第4話 兄嫁からの電話

 介護孤児その4 兄嫁からの電話

               §

「ぎゃああああああああ! アンタの親父の面倒なんかもう見たくない!

 店が流行らなくなったのもアンタの親父のせいや! そっちに返すうう!」

 受話器の向こうで兄嫁が絶叫していた。その後ろで、戸惑う兄の気配がある。

私は兄嫁が遂にキレたのを悟った。不思議に怒りはなかった。私も経験していたからだ。だから同居は止めとけと言ったのに…。それがその時の感想だった。それから暫くして父から電話があった。

「いわと、そっちに帰ってもええか。ワシのことで夫婦喧嘩ばかりしよるんや」

「ああ、帰ってきてもええよ」 

 済まなさそうに問いかける父に私はそう返事した。

 何も兄嫁の事をおもんばかっての返事ではない。父に対する愛情や恋しさからでもない。私の即答は、無様で、現実的かつイヤらしい打算から生じたものだった。

 兄夫婦が地元で寿司屋を始めた頃は、高度成長期のまっただ中で景気がよかった。ダイエーが来る、工場が来るから人口がもっと増えると喜んでいた。それに小沢一郎が政権を取ったから公共事業ももっと増えるはずや、と兄は喜んでいた。

しかし、小沢一郎一派は社会党の裏切りと自民党の奸計によって崩壊。それと同時に、バブルも弾け、ダイエーは撤退、工場は閉鎖、頼みの公共事業も権力を奪われた小沢一郎では、どうしようもなかった。

 社会党を籠絡して政権を奪還した自民党によって、確かダム工事が最初に中止になったように記憶している。

 寿司屋というのは接待で持つ職業である。当然、接待は無くなった。

 寿司屋の最大の欠点は高価な生ものを扱っていることである。大金をはたいて仕

入れてもその日に売れなければ、処分しなければならない。すべてが損益になる。かといって仕入れなければ、やってきた客に対応できない。そんな日が何日か続くと一気に赤字になる。

 ある日、兄から電話が掛かってきた。

「明日までに入金しないと、今後、仕入れができなくなる。至急金を貸してけれ。

五十万でいい。なに、すぐに返す。倍にして返す」と兄は言った。

 私は仕方がないから貸した。

しかし数ヶ月もしない内に今度は兄嫁から電話があった。

「銀行に返済しないと差し押さえされてしまうから、百万貸して。ただし、この事は兄さんには黙ってて」

 私はまたか、と思いながら貸した。父を預かってもらっているから仕方がないと考えたからだ。けれどもこの調子では一体いくら金をむしり取られるのだろうと不

安になった。

 借りる方は案外簡単に五十万、百万と言うが、それを貯めるのにどれだけの時間がかかるか、

 私は貯金通帳の残高を見ながら計算した。

「百万貯めるには毎月八万貯めて一年少しかかるんだ。時給七百五十円のア

ルバイトだと一日八時間働いて六千円……百六十七日も働かねばならない金額

なんだぞ。それを電話一本で簡単に借りられると思うのか! ふざけるな!」

 このまま、兄夫婦の言いなりで金を貸し続けていたら、私の貯金があっという間に消えてしまう。

 しかし、父を預けている手前、無下に借金を断ることは、できない。どうするか。そんな時に兄嫁の電話があり、父からの電話があったのだ。百万単位で金をむしり取られるより、父の介護の方がましである。

 少なくとも金は無くならない。父という人質さえなくなれば、向こうも安易に金の無心はできないし、こちらも堂々と断れるからだ。情けない話だが、父を迎え入れる事にしたのは、愛情でも良心でもなく、金銭問題だったのだ。

 だから父に、「帰ってきていいよ」と答えたとき、明るい声色になっていた。

 父は私が父を迎え入れることを素直に喜んでいると勘違いしたに違いない。

 電話を切ってから、ため息をつき、テレビをつけた。ニュースが流れていた。

「今日、○○市で八十四歳の母親を殺したとして、五十二歳、無職の男が逮捕されました。本人は十数年にわたる介護に疲れたからと自供しています」

 私も、将来、こうしてニュースネタを提供するのかもしれない。嫌な気分になって、即座にテレビを消した。



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介護孤児(ルネ・デフォルト氏の第六十感) 天派(天野いわと) @tenpa64

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