【KAC7】イプシロン

牧野 麻也

起動

『筐体エネルギー充填確認。──充填率百%。

 運動野神経接続確認。──左右手足の指先稼働問題なし。

 思考ベース言語、発声言語、共に日本語を選択』


「イプシロン。音声を認識したら、右手を上げて」


 ──。


「よし。聴覚神経問題なし。聴覚認識言語問題なし。

 イプシロン、この匂いを嗅いで代表される食べ物の名前を言って」

「バニラアイスです」

「嗅覚神経問題なし。発音言語設定も問題なし。

 じゃあ次は……イプシロン、目を開けて僕を見て」


 ──。


「僕は何色の髪をしている? 僕は何色のシャツを着ている?」

「髪は、一般的に『黒』と表現される色です。シャツは萌黄色です」

「視覚神経、色味の認識共に問題なし。

 最後に。イプシロン。僕の名前を言って」

鏑木かぶらぎマコト博士。三十六歳二ヶ月三日。日本人男性、IQ一六八。女性との付き合い歴は最長三ヶ月。人数三名。いずれも『良い人だけど、ね』やそれに類似する事を言われてフラれ──」

「わー! わー!! わー!! 誰だ!? そんな情報インプットしたのはっ?!」

「更新履歴確認。天音あまね憲司ケンジ博士です」

天音あまねーっ!!」

天音あまね博士の所在地確認。一階喫煙所入り口にて指紋認証後入室しております」

「イプシロン! ちょっと待ってろよ!」

「了解です」


 ──。


「いたたたたっ。ラギ、やめっ……痛いよ!」

「お前! なに変な情報入れてんだよ!」

「いやだって、やっぱ開発者の情報は事細かに入れといた方がいいかなって……いたっ! 耳引っ張るなよ! たっ……助けてイプシロン!」

「わっ。イプシロン?! 何っ?! なっ……なんでっ……なんでお姫様抱っこ……するの?」

「これで鏑木かぶらぎ博士は天音あまね博士の耳を引っ張れなくなります。

 体重を私の体幹重心より離せばバランスを崩して床に落ちる事になります」

「……イプシロン、素晴らしい対応能力を発揮したところ申し訳ないけれど……下ろして」

「はい」

「んー。あんま女の子らしくないなぁ」

天音あまね……後で見てろよ。

 まだ起動直後で性差行動や言語対応とか学習してないからな」

「これからって事か」

「そうだな」


 ***


「イプシロン」

 鏑木かぶらぎ博士が、私の名前を呼んだので返事をする。

「はい、何でしょうか鏑木かぶらぎ博士」

「明日は研究所にある託児所で児童行動学習のカリキュラムがあるって聞いたけど」

 鏑木かぶらぎ博士は、私の方を見ずに端末を見ながら喋っている。

「……イプシロン?」

「はい」

「質問に答えられる?」

「先程の言葉のどの部分に質問があったのでしょうか?」

「ああ、そうか。ごめんな。改めて考えると会話って難しいんだな……。

 イプシロン。君が明日、研究所にある託児所で児童行動学習カリキュラムに参加すると天音あまね博士から聞いたけれど、君の予定表の中には記載されてないよ。いつ決まったのか教えてくれる?」

「カリキュラムの決定は今より一時間三十七分前にありました」

「決定者は誰だい?」

「田中施設長です」

「え?! 施設長が?!」

「はい」

「まだ会話すら完全じゃないのに子供と行動できるわけないじゃないかっ……施設長は何考えてんだ?!」

「私には分かりません」

「ああ、今のはイプシロンへの質問じゃないよ」

「了解です」

「それじゃあまた後でね!」

「はい」

 鏑木かぶらぎ博士は、私に左手を振ると部屋から出て行った。

 私は、鏑木かぶらぎ博士が入ってくる前に読んでいた本を再度読み始めた。


 ***


 TPOを考え、買い与えられた洋服の中から、コレと思われる洋服を選んで着た。

 恐らく、コレで良いと予想される。

 今まで多数選択してきた服だからだ。


 ドアがノックされた。

「はい」

「イプシロン、準備は出来た? 入っても大丈夫かな?」

「どうぞ、ラギ博士」

 声に応えると、ドアが開いて鏑木かぶらぎ博士が入ってきた。

 鏑木かぶらぎ博士──ラギ博士は、いつもの白衣姿ではなく黒のスーツを着ていた。

「……イプシロン。その服は……」

 ラギ博士の眉根が寄せられる。これが所謂いわゆる『微妙な顔』なのだと、天音あまね博士が教えてくれた。

「何か間違っていますか?」

「間違ってるというか……それ、研修用のツナギだよね?」

「はい」

「今日は……その。発表会なんだよ」

「はい。存じております。その為、何か試験的動作をさせられるかもと予想し、動きやすい格好をしてみした」

「そうか……なるほどね。確かに、そうとも予想できるね。

 でも今回は、そういった事がない予定なんだ。

 だから、そうだな……外出用のスーツを着てくれないかな?」

「分かりました。私の選択は間違っていたのですね」

「あっ……その。違うんだ! そんな申し訳なさそうな顔しないでくれ! 間違っていないよ?! でも、今回の場合はもっと無難な服装の方がいいかなっていう、僕の意見だから!」

「了解です。今回はラギ博士のご意見を尊重させて頂きます」

「ありがとう、イプシロン」

 私はすぐさまその場で作業着を脱ぐ。

「わっ!! イプシロン!! 着替えは! 僕が部屋を出てから! 終わるまで部屋の前にいるから、終わったら声かけて!」

 ラギ博士は顔を真っ赤にして慌てた様子で部屋を出て行った。

 ドアの隅に激しくぶつけた足は痛くなかっただろうか?


 ***


「後継機の開発が滞っていると聞いたわよ、鏑木かぶらぎ博士」

 研修室に入ってきた女──新しい施設長の遠藤博士が、何の前置きもなく突然喋り出す。


 前の田中施設長に比べるとかなり若い。

 登録された年齢より二十程若く見えた。

 素早くズームして見ると、皺伸ばしリフトアップ手術とコラーゲン注射の跡が見える。

 ──なるほど。アマネが言っていた『あのババア』とはこの人の事か。


「遠藤施設長……」

 ラギが、目の下に濃厚なクマを付けた顔で、部屋に入ってきた女にそう恐る恐る声をかける。

 何か言葉に困っていそうだったので、私が一歩前に出てラギの言葉を代弁する事にした。

「遠藤施設長。先日開発工期を延期したラムダ試作機の事をおっしゃっているのであれば、鏑木かぶらぎ博士を咎めるのは筋違いかと」


 当初、私の事など視界にも入れていなかった遠藤施設長は、澱みなくそう放った私を今初めて認識したかのような顔をした。

「驚いた。もしかして……貴女がイプシロン? 自立稼働可能な初代プロトタイプオートマトン。人間と同じように見えるのね」

「筐体は常にカスタマイズされております。現在は……貴女とは違い、劣化しない人工皮膚を利用しておりますから」

 そう私が言い放つと、ラギが小さくヒィっと縮こまった。しかし私は恐怖を感じない。それに、事実を言ったまでだ。

 遠藤施設長は、笑顔を崩さない。

 しかし。

 人間では知覚できない筋肉の痙攣を右頬に確認。──怒らせたかもしれない。

 まぁ、怒らせるであろうと予想される言葉を敢えて選んだのだが。

「……ふふっ。面白いのね。イプシロンはこんなに人間と変わらないのに、何故その後の開発は上手くいっていないのかしら?」

 私からの口撃にもどこ吹く風、といったテイを保った遠藤施設長は、ラギではなく私に向かって挑戦的に話しかけてきた。

 なので、私も遠慮なく返答する。

「一番の問題は、要件が整理されていない事です。企業から追加追加で要望だけ出されても、鏑木かぶらぎ博士は営業やマーケティング担当ではありませんので、要件定義は出来ません。

 要点を絞り要望の真意を明確にするのが、遠藤施設長、貴女の仕事ではないのですか?」

 一歩も引かずにそう伝えると、遠藤施設長は口の端を持ち上げてニヤリと笑う。

「そうね。その通りだわ。

 でもね、イプシロン。貴女のような女の事は、何て言われるか知ってる?」

「いいえ」

「生意気な女、よ」

「そうですか。学習しました」

「ふん。鏑木かぶらぎ博士。今回はこの子に免じて時間をあげます。ただし、次の時は何か成果を出す事。

 ──期待、してるわよ」

 そう言い捨て、遠藤施設長は研究室を出て行った。

 ラギは、扉が閉まるとともに空気の抜けた風船のように床にヘナヘナと座り込んでしまった。

「イプシロン……いつの間にそんな強い女性になったんだい?」

「普通です。アマネの奥様の方がよほど強いかと」

「確かにね……」

 ははは、と力なく笑ったラギは机の前に座り直し、モニタを凝視してキーボードを叩き始めた。

「いつまでも、イプシロンに頼りきりじゃマズイよね……」

 もう、ポツリと零しながら。


 ***


「イプシロン……」

 ラギが力なく私にそう声をかける。


 私は驚いてラギの方へと向き直った。

 私の名前を呼んだのは──五十四日ぶりだ。

 私を認識してくれた?!


 ベッドに横たわるラギの側へと駆け寄り、膝をついてその手を握る。

「ラギ、私はここです。ここに居ます」

「そうか……もう、よく目が見えないんだ。君の声をよく聞かせて」

「はい。好きなだけ。なんなら聖書を第一章から暗唱しましょうか?」

「いや、いい。ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」


 ああ、ラギの意識がこんなにハッキリしているのはいつぶりだろうか。

 このところ、一日中眠って二日間起きるリズムになっていたし、起きていてもで、物事を正しく認識出来ていなかったのに。


「ねぇ、イプシロン……君に、最後に一つだけ聞きたかった事があるんだ。

 聞いてもいいかな……?」

「はい、なんなりと」

「君は……」


 ラギの胸が息を吸って大きく膨らむ。


「この世に誕生した時……どうだった?」

 空気とともに、そんなか細い声がラギの喉から零れた。

 そして、そのまま大きく息を吐き切った。


「……はい、幸せを感じました。

 この世に生まれて……最初に見たのが、愛しい貴方の顔だったんですから。

 ──最高の、目覚めでしたよ」


 その言葉は……ラギの耳に……届いたのかどうかは確認できない。

 心室細動を起こした心臓が、次第にその動きをゆるゆると止めた。


 鏑木かぶらぎマコト博士。

 貴方と過ごした五十年七ヶ月と十三日。

 私はとても幸せでしたよ。


 本当に、とても。



 了

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