君じゃなきゃ

篠岡遼佳

君じゃなきゃ


 森の奥、一番大きな樹の幹には、小さめのドアがついている。

 私の仕事は、それを開けて、

「朝だよ! 起きて!」

 と、がなることである。


 どういう理屈になっているのか、幹の中は広い空洞になっていて、一階には所狭しとがらくたが置いてある。

 高い窓の下、吹き抜けの二階のはじっこに、毛布にくるまったイモムシ状のものがおり、それがもぞもぞと動いた。

「もう朝かい……?」

「そうよ! 水を汲んできてくれない? 朝ごはんにするから」

「卵焼き……」

「ちゃんとハミーカさんちの産みたて卵よ」

「起きる」


 がばっと、毛布から出てきたのは、黄金色から淡いラベンダー色に変わる派手で長い髪。瞬きする長いまつげに縁取られた目は、魔術を操る証の濃い青色だ。

 ぱっと見、ただの美形の青年に見えるが、そうではない。

 彼は魔導士・エインスハクト。

 村のみんなは、魔導士さまと呼ぶけど、私は気軽にエインと呼んでいる。そう呼んでくれと頼まれたからだ。

 我が家は代々、この魔導師さまの面倒を見ている。おじいちゃんのおじいちゃんからそうだというから、もう何年前なのか想像もつかない。


 エインの家は、森のまんなか辺りにあって、道中は魔物がしょっちゅう出る。

 だが、エインがくれた護符を突きつけると、大抵の魔物は何か合点がいったように去って行く。

 魔物の言葉が書いてあるとは言っていたけれど、魔物って文字読めるのかな?


 思いながら、がらくたを崩れないように脇に寄せて道を作りつつ、水回りまでなんとかやってきた。

 言ったとおり、村一番のハミーカさんちの卵を、温めたフライパンに惜しげもなく三つも入れる。

 白パンと今日の分の牛乳をテーブルに用意する間に、フライパンにハムも入れる。

 そうこうしていると、ねぼすけな魔導士さんは水を汲んで戻ってきた。

 魔術でやればいいのに、と言ったこともあるが「そっちの方がめんどくさい」とのことである。フクザツだ。

 エインは鼻歌を歌いながら、髪を整え、顔を洗って戻ってきた。

 彼は音楽が好きらしく、リュートのような不思議な楽器で、異国の曲を良く歌っている。彼が言うには「異世界の曲だよ」とのことだが、その言い分はかなり怪しい。


 テーブルに朝食をすべて揃えて、私たちは向き合って座った。

「では、いただきましょうか」

「いただきまーす!」

 言うが早いかエインはナイフでハムを切り取り、案外大きな一口でそれを食べた。

 私も続いて、卵焼きをパンに挟んで食べる。ああ、至高のひととき。

 私は朝が好きだ。目覚めるのも好きだし、食事を作るのも、誰かと一緒にごはんを食べるのも好きだ。

 エインとはこうして一緒に食事をとるのも何回目になるだろう。ちいさい頃からおじいちゃんに付き合ってここに来ていたから、もう――え、10年?!

 わあ、私もそりゃあ15歳になるわけだ。村では完全にいきおくれである。

 気になる相手も、村では探せそうにないし、私はこうしてエインに世話を焼いている。

 エインは卵焼きを切り分けながら、 

「村長さんから聞いたよ。またお見合い断ったんだって?」

「エイン、その話、食事中にしなきゃダメかしら」

「うーん、じゃああとにしよう」


 ということで、ごはんを食べ終わり、お皿を洗ってからコーヒーを淹れて、一息ついた。

「あのね、意地悪で言ってるんじゃないのはわかるよね?」

 エインはいつもなんだかゆるいしゃべり方をする。子供扱いなのかも知れない。

 私の得意のコーヒーに、どばどばと砂糖と牛乳を入れて、彼は続ける。

「みんな心配なんだよ、おじいさん以外にもう血縁がいない君のこと。美人で気立てもいいんだから、えり好みしなければ、ってみんな言うよ?」

「エインがみんな、って言うなら、ほんとにみんななんだろうね」

「まあ、村の様子を見に行くとたくさんお話聞くから」

 私はこの村特産のお茶を飲みながら、

「愚痴でしょ、誰かがくしゃみしたのだって、次の日にはみんなわかっちゃうんだから、この村は」

「ははは……あながち誇張でもないところがこの村のいいところだ」

 コーヒーをすすりながら言うエイン。

「だから、私は村を出たいの。街に行って……もっと大きなものを見てみたい。結婚相手だって自分で決めたい。でも、私はお茶を摘むのと機を織ることぐらいしかできない。学問が必要なのよ、私には」

 私は彼に真剣に言った。

 エインは頷き、「そうだね、」と続けた。

「そこまでわかっているなら、私に言うことがあるんじゃないかな」

「うん……」

 魔導士は、薬師やお医者さまの役目もするけれど、それは膨大な知識に裏付けられた行為であることは、なんとなくわかっていた。

 つまり、

「エインに先生になってほしい。私が、独り立ちできるくらいに」

「うん、それはどういうことか、わかるよね」

「うん」

 私は息を吸って、頭を下げた。

「弟子にして下さい! あなたの知識を私にもわけて下さい!」

「いいよ、八代目の私の世話役。あなた方には返せないほどの恩がある」

「……なんか、おじいちゃんたちを盾に取ったような気持ちがする……」

「そんなことはない、シエラ・レマノス」

 私の名前をそう柔らかく呼び、エインは私の頭を撫でた。

「これから君に、たくさんのことを教えよう。獣との付き合い方、魔物との話し方、そういう一般的な魔術から、薬の摘み方、煎じ方、死者との付き合い方まで」

 そして、ふっと空中を掴むと、私に手のひらを開いて見せた。

「指輪……?」そこにはシンプルな銀の指輪があった。

「魔術には魔道具が必要だ。シエラにきっと似合うよ」

 はい、と私の左手を取り、薬指にそれをすっぽりとはめてしまう。驚くほどそれは指に馴染んだ。

「なんでこの指なの?」

「まあ、僕の気持ちだと思っておいて。いつか話す時も来るから」

「ふぅん……?」

 よくわからないけれど、悪い気分ではない。私は笑って、

「そうだ、今日なんて、エインと結婚しろ、ってハミーカさんに言われたんだった」

 ふふ、とおかしそうに言うと、ぱちぱちとエインは瞬きをしたあと、なぜか耳まで真っ赤になった。ちらちら、と私を見て、

「そ、そう……そうなのか……」

 なんて、ぼそぼそと呟く。

「……? なに? なんか変かな?」

「シエラはいつもきれいだよ」

「ありがと、エインも今日も髪きれいだね」

 私が返すと、エインは腕組みをして、

「うううーん……これは失敗だったかも知れない……」

 とひとしきり唸った。

 よくわからないけれど、とりあえず、私は話を進めた。

「じゃあ、今日からよろしくね。どうしようか。一緒に暮らす?」

「ぶっ」

 コーヒーをこぼすんじゃないかというほど動揺するエイン。なんだ、どうした。

「住むとしても、その前に、でも、ここ、掃除しないとなあ」

 私がぼやくと、

「今日やろう、すぐやろう。君が暮らしやすいようにしよう」

 かつてないような勢いでエインが答えた。


 そんなわけで、今日は大掃除だ。

 片っ端からものを出して、いる・いらないをわけていく。

 日がてっぺんに来たくらいに、食事休憩を取った。

 エインはよくわからない例の弦楽器を濡れた布で拭き上げると、それを抱えて歌い出した。

 異国の歌は、力強く、あたたかい力を持っていた。

 言葉はわからないけど、リフレインするメロディー。


 どんな歌なの? とエインに尋ねると、「君がいて、いろんなことが変わっていって、それが素晴らしい、という意味だよ」なんて、とても優しい笑顔で私に言った。


 私はそのふとした瞬間に、「エインの笑顔が好きだな」と、木漏れ日に照らされながら、思ったりした――。





 



 

 

 

 

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君じゃなきゃ 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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