あなたの才能、目覚めさせます
龍輪龍
夢を砕くもの
「限界だ!」
自らの顔に爪を立て、ガリガリと
削れた肉片が爪に入り、血に染まる手。
興奮が冷めた途端、ミミズ腫れが燃えるように痛み出す。
全ての感触が本物で、これが幻とは思えない。
ああ。どうしてあんなものに手を出したのか。
◇
『あなたの才能、目覚めさせます』
週刊誌にそんな広告が挟まっていた。
怪しい通販グッズのお仲間。
引っかかる人間がいるとは思えない。
いつもは鼻で笑うのだが、その日は気分が滅入っていた。
誕生日だったのに、誰も気付きもしない。職場に漂うボウフラだ。
採用されて早四年。
同期は着々と功績を挙げ、存在感を放っている。
才能、というものがあるなら教えて欲しい。
『VRゴーグルが付いて、2980円』
安い。
詐欺でも、まぁ、それはそれで。
◇
翌朝、品物が届いた。
ゴーグルというよりジェットヘルメット。
高級なフィット感に驚いている内、視界が明けた。
720度全方位が
あまりの高解像度に木々の香りさえ感じられる。
自室にいることを忘れてしまいそうだ。
「ようこそ、才能啓発プログラムへ」
少女のアバターが進み出てくる。
かなり精巧な作りだ。名のあるモデラーの仕事だろう。
「……流暢に喋ってるけど、AI? 営業のおっさんが入ってるのか?」
「私はルーシィ。対話型UIです」
「すごいな、最近のは」
ありがとうございます、とルーシィは可愛らしく一礼した。
「マスター。そうお呼びしても?」
「構わないが……」
「ユーザー登録のため、幾つか質問をさせて頂きますね」
名前、年齢、職業、特技などを答えていく。
――詐欺を警戒して、多少暈かしながら。
「特技なし、趣味は読書、ですか」
「流石にお手上げだろ? 俺に才能なんて……」
「人は誰しも、三つの才能を持って生まれてくる。……そんな言葉があります。この世に凡人などいない、と。……しかし多くの方は、自分の特別さに気付いていない。……私は、そんな方をお助けするために作られました」
ルーシィが手を握り「一緒に才能を探しましょう」と熱く語る。「それが私の、存在意義なのです」
「まあ、付き合ってくれるなら」
そう応えると、少女は嬉しそうに破顔した。
◇
適性テストが始まった。
短距離走、砲丸投げ等で基礎能力を測る。
コントローラーではなく、脳波でアバターを動かす。
――驚くほど高性能なヘルメットだ。
両手両足、動けと念じた場所が、その通りに動く。
アバターの五感は脳にフィードバックされ、体が本当にここにあるかのようだった。
水泳、トライアスロン、スケート。
絵画、ピアノ、裁縫。
テストに必要な場所と道具は一瞬で揃えられる。仮想現実の利点だ。
一時間ほど行った後、カウンセリングを兼ねて食事が振る舞われた。
フォアグラのポワレ、フカヒレスープ、北京ダック……。
男の人生で目にすることのなかったスペシャルフルコース。
映像だけでなく、匂いも味も完璧に再現されている。
舌が震えた。
「いかがでしょうか、マスター」
「美味いよ。最高だ」
よかった、と微笑むルーシィ。
「最高の
「要望? なんでもいいのか?」
「ええ。この世界では、なんでも叶います」
ルーシィは生真面目なきらいがあるものの、機知に富み、面白い少女だった。
その上でマスターをたてる事も忘れない。
男は彼女のことを気に入り始めていた。
金糸の髪も、
ゆったりしたワンピースから透ける、女性らしい曲線。
中まで作り込まれているのだろうか。
気になり出すと止まらない。男はゴクッと喉を鳴らし、それを訊ねた。
ルーシィは目を丸くした後、あせあせと考え込み。
「……確かめて、みます?」
なんて、上目遣いではにかんだ。
◇
テストは毎日行われ、その後はお楽しみタイム。
才能は一向に見つからなかったが、気にしていなかった。
むしろ見つからない方がいい。
懸命に奉仕してくるルーシィはいじらしく、可愛らしい。
このプログラムが続くことだけを願っていた。
「次はあれを倒して下さい、マスター」
言われるままに刀を振るい、
今日は古代の原生林に来ていた。
恐竜を倒す度、空中のウィンドウに書かれた数字が減っていく。
0になったら早上がり。
柔道や剣道のテストと同じパターンだ。
しかし目的が分からない。
恐竜ハンターの才能があります、なんて言われても、活かしようがないし。
彼女も迷走しているのだろう。
ちょっと抜けたところも、男には好ましかった。
「流石です、マスター」
駆け寄ってくるルーシィ。
彼女が真横に吹き飛んだ。
茂みから現れた恐竜が、彼女に食らい付いたのだ。
悲鳴を上げる暇さえない一瞬の出来事。
助けに入った男の刀を躱し、恐竜は〝獲物〟を咥えて逃げていく。
辺りには夥しい鮮血と、噎せ返るような鉄錆の匂い。
後を追おうと踏みしめた先からノイズに変わり、やがて電脳空間は崩壊した。
気がつけば自室。
早く戻らないと、と思うが、ゴーグルがどこにもない。
部屋中ひっくり返しても見つからず、不安は募る一方だ。
――ひとまず気を静めよう。
カフェインを求めて夜のコンビニへ向かう。
店内に入ると、妙な違和感があった。
店員や客が一斉にこちらを見たのだ。
気のせいだろうか。
居心地の悪さを感じながら、コーヒーをとってレジに置く。
――ゴスッ、と。
背後からバールで殴られ、カウンターに突っ伏した。
どうして? と思う間もなく、包丁で脳天を刺し貫かれる。
店員と客から袋叩きにされ、男は殺された。
気がつけば自室。
直前の傷はなく、痛みだけがズキズキと尾を引いている。
空中にはウィンドウが浮いていて、男はようやく、ここがまだ仮想空間だと気がついた。
「ルーシィ! 聞こえるか!?」
返答はない。
再起動すれば生き返るだろうか。
ログアウトは叶わなかった。
現実の体が認識できず、アバターが動いてしまうのだ。
脳波の切り替えはルーシィがやっていた。
その彼女が不在では――。
――いや、方法はある。
テストを終了させるのだ。ウィンドウの4000という数字を、0にする。
ここに恐竜がいるとは思えないが。
ふいに自室の扉が開く。
父がこちらをジッと見下ろした。
コンビニで味わった視線と同じ温度。
飛び躱すのと同時、目の前にゴルフクラブが振り下ろされる。
窓から屋根伝いに逃げた。
それを追いかけて来る父。
振り上げられた5番アイアンを押さえ込み、屋根の縁で揉み合いに。
思わず突き放すと、父は真っ逆さまに落ち、コンクリにゴシャッと。
首はあらぬ方向に曲がっていた。
ウィンドウの表示は、3999。
◇
男は餓死した。
気がつけば自室。
苦しい最期を迎えた末、最初からやり直し。ウィンドウには4000の表示。
しかし
五感は現実と同じなのだ。
今度は父親が来る前に家を抜けだした。
◇
3度餓死し、40回は殺された。以後、カウントしていない。
気がつけば自室。
父親が入ってくると同時に殺す。1点。
その足で母親も殺す。1点。
縊り殺すと臓腑の底から生臭い息が漏れる。
とてもリアルだが所詮は
人間には点数がある。
一般人は1点。社会的地位に比例して点数が増え、最高で100点。
ただ、一国の首脳でも25点だった。
100点というのは一度の遂行で稼げる最大値だ。
100人以上殺しても100点までしか貰えない。
学校や病院を狙えば楽勝、と思ったこともあったが、無駄だった。
社会的弱者は0点なのだ。
人はこちらの顔を見ると襲ってくるが、変装していれば会話が成り立つ。
この法則に気付いてからだいぶ稼げるようになった。
前回は1207点。
もっと上手く立ち回る必要がある。先は長い。
◇
体感で150年。
しかし現実では3時間足らずの出来事。
ゴーグルを外した男は、実に晴れやかな顔をしていた。
――最高の目覚めだ。
自分の才能が何だったのか。もはや迷いはない。
◇
「うふ。また依頼です」
高層ビルの最上階。
教祖はソファに背を預け、くつくつと笑った。
「次は誰を
「外務省の参事官ですね。派閥抗争なら恩を売れます」
VRゴーグルを被った教祖は、その場から動かず、脳波だけで「お抱え暗殺者」とコンタクトをとる。
「しかし考えましたね、ルーシィ様。VRチャットで暗殺者を育てて、仕事を斡旋するなんて」
秘書の声に教祖は気をよくした。
「でしょう? 彼らとの繋がりは回線だけ。絶対足は付きません」
「けど、どうやって暗殺者の資質を見極めてるんですか?」
「見極めてませんよ?」
「でも、育てた子には才能があったんでしょう?」
ルーシィはクスクスと笑った。
「私、才能って、存在しないと思うんです」
「存在しない?」
「一万時間の法則って、ご存じです? どんなグズでも、一万時間、一つのことを練習すれば達人になれる。……才能とはつまり、それができるかできないか。根性無しを集めて、体感で十万時間、百万時間、集中させれば、誰だって達人になれますよ。……そゆことです」
「なるほどな」
ゴーグルが外される。
目の前にいたのは秘書ではなく、あの男。
ルーシィは青ざめた。
裏側の話をすっかり聞かれてしまったのだから。
「どうしてあなたが!? 守衛は何をしてるのです!? 誰か、誰か!」
「全員寝てるよ」
「ま、待って下さい! さっきのは言葉の綾というか」
「偶然と思いたかったが、やはり計画だったか」
「はわわ……」
「俺は感謝してるんだ、ルーシィ。お陰でここまで来られた。才能を見つけられた」
「……」
「そして、罰するべき相手も」
「やめて! ごめんなさい! 人殺しヨクナイ!」
あわあわと手を突き出す少女。
そこにガシャッと。手錠が掛けられた。
「え?」
「あなたには暗殺斡旋の嫌疑が掛かってる。参考人として署までご同行を」
男は警察手帳を広げて、そう言った。
あなたの才能、目覚めさせます 龍輪龍 @tatuwa_ryu
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