
商店街を通り、知っているお店に挨拶をしながら、やっと両親の店に到着。こんな田舎では珍しい本格的なスウィーツを提供しているお店ということで、女子学生からお年寄りまで広く愛されている……と父さんは自慢していた。
店内に入ると、夕方ということもあってか確かに何組かのお客さんがカウンターで「あれがいい」とか「こっちもいい」と悩んでいる姿が見て取れた。「いらっしゃいませー!」という聞き慣れない声にふとカウンターの奥を見ると……。
「あれ、森本さん?」
「あ、浅倉くん。おかえり」
クラスメイトで、学級委員長の
「うん、私もついさっき知ったばかりなんだけどね」
「まぁ、僕も言ってなかったからね」
「あら、そうちゃん。待ってたわよ」母さんがエプロンを手渡してくる。
「とりあえず、分からないことは森本さんに聞いてね」
「はい、お任せ下さい! さ、仕事仕事。浅倉くん、まずは私のやることを見ててね」
ちょっと、随分大雑把だけど、そんなのでいいの?
とは言え、僕のできることはそんなにあるわけでもなく、森本さんがスウィーツを箱に詰めているのを見て、それをやってみる。お客さんに言われた商品をトングでそっと掴み箱に入れる。
始めはおぼつかない手付きだったけど、しばらく経つと何とかこなせるようにはなってきた。なんだ、意外と簡単じゃん、と油断していると、グチャッと潰してしまったり……。
「ドンマイ、ドンマイ」
森本さんに励まされながら、何とか初日の仕事は終了。
「はぁ、疲れたぁ」
「お疲れ様、結構筋がいいよね、浅倉くん。流石は跡取りだけはあるよね」
箱に詰めるだけのお仕事で褒められるのもなんだかなぁ。父さんと母さんが片付けをしている間、僕らは休憩室で余ったスウィーツを頂く。と言っても、僕はパス。森本さんは「美味しぃ〜」と顔をほころばせているけど。
「そう言えば、なんでバイトしているの?」
お店から出て商店街を二人で歩きながら、何気なく僕は森本さんに尋ねてみた。森本さんはちょっとだけためらいながらも「大切な人に贈り物をしたいから」と答える。
「大切な人? もしかして彼氏さんとか?」
「違うって! お父さんとお母さんの付き合いだして二十年の記念日が近いんだ。そのお祝い」
へぇ? 結婚記念日じゃなくってお付き合いの記念日って、なんか素敵だねと言うと森本さんは嬉しそうに笑っていた。
森本さんの話を聞きながら、ふと辺りを見る。人気の少なくなった商店街は薄暗くて少し不気味にも見えた。なんだか誰かに見られているような気がして振り返る。もちろん誰もいない。
「どうしたの?」
「ん、なんでもないよ」
怖い怖いと思うから、そんな勘違いをしてしまうんだ。そう思ってたけど、そのときの直感は間違っていかなったことを翌日思い知らされる。
※
「なんで、結月のバイト先にあなたがいたの?」
翌日のお昼休み。僕は田辺さんに校舎裏に連れていかれた。(もしかして告られる?)という淡い期待はすぐに打ち砕かれ、こうして僕は田辺さんに詰め寄られているというわけだ。
「どうしてって、あそこの店、僕のウチがやってるから」
「えっ!?」
また挙動不審になってるよ、田辺さん。まぁ、そんな田辺さんも可愛いんだけど。でも、あんな夜遅くにあそこにいたってことは……もしかして。
「田辺さんってさ、もしかして森本さんのこと好きなの?」
「ななななな、何を言ってるの!? 私が? 結月を? はぁ?」
分かりやすい。思わず笑いをこらえる。そうか、ちょっとだけ残念だけど、でも異性が好きって分かるよりはよっぽどマシかな。田辺さんがわざわざ森本さんの後をつけていたのは、きっと彼女を心配してのことだろう。そう考えると、彼女の甲斐甲斐しさも愛おしく感じてしまう。
僕の一目惚れは見事に玉砕してしまった。だけど、これは応援してあげたいな、とも思う。だから、僕は彼女にこう言った。
「協力してあげるよ」
※
週末、お昼過ぎに家を出てお店に向かう。ウィンドウ越しにはイベント目当てのお客さんでごった返す店内の様子が見て取れた。その奥にはカウンターで忙しそうに働く二人の女の子の姿。
田辺さんと約束した日。僕は家に帰ると母さんにお願いをした。
「雇ってあげてもらいたい人がいるんだ」
もちろん、それは田辺さんのこと。「男の僕が接客するより、女の子の方がよほどスウィーツショップっぽいでしょ?」と言うと、母さんはちょっとだけジトッとした目で僕を見ながら「まぁ、いいけど?」とあっさり承諾してくれた。
僕としては失恋に心が痛むわけだけど、まぁ苦手なお店でのお手伝いも免除されたということで、お互いウィンウィンってところじゃないかな?
たくさんのお客さんを相手にしながら、それでも楽しそうに働いている田辺さんと森本さんを見てて、僕はそんなことを思っていたんだけど……。
イベントが終わった月曜日。再び、僕は田辺さんに校舎裏へと呼び出される。
「おかしいなぁ、怒らせたわけじゃないと思うんだけど」
少しだけビクビクしながら指定の場所に行くと、既に来ていた田辺さんに「こっちへ来て」と手招きされる。「どうしたの? 何かあったの?」と訊いてみたけど「ううん」と言ったきりモジモジしている。
十分くらいそんなのが続いて、流石に気まずくなってきた僕に「これ……お菓子屋さんの跡取りさんに渡すのは恥ずかしいんだけど」と田辺さんが紙袋を手渡してくる。
「これ……僕に?」
開けてみるとキレイな化粧箱の中に、小さなチョコレート。あれ、これって……。
「もしかして手作り?」
コクンと田辺さんがうなずく。
「あ、そう言えば今日ってバレンタイ――」
「か、勘違いしないでよねっ! こここ、これは……ほら、あれよ。この前のお礼なんだから!!」
真っ赤になりながら必死で否定する田辺さんに「分かってるよ、ありがと」と答える。チョコをひとつ摘んで口に放り込む。美味しい……。
「ど、どう?」とチョコの感想を尋ねてくる田辺さんに、ちょっとだけ今後の期待をしながら「美味しいよ」と答えた。
案外、甘いものも悪くないのかもしれないな。
スウィーツ・トライアングル しろもじ @shiromoji
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