セーバルがんばる脱走劇

にら(たれ)

セーバルがんばる脱走劇

「きょうもダメなの?」

一応質問はしたものの、答えは大体予想がつく。

「ええ。……ごめんね、セーバル」

ほらね、やっぱり予想通りだよ。

今日も昨日も、そのまた前も、わたしはこの部屋……ジャパリパーク動物研究所の自室から外に出られずにいた。

いつの間にか部屋の中は娯楽で溢れ、まるでおもちゃ箱みたいになっていた。たったひとりでは遊び切れない程の量だが、それでもわたしは決して満足できなかった。なぜなら、わたしが求めているのはゲーム機でも絵本でもないから。

わたしの願いはただ一つ! ”外へ遊びに行きたい!”……である。そもそも部屋の中にいる限り、わたしが満足する訳がないのだ。

そんな満たされない日々がずっと続き、そろそろ限界が近づいていたわたしは、ある計画を練り始めていた。

それはズバリ、”研究所からの脱出計画”だ。カコさんがちゃんと外に出してくれさえすれば、こんな事を考える必要など全くないというのに……。

勘違いしてほしくないが、前は確かに外に出してくれていた。このすこし小さな部屋のドアを開け、廊下の突き当りにある副所長室のドアをノックして、カコさんに一言伝える。それだけで簡単に外に出ることができた。ところが今では、伝えるどころかノックしに行くことすら叶わない。こんな軟禁状態が許されるのか!

しかし、一つだけ問題があった。暇にまかせて練りに練った計画だが、実行するタイミングを決めかねていたのだ。いくら素晴らしい計画だとしても、実行できなければ机上の空論というもので、単なるアタマの体操にしかならない。

「ねえセーバル、ちゃんと聞いてるの……?」

「……あんまり聞いてなかった」

実のところ、ほとんど聞いていなかった。

いつものように外に出ないように忠告して、最後は自分が副所長室にいることを伝えるのだろうと思っていたからだ。飽きるほど聞いた言葉である。

しかし、今日は違った。

「もう一度言うわよ……。今日は研究室の方にずっといると思うから、もし私の場所を尋ねられたらそっちにいるって伝えてね。……わかった?」

「えっ……うん」

「それじゃ、後はお願いね」

「わかった」

そう、わかってしまった。

脱出計画を実行するなら、今日しかないということが……!

「カコさん、いってらっしゃい!」

わたしはとびっきりの笑顔で見送った。


カコさんが部屋を離れたことを確認したら、遂に作戦決行だ。

「部屋から出るには……あそこだよね」

わたしはカコさんが出ていったドアではなく、何の変哲もないつるりとした天井へ目を向ける。計画はあの天井から始まるのだ。

わたしは重い机を部屋の端まで動かして、その上に登り天井の板を外す。

「よい……しょっと」

余裕の仕事、問題なく成功した。部屋の端の天板が緩んでいることを知ったのは、暇つぶしにゴムボールを投げていた時のことだった。ぽんぽんとボールを投げているうちにテンションが上がり、ついつい強く投げてしまったのだ。当時はうっかり天井を突き破ったかと思い、肝を潰したことを覚えている。しかし、今日のわたしは決意で満たされている。ちょっとやそっとじゃ驚いたりしない!

軽く跳び上がり、身体を天井裏の薄暗い空間へ滑り込ませた。

「うっ……けほ。やっぱり凄いホコリ」

いくらラッキービーストや職員によって清潔に保たれている研究所とはいえ、流石に天井裏までは掃除していないようだ。

「ここにはあまり長居したくない。はやく進んでしまおう」

天板を元に戻し、なんとも言えない息苦しさを感じながら、頭の中では計画を反芻していた。副所長室に辿り着いたら鍵を盗み出し、再び天井裏を利用して倉庫の中に忍び込む。鍵を使って倉庫の裏口の扉を開ければ、念願の外へ出られるのだ。

みしり、と音がした。

「うわっ……、危ない危ない。また落ちるところだった」

当然だが、うっかり下に落ちてしまえばその時点で計画失敗だ。たちまち職員たちに見つかって連れ戻されてしまうだろう。天井裏は意外に広いが、乗ることができる場所は限られている。以前それを知らないままに進もうとして、酷い目にあった。落下した先も自分の部屋だったから良かったものの、穴が空いた天井の言い訳には凄まじく苦労させられた。あんな悲劇は繰り返さないほうがいい。


副所長室の真上に移動したら、目印を付けておいた天板を外し、音を立てないようにゆっくりと侵入する。他人の机に乗るのは心苦しいが、靴を脱いで勘弁してもらう。

「とうちゃく、っと……」

脱いだ靴を下に置き、部屋の中を見回した。

副所長室はきれいに整頓されているものの、そもそも置いてある資料が多すぎてごちゃごちゃしているように見えてしまうのが印象的だった。カコさんはこの大量の資料を全て把握しているのだろうか? 間違いないのは、わたしが資料を読んだところでちっとも理解できないだろうということだ。残念。

そんなたくさんの資料が風に吹かれて、ぱたぱたと音を立てていた。飛ばされてしまったのか、数枚の資料が床に散らばっている。

「カコさん、窓を閉め忘れた……?」

副所長室には大きな窓があった。薄いカーテンが風でゆらめき、外からは暖かな日の光が差し込んでいた。

わたしは床の資料を拾って机の上に置きながら、ぼんやりと外の景色を眺めた。塀に囲まれているのであまり眺めは良くないが、わたしはその先に広がる素晴らしい景色を知っている。暑い砂漠や寒い雪原、のどかな草原やきれいな海。わたしが求める世界がその先にあるんだと思うと、なんだかワクワクした。

「ふしぎだな。少し前までは当たり前の世界だったのに、見られなくなったとたんに恋しくなる」

気付けばわたしは、研究所脱出のための計画を練り、カコさんの部屋に忍び込んでまで、外の世界へ飛び出そうとしている。

わたしを生み出したサーバルのカガヤキがそうさせるのか、女王に歯向かって生まれたわたし自身のカガヤキがそうさせるのか。

「まあ、どっちでもいいか」

どちらであろうと両方わたしなのだから、考えるだけ無駄かもしれない。考えを断ち切るようにして、窓を閉めた。


「いけない、のんびりしている場合じゃなかった!」

カコさんが研究室に居るとはいえ、物思いにふけっているほどの時間はない。いつ何かの拍子で部屋に戻ってきてもおかしくないのだ。

カーテンを閉じ、カコさんがいつも座っている大きな机に駆け寄った。机の引き出しをいくつか開けると、すぐにお目当てのモノを見つけることができた。

「あった……倉庫の鍵」

この小さな倉庫の鍵は、脱出計画のカギである。倉庫でカコさんのお手伝いをしていたとき、カコさんがこの鍵を使って外に通じる扉を開けているのを見たことがあったのだ。当時は扉から次々に運び込まれる段ボールやサンプル容器を見て、ただ単純に「次の仕事がやってきた」程度にしか思わなかったのだが、こんな何気ない思い出が役に立つ日が来るとは思っても見なかった。

そういえば、最近は倉庫の仕事すら任せてもらえなくなっていた。わたしは何故そこまで徹底的に、窓すらない娯楽だらけの部屋に軟禁されていたのだろうか?

「……だから! そんなことを考えてる時間はないの!」

わたしは引き出しを元に戻すと再び机に乗り、跳び上がって天井裏へ潜り込んだ。

天板を元の位置に戻しながら、わたしは小さく息を吐いた。

今日はやけに色々なことを考えてしまう。やはり、何処かでカコさんに対して罪悪感のようなものを感じているのだろう。

カコさんがお仕事に復帰した少し後に、わたしはしばらく研究所で暮らすことを決められた。担当飼育員としてカコさんが紹介されたされたときは驚いた。なぜなら、わたしを操り、サーバルたちの手で撃破された女王にとてもよく似ていたからだ。そしてすぐに、彼女こそが女王の原型だと知った。

はじめの頃は、誰がお前の指示なんかに従うもんかと抵抗した。お前の言うことなんて絶対に聞きたくない、と直接ひどいことを言ってしまったこともあった。カコさんに心を開くことなど決してあり得ないと、強く信じて疑わなかった。

わたしがカコさんに反発していたとき、いつも語りかけてくれた言葉がある。

「私は……女王みたいに、あなたを苦しめたりするつもりはないわ。……でも、女王が持っていた”何かを決して諦めない熱意”はきっと、……私ゆずり、だと思う」

どれだけ反発しても、カコさんは決して諦めずにわたしと接し続けてくれた。小さな意地と大きな熱意の戦いは、程なくしてわたしの敗北で決着した。カコさんが秘めたエネルギーに勝てる者など、パーク中を探し回ってもそう見つからないだろう。

それからのわたしは、カコさんに歯向かうことはなくなった。信頼関係すら出来ていたかもしれない。カコさんの助手のようなことをしたり、外出先での出来事を伝えたりもした。わたしにとっては何気ない日常の出来事も、カコさんは楽しそうに笑って聞いてくれたっけ。

なのに、だ。最近のカコさんはどうにもおかしい。これまでにそれほど多くの経験はしていないが、その僅かな経験からしても、カコさんの今の態度は「ヘン」なのだ。

早まったかな、という考えがちらりと頭をよぎった。だがしかし、もう遅い。目の前には既に次の目的地、倉庫の天板を示す目印が迫っていた。


天板を外すと、明るい光が……見えることはなく、相変わらず暗いままだ。副所長室には光が差し込んでいたので、天板を開けたときに微かな光が漏れ出てきたが、倉庫の中は真っ暗に近かった。

過剰なほど慎重に下へ降りる。真下が安全であることは事前にリサーチ済みではあるものの、怖いものは怖いのだ。

「よかった、誰もいないみたい」

まさか明かりをつけないで倉庫を漁る物好きはいないだろう。……いや、ひとりいる。これからのわたしだ。

「ううっ、明かりを……明かりをつけたい」

思わず本音が漏れ出てしまう。しかし、部屋を明るくすることはできない。そんなことをすれば、部屋の外から気付かれてしまう危険性があるからだ。誰も居ないはずの倉庫の照明が突然付いたら、誰だって怪しむというものである。

倉庫は非常に広く、明るくてもたまに迷うくらい厄介な場所だ。というのも、置いてある資材やサンプルの位置が時折変わっているのだ。研究所といえば、きれいに整頓された棚に資料がぎっしり詰まっているようなイメージがあるかもしれないが、それはいわゆる「そういう場所」なのであって、ここの倉庫には当てはまらない。各地から送られてきた段ボールや、これから各地に送られる段ボール、普段使わない開発品やサンプルなどでいつも溢れんばかりとなっている。まさに闇鍋のような様相と化していた。

「うわぁっ、あぶない!」

なので、たまにこうして足を引っ掛けそうになる。もう一度言うが、ここは厄介な場所だ。まして真っ暗な状態で歩き回るなど言語道断な場所なのだった。

「まったく、誰かせいとんすればいいのに」

わたしのつぶやきが倉庫に響く。怖さを誤魔化すためについつい何かを口にしがちだが、倉庫はそれなりに防音処理がされているらしく、この程度の声が外に漏れ出すことはない。今のわたしにとって僅かばかりの救いと言えた。

「さて、裏口はどこにあるんだろう……」

何度か倉庫に来たことがあるが、流石に目の殆ど見えない状態で迷わないほど構造を把握している訳ではない。暗さも手伝って、半分迷ってしまっていた。

「うーん……ここはちょっとずつ探すしかないみたい」

近くの資材と思われるものに手を当て、それに沿うようにして歩き始める。幸い、副所長室とは違ってあまりヒトの立ち入らない部屋なので、時間だけはそれなりにあった。焦らずじっくりと出口を探すことができるのだ。



しばらく歩き続けていると、光が見えた。

「やっと見つけ……てない。あれは倉庫の入り口だ」

 どうやら真逆の方向に進み続けていたらしい。期待を裏切られたような残念な気持ちになったが、逆に進めばわたしの求めている出口に辿り着けることが分かったんだ、と自分を納得させる。どこに居るかすらよく分からなかった最初に比べれば、大きな進歩だと言えるだろう。

「……倉庫の外は、どうなってるのかな。わたしが抜け出したこと、バレてない?」

そろりそろりと扉に近づいて、わずかに空けられた小さな穴を覗いた。

倉庫の外には、数人の職員が廊下を行き来しているのが見えた。知らない顔の職員も見える。カコさんの言っていた研究というのは、それなりに大きな規模の研究会だったのかもしれない。

さて出口の捜索に戻ろうかと思った時、深緑色の影が目の前を通り過ぎた。

カコさんだ。特徴的なカコさんの髪の毛が広がっていた。

カコさんはわたしのことに少しも気が付かないで、目の前を通り過ぎていった。そしてすぐ近くの研究室の扉を開け、中に入っていった。部屋の中には、他の研究者らしきヒトの姿もあった。

「………………。」

わたしがカコさんに気付かれなかったのは幸運だった。もしカコさんがちらりと視線を動かしていれば、少しでもこちら側に意識を向けていたとしたら、倉庫から外を覗いていることがバレていただろう。ヒヤリと冷たいものが背中に這い登るのを感じた。

加工されたガラスの向こう側に、カコさんのシルエットだけが見えている。倉庫の中にいるわたしのことが見えているはずないが、それでもなぜか視線を感じてしまったわたしは、そっと倉庫の扉を離れた。

あまり時間をかけないほうがいいかもしれない、と思った。

わたしの影が倉庫の奥に向かって大きく伸びていた。記憶が間違っていなければ、影の指す方向にわたしの求める光があるはずだ。

再び資材の山に手を添えて、ゆっくり歩き始めた。扉から差し込んでいた光は届かなくなり、再び真っ暗な空間でひとりぼっちになった。


「うう、やっぱりブキミでしょうがない……」

ただでさえ不安でしょうがないのに、闇のせいで置いてある資材そのものもブキミに見えてしまうのだ。ただの段ボールや標本、サンプルだと自分に言い聞かせながら進んでいく。

少し歩くと、何やら電子音のようなものが聞こえた。何だろうとつい癖で辺りを見回したが、当然何もわからなかった。そもそも殆ど何も見えていない。

「くぐもったように聞こえる……」

ということはつまり、何かの箱の中から音が出ているということになる。思い切り目を凝らして辺りを見ると、辛うじて小さな箱がたくさんあるのが見えた。

「この中のどれかに入ってるの……?」

箱に耳を近づけて、音が出る箱を探した。電子音は小さいながらもずっと流れ続けていた。明かりが付いていたら、なんとも間抜けな格好をしていただろう。

「…………!」

箱の1つから音を感じた。どうやらコレが音の出る箱らしいと見当をつけ、小さな紙箱を手にとった。

小さな紙箱はとても軽く、試しに振ってみるとカタカタと音がした。この中になにか入っているらしい。

「なんだろ、これ……?」

何か文字のようなものが見える気がしないでもないが、判読できなかった。箱の様子からして、危険なものではないらしいことは分かる。

「入り口まで戻れば、文字を読めるだろうけど……めんどくさい」

箱を開けると、中から光がほんの少しだけ溢れた。黒くて四角い外枠に、丸い液晶が付いた機械が入っていた。

「これ……ラッキービーストにくっついてるやつ!?」

胸元に貼り付いているものと同じらしい。だがしかし、若干様子がおかしい。

『ピピピ、ピ……、ピ』

「こ、壊れてるのかな……?」

小さな液晶は刺すような青色で染まり、その中を更に小さな文字列が無機質に駆け降りていた。ひと目見ただけで正常ではないと分かった。とりあえずラッキービーストとしての役目は果たしてくれそうにない。

液晶が放つ僅かな光を箱の文字にかざすと、さっきまでは読めなかった文字を解読できた。

『崩壊コア(ラッキービースト1型)』

「ほ、崩壊って……」

酷い言われようである。しかし保存されているだけマシかもしれないな、と思った。本来なら使い物にならないモノは捨てられるか、バラバラにされてギンギツネの玩具(本人は発明だと言っているが)になるかのどちらか以外に道はないからだ。

「でもよかった、今はあなたの使いみちがありそう」

わたしは崩壊コアを箱から取り出して、腕に装着した。ガイド機能は望めないが、僅かな光で足元を照らすことができるようになった。

「よろしくね、ラッキービースト」

『ピ……ピピ、ピピピピ……』

「……うん、答えないのは分かってた」

もとよりラッキービーストはわたしたちフレンズと会話しないのだ。それなのに、ついつい話しかけてしまった。しかし、今は崩壊コアから聞こえる電子音さえわたしを勇気づけてくれているように感じるのだ。

「さて、行こう!」

そう言って顔を上げ後ろを向くと、忘れたくても忘れることが出来ない黒い顔がこちらを見つめていた。

「~~~~~~~っ!?」

思わず後ずさりしたせいで棚に激突してしまった。頭の上に大量の小箱が落ちてきて、あたりに散らばった。

改めて黒い顔の持ち主をよく見ると、セルリアン女王……の模型だった。なんという趣味の悪い置物を仕舞い込んでいるのか!

「はぁ、びっくりした……」

二度と見ることは無いと思っていた顔だけに、それはもう滅茶苦茶な勢いで驚いてしまった。あまりの驚きで、小箱が落ちてきた痛みに気付かなかったほどだ。

「むぅ……」

なんだか無性に腹が立ってきた。わたしは立ち上がると、つかつかと女王の模型に歩み寄り軽く小突いてやった。その衝撃で顔の向きが変な角度になってしまったので、慌てて元に直した。

「戻すくらいなら、はじめからやらなきゃいいのに」

他の誰でもないわたし自身に向けられた言葉に対して、うるさいそんなことはわかってるんだと自答する。バカバカしくなって、わたしは踵を返して先に進んだ。小箱を元に戻すことなど、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。


「ウマの蹄に、ワシの羽……。なんでこんな物が?」

更に奥へ進んだところには、けもののサンプルが保存されていた。無造作に置かれているということは、資料品用ではなくサンドスター実験に使うためのモノなのだろう。パークでは常識になりつつあるが、これらのサンプルのような”生き物の一部”と”サンドスター”が結びつけば、フレンズが生まれる。実際にはこれほど単純な仕組みでは無いのだろうけれど、わたしは詳しく知らないし、正直言ってあまり知りたいとも思えなかった。

「わたしはみんなとはちがう」

他のフレンズみたいに”けもの”から生まれていないわたしは、時々不思議に思うことがあった。わたしは一体、何なんだろう?

「セーバルはサーバルの起こした奇跡の欠片から生まれた」

そんなことは分かってる。

「セーバルはセーバルが自分で生んだカガヤキのフレンズ」

違う。これはサーバルが生み出してくれたカガヤキにすぎないんだ。

「セーバルはセルリアンから進化した全く新しいフレンズ」

何が進化なものか。フレンズとセルリアンが全くの別物だってことはわたしが一番分かってる!

現存種でも、絶滅種でも、幻獣種でもないモノから生まれたのに、わたしはアニマルガール。その事実はすこしも揺るがず、目の前から動いてくれなかった。

どうにかなりそうだった。たくさんの文字が頭の中を駆け巡るのを感じた。

わたしは頭を抱えるようにして、小さな声で呻いていた。そのせいで、足元の注意を怠ってしまった。

「───うわっ!?」

地面に倒れていたパイプに足を引っ掛けてよろめき、ワシの羽が収められた容器を落としてしまった。

パリン、と鋭い音が倉庫に響いた。

その音に驚き、さらによろめいたわたしは反対側の資料に腰をしたたかに打ち付けた。踏んだり蹴ったり、泣きっ面にハチである。

ごん、という鈍い音の後、他のサンプルが落ちてきた。

「いたた……」

辺りはすっかり生き物のサンプルで散らかり、ひどい有様になっている。このまま放置するのはマズイだろう。

「あちゃー……、こんなはずじゃなかったのに」

そうつぶやきながらワシの羽とウマの蹄を手にとった時、後ろから大きな影が迫ってくるのを見た。

もう見つかってしまったか、と覚悟を決め後ろを振り向くと、そこには────



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「…………というわけなんです。詳しくは、お手元の2つ目の資料を見ていただけると分かるのですが……。」

研究は楽しい。分からないものを徹底的に調べ上げ、苦労の末に疑問を解消した瞬間の充実感はとても素晴らしいものだ。あの快感を得るためなら、どんな苦労だって乗り越えてみせるとさえ思わせる。

しかし苦労を受けているその瞬間は、やはり辛いと感じてしまうことが少なくないのだった。

「すみません、2つ目の資料はどこにあるのでしょうか……?」

他所の研究所からやってきた1人の職員が声を上げた。他の職員も顔を見合わせている。

「えっ?」

やってしまった。今日使うつもりだった資料を渡し忘れていたのだ。副所長の私がこんな初歩的なミスを犯してしまうなんて……。

「すみません。すぐに取ってきます」

頭を下げ、早足で扉へと急ぐ。最近のカコ博士はどうしたのだろう、という小さな話し声を背中で聞いた。

どうしたもこうしたもあるものか!

私は内心、非常に焦っていた。これではいけないと頭では分かっていても、焦らずには居られなかった。

理由はセーバルにある。といっても、あの子が何かをしでかした訳ではない。しかし、いつ何かをしでかすか分からなかった。何故なら、ここ最近ずっとセーバルを研究所に縛り付けているからだ。

最初こそセーバルは、私に対して非常に攻撃的だった。面と向かって暴言を吐いてきたことすらあった。本当にこの子と仲良くできるのか、不安でしょうがない毎日を過ごしていた。

しかし、それも過去の話。いつの間にか私たちは、奇妙な繋がりで結びついていた。

ミライは私とセーバルの関係が奇妙に映って仕方がないらしく、会うたびに「セーバルとはどうですか?」と聞いてくる。どうしたもこうしたもない、仲良くしてるよと伝えると、ミライは本当に幸せそうに笑うのだ。

私はその笑顔を見るのが好きだった。しかし、不思議に思って一度理由を聞いたことがある。

ミライさんはしばらくきょとんとしてから、また幸せそうに笑った。そして、窓の外を眺めながらこう言った。

「だって、素敵じゃないですか。カコさんとセーバルさんが仲良く過ごしているなんて、少し前までは考えられなかった事ですよ?」

少し前とは、私が眠っていた間のことだろう。意識を取り戻した後、私は事の顛末を聞かされた。セルリアンに私の”熱意”を奪われ、その”熱意”がセルリアンに大きな力を与えたこと。そのセルリアンは女王となり、他のセルリアンを支配していたこと。支配はセーバルにも及んでいたこと。そして……女王に立ち向かったセーバルがフレンズに成ったこと。

間接的とはいえ、かつて敵同士だったものが仲良く過ごしている姿が、ミライにとっては愛しくて仕方ないのだろう。そう思った。

「ふふ……そうかもね」

改めて考えると、私としてもセーバルとの関係が何にも代え難いものであるような気がして、不思議と笑みが溢れた。いつの間にか、セーバルのことをまるで娘のように見守っている自分がいることに気が付いた。

そんな私の目を真っ直ぐ見つめて、ミライさんは一言続けた。

「本当に、素敵なことなんですよ」


それが今はどうだ。私はかつての女王のように、セーバルを小さな部屋に閉じ込めている。これはセーバルのため、仕方のないことなんだと言い聞かせても、私の心は晴れないままだった。

近頃のセーバルは与えたゲーム機や本にも手を付けようとしない。この仕打ちへの我慢もそろそろ限界だろう、それはセーバル自身の目を見ても分かる。口では特に文句を言ってくる様子は無いが、セーバルの大きな赤い瞳が私に強く訴えかけるのだ。

「ここから出せ」と。

私はその願いに一刻も早く応えてあげないといけない。しかし、その思いがかえって自分を焦らせているのは皮肉な話だった。

私は溢れ出しそうな思いをぐっと飲み込み、「失礼します」とだけ言ってそのまま部屋を出た。


さて肝心の2つ目の資料だが、これは本当に今すぐ取ってくることができる。既にコピーした分を副所長室に置いてあるはずなのだ。内容は、セーバルに残されたコピー能力について。

「どうしてこんなに肝心な書類を忘れるかな……」

自分で自分が信じられなくなるような、とんでもないミスである。私の心は嫌悪感と罪悪感でいっぱいになっていた。

どんよりした気分と足取りで廊下を進み、自室の扉を開ける。窓は閉められ、カーテンで日光が遮断された部屋はなんとも陰鬱な雰囲気を醸し出していた。

窓が閉められ? ……カーテンで日光が遮断?

「私、窓なんて閉めたかしら……?」

近頃は研究が行き詰まることも多く、気分転換のために窓を開けるようにしていたのだ。カーテンも同様である。しかし、窓はいつの間にか閉められ、カーテンもしっかり閉じられていた。

妙である。私にはどちらを閉めた記憶もないのだ。

「わ、私はついに窓を閉めたことすら忘れてしまう身体になってしまったの……?」

1人で愕然としながら机に歩み寄ると、ここでも違和感を覚えた。

書類は机の端に積んでいたはずなのだが、数枚だけ机の真ん中に置かれていた。よく見てみると、順番がバラバラである。

まさか。

私は血相を変えて部屋中を確認し始めた。1つ目の棚、2つ目、3つ目……と見て回る。

しかし、嫌な予感というものは的中するものだ。

大急ぎで確認を進め自分の机に戻ってきた時、3つ目の違和感に気付いた。

「引き出しが……少し開いてる」

その引き出しは確か、倉庫の鍵を入れていたはずだ。恐る恐る確認すると、やはり漁られた形跡があった。

そして、あるはずの鍵が無くなっていた。

「そんな、盗まれた……!?」

研究所の警備はそれなりに厳重であり、簡単に入ってこられる環境ではない。よそ者の泥棒が忍び込めるとは思えない。そのうえ外には塀があるため、出ることも難しいはず。

しかし、その疑問は直ぐに解消されることとなった。

机の下に、セーバルの靴が落ちていたのである。

「は?」

副所長室に、セーバルの靴?

ただただ単純に理解が追いつかない。もし今の私を誰かに見られていたなら、しばらくお笑い草になってしまうほど呆けた顔をしていただろう。

「えーっと……これは、どういうことかしら?」

こめかみをとんとんと叩きながら、ゆっくりと事実をひとつひとつ整理していく。

整理して、整理して、整理して……。

「あの子が、盗みに入った?」

セーバルはいつもの部屋に居るはずだ。扉を開けて外に出ているのを見つけたときは、私に知らせるように他の職員へ伝えてある。報告が無いということはつまり、扉を開けて脱走した訳ではないということだ。

しかし、セーバルの靴がここにあることも、鍵が消えていることも事実に違いない。

「まだよ、まだ……誰かのイタズラの可能性もあるわ」

イタズラにしてはあまりにも悪質が過ぎるが、外部の泥棒よりは可能性があるというものである。

2つ目の資料の束を抱え、部屋を出た。

扉の横に控えていたラッキービーストがこちらを見つめている。

私はその場にしゃがんで、ラッキービーストに質問した。

「ねえ、ラッキーさん。私の部屋に誰か入ったかしら?」

「ハイッテナイヨ」

「じゃあ、私の部屋から誰か出たかしら?」

「デテナイヨ」

「……今から二十分前までの映像を見せてもらえる? 時間がないから、思いっきり倍速で」

「ワカッタヨ。サイセイスルネ……」

廊下の壁に、緑がかったホログラム映像が投影される。しかし、やはりセーバルの姿はなかった。

「…………ありがとう、ラッキーさん」

「ナニカアッタラ、マタコエヲカケテネ」

ラッキービーストの頭を軽く撫で、私は立ち上がった。

セーバルの部屋はすぐそこにある。廊下を戻り、扉についている小さな窓から中を覗き込んだ。

姿は見えない。

「セーバル、セーバル?」

こんこんとノックしてみる。応答はない。

「セーバル! 開けるわよ?」

何だか思春期の子供を抱えた母親のような錯覚を覚えたが、気にせず扉を開けた。

これといって変わった点も見られない、いつものセーバルの部屋だった。強いて言えば、机の位置が少し変わっているくらいだろうか?しかし、そんな些細なものが霞んで見えなくなるほどの大きな変化───セーバルが消えているという事実が、私の頭を揺さぶった。

「本当に居ないなんて……」

心のどこかで、セーバルがきちんと部屋で大人しくしていることを期待している自分がいた。そして、私のささやかな期待はアッサリと打ち砕かれた。おもちゃ箱のような彼女の部屋は、点けっぱなしのモニター画面と放置された読みかけの本が静かに佇むのみだった。


だがしかし、その事実よりもっと大きな衝撃が研究所を駆け巡った。

《緊急事態発生、緊急事態発生! 倉庫デ何ラカノ事故が発生シタ可能性アリ、倉庫デ何ラカノ事故が発生シタ可能性アリ! 繰リ返シマス。緊急事態発生……》

私は即座に駆け出した。

抱えていた書類を放り出して、倉庫に急いだ。後片付けなんて、今の私にはどうでもいい。警報を聞きつけた他の職員が出てきているが、それさえどうでも良かった。副所長室に残された靴、消えた倉庫の鍵、そして消えたセーバル。これらの事実から導き出されることは二つ。

セーバルが倉庫にいること、そしてセーバルが倉庫で何かをやらかしたということだ。

「LB、倉庫の扉を全てアンロックしなさい。副所長権限よ!」

『声紋確認、顔認証……確認。倉庫ノ扉ヲ解錠シマシタ』

開きかけの扉にぶつかるようにして倉庫の中に入り、明かりをつける。もうもうとホコリのようなものが舞っているのが見えた。

(まったく、世話の焼ける娘……!)

私は倉庫の奥へと駆け出した。



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痛い、苦しい。

わたしは一瞬の気絶から醒めた。どうやら積み上げられた段ボールの山が崩れたらしい。フレンズの肉体だから助かったようなもので、ヒトなら間違いなく大怪我していたことだろう。打ち所が悪ければ、死んでしまっていたかも知れない。そう思わせるほどの大事故が起きていた。

《緊急事態発生、緊急事態発生! 倉庫デ何ラカノ事故が発生シタ可能性アリ、倉庫デ何ラカノ事故が発生シタ可能性アリ! 繰リ返シマス。緊急事態発生……》

警報を鳴らされてしまったようだ。とはいえ、これほどの出来事があってもなお警報が作動しなければ、それはそれで困るのだけど……。

わたしは崩れた段ボールの山から抜け出し、改めて辺りの惨状を見た。いくつかのサンプル容器が破損しているものの、明らかに壊れてしまって取り返しのつかなさそうなものは見当たらなかった。不幸中の幸いと言えなくもないが、わたしとしては不幸が大きすぎると思った。外に出るということが、こんなにも過酷なことだとは思いもしなかった。

さてこれからどうしようかと思案しようとした瞬間、わたしの前後から光が溢れてきた。一つは歩いて来た方向から、もう一つはこれから向かう方向からである。

一つは入り口からで間違いないだろう。ということは、もう一つの光は……?

段ボールの山を駆け上って光の溢れる方向を見ると、まるでどこまでも透き通るような青空が、柔らかな日光と共にわたしの目へ飛び込んできた。

外だ! あそこに向かって走れば、外へ行けるんだ!

わたしは嬉しくて堪らなくなった。遂に念願の外の世界へ再び飛び出すことができるのだと思うと居ても立っても居られず、そのまま飛び降りようとした。

「セーバルっ! 居るの!? 無事なら返事してっ!」

その時、後ろから聞き覚えのある声が、聞いたこともないような緊迫感で倉庫に響いた。

「カコ……さん?」

間違いない、カコさんの声だ。アナウンスでは倉庫で事故があったことしか触れていなかったのに、どうやら倉庫にわたしがいることもバレてしまっていたらしい。

まずい、このままではまたあの部屋に戻されてしまう! そう頭では理解しているのに、足が動いてくれない。いつの間にか、履いていたはずの靴も消えていた。段ボールの山は崩してしまうし、カコさんには脱走がバレてしまうし、今日のわたしはダメダメだ。

「いた、あそこの上に居るわ!」

ついに姿も見つかってしまった。

未だに動こうとしない足を無理やり動かして、わたしは段ボールの山の上から飛び降りようとした。

ズキリ。

足に鋭い痛みが走った。そのせいで上手くジャンプできずにバランスを崩してしまい、身体を床にぶつけてしまった。

「セーバル、だめ! 行っちゃダメよ!」

複数のヒトがこちらに走ってくる足音が近づいてくる。カコさん以外のヒトも集まってきてしまったようだ。カコさん1人だけなら説得できる可能性が残されていたのに。

このままでは、捕まってしまう。

「うっ、……く」

走りたい。

いくらそう願っても、傷ついた足は言うことを聞こうとしなかった。まるで今のわたしみたいだ。

嫌だ。ここまで頑張ってきたのに、こんな結末で終わるなんて、絶対に嫌だ。わたしは外に出たいんだ。サーバルたちが楽しく遊ぶ、明るくて綺麗なパークへ。

走りたい。走りたい。走りたい。

それだけじゃない、わたしは飛び出したいんだ。

「外の、世界に────っ!」

次の瞬間、全身に不思議な力を感じた。まるでパーク中のけものがわたしを手助けしてくれているような、温かい感覚。感じたことなど無いはずなのに、なぜかこの感覚と力を知っている気がした。しかし、そんなことは今のわたしには関係ないことだった。

いける!

わたしは床を踏みしめ、思いっきり走り出した。

いつのまにか、痛みなんて吹き飛んでいた。わたしは全身に風を感じながら、倉庫の外へと一直線に突き進んだ。

「すごい、まるでおウマさんになった気分……!」

その声に応えるように、わたしの脚は変化していった。しなやかかつ力強い姿に変わり、足は蹄のような頑丈さを手に入れた。

どこまでも走れるような気がした。このまま研究所の外に出たならば、文字通り地平線の先まで走ることができるだろう。

あっという間に塀の前まで到達してしまったので、あわてて立ち止まる。あまりの足の速さに自分も驚いた。ウマやチーターのフレンズは、いつもこんな感覚で暮らしているのだろうか? 速く走ることは楽しい。だからといっていつも速いのは、それはそれでなかなか大変そうだなと思った。

塀は極端に高く造られているわけではないものの、セーバルの背丈からすれば見上げるほどの高さがある。バクダンでもあれば破壊できるかもしれないが……そんなものは持っていないし、何より破壊するつもりもなかった。今のわたしには理性があるんだ。

「あなた、その足は……。だから部屋から出るなと言ったのに!」

カコさんが何か言っている。どうやらわたしの変化した足が気になるらしい。

「ごめんね。戻ってきたら、ちゃんと見せるから」

カコさんには申し訳ないが、今は外に出ることを優先したかった。計画を練り上げて、やっと手に入れたチャンスをどうしても逃したくなかった。

「それじゃ駄目なのよ、セーバル! あなたは外に出られないの!」

「カコさんが閉じ込めたからでしょ?」

「そっ、それは……。そのとおりかもしれないけれど、きちんと理由があって!」

「理由って、なに? すこしも説明してくれない理由なんて、無いと同じだよ」

わたしは、そのまま言葉を続けた。

「出られないんじゃなくて、カコさんが閉じ込めていただけ。縛り付けていただけ」

カコさんの表情が少しずつ曇っていく。

「だからわたしは、ここから抜け出すためにたくさん考えた。失敗もしたけど」

わたしの目線は、カコさんの後ろにある崩れた段ボールの山に向けられた。倒壊事故は、本当にわたしの過失によるものだ。今はなんともないが、怪我までしてしまった。サンプルもいくつか壊れてしまっただろう。

「段ボールの山を崩してしまって、ごめんなさい。帰ってきたら、ちゃんと元に戻すから」

「…………そうね。セーバルは今すぐこちらに帰ってきて、今から、段ボールを元に戻すのよ」

カコさんはあくまでも、外出を止めようとする姿勢を崩さない。それも当然だろうと思う。カコさんはわたしの担当飼育員であり研究者だ。心情的にも、立ち場的にも、わたしの外出を認めることが出来ないのだった。

それでもやっぱり、わたしの答えは決まっている。

「いや」

「セーバル……!」

「いや!」

まるでヒトのワガママ娘になったようだ。しかし娘には、ワガママの面倒を見なければならない母親の気持ちなど理解できない。

セーバルは未熟だった。

「カコさん、ごめんなさい」

いつの間にか、その場に居るヒトは皆押し黙っていた。倉庫の中には、外から吹いてくるそよ風と、ゆっくりと外に向かって歩くわたしの足音だけが聞こえていた。

「あなたやみんなと居ると楽しい」

これは偽りのない本心だ。

「だったら……!」

「でもね、それだけじゃだめなの。だから、外に行く」

これも、わたしが心から思う言葉だ。

「わたしを、外に出したくないんだよね。何か理由があるんだよね。でも一人で行くよ」

カコさんは分からないものを放っておけない性格である。だから、この言葉が出てきたのは当然かもしれない。カコさんはやっぱりカコさんなのだ。

「どうして!?」

そして、わたしもやっぱりわたしだった。

「だって、それがいい!」

わたしは笑顔で答えると、待ち望んだ大空に向かって飛び上がった。



__________________________________________



時は少し流れ、夜も更けた頃。

私は自室の椅子に腰掛けながら、昨日の出来事を思い出していた。

どうしてこうなった? と思考を放棄してしまうことは簡単だが、それが許されないのが研究者。それに、自分の心情が寝不足の脳を突き動かして、考えることを止めようとしなかった。


まず第一が、セーバルの形態変化についてだ。これは私が配ろうとしていた書類──「セーバルに残されたコピー能力について」で仮説として挙げていた現象だった。セルリアンはカガヤキを奪い取り、様々なモノや生物の形をコピーする性質を持ち、セーバルは元々セルリアンだった。

しかし、女王事件を経てフレンズに変化したセーバルを調査すると、興味深いことが明らかになった。セーバルにはフレンズ化してもなお、コピー能力が残されているかもしれないことが判明したのだ。そして、時が経つにつれてコピー能力が徐々に薄れつつあることも分かった。

この事実について、研究所の議論は大いに荒れた。今すぐにでもコピー実験を開始すべきだと主張する者、セーバルを誘導してコピーを自発的に行わせればよいとする者、反応は様々だった。共通して言えることは、どちらも「研究は行うべし」と主張していたということだ。その主張が一致するのはある意味当然と言える。何故なら、彼らは皆研究者だからだ。

しかし、私がとった立ち場は「研究は行わない」というものだった。

当然ながら、非難も多かった。私が研究見送りの宣言をした時、研究者は皆、困惑していたように思う。身体を震わせて部屋から出ていった者もいた。研究者が研究を放棄するなど言語道断だと、面と向かって苦言を呈されたこともあった。

それでも私は、立ち場を変えなかった。研究者である前に、セーバルの飼育員でありたいと思ったからだ。あの子を守りたかった。

それなのに……。

「私がコピーの引き金を引いてしまうなんて……!」

ばかばか、と自分をいくら責めたところで時間は戻らない。セーバルは倉庫に保管していたウマの蹄とワシの翼をコピーした。そして塀を軽々と飛び越えた後、その耳を翼に変化させて研究所から飛び去った。形こそ不揃いで歪だったが、見事に能力を再現してみせたのだ。いや、してしまったと言うべきか。

セーバルの現在の身体で、セルリアンと同様に何かをコピーすればどれほどの負担が掛かるか分からなかった。元の身体に戻れる保証もなかった。それ故に、何かをコピーする機会を排除していたのだ。部屋への軟禁はそのための措置だった。

実際、コピーによる変身によって身体へ非常に重たい負担が掛かったらしく、少し離れた場所で墜落したセーバルが発見された。腕に身に着けていた崩壊コアを辿ることで、簡単に位置を特定できたのだ。しかし、倒れたセーバルの蹄はひび割れ、翼は萎れて使い物にならなくなっていた。能力を維持できなかったらしい。研究所へと運んでいるうちに、変化した脚と耳は結晶化して消滅し、元の形が再び現れた。言いようのないほど儚い結末だった。

セーバルが大空へ飛び出した時、その顔は希望に満ちていた。目的を果たしたことは言うまでもないが、自分が「けもの」になったことが嬉しかったのだろう。

昔、こんな相談をされたことがあった。

「ねえ、カコさん。わたしは何?」

「…………? あなたはセーバルよ」

何を聞きたいのだろうかと困惑した。唐突な質問に対して、私はなんとも面白みのない返答をしてしまった。

セーバルの質問は続いた。

「わたしは、どこから生まれたの?」

「サーバルが起こしたけもハーモニーの残滓から生まれたの。前に話したでしょう?」

しかし、セーバルはまっすぐこちらを見たまま答えなかった。

「それから、あなたは自ら生み出したカガヤキでもう一度生まれたの。あなたは────」

「セルリアンから進化した」

セーバルが先回りして、言葉の続きを答えてしまった。分かっているなら何故聞いたのかと問い返したくなったが、やめた。

私はそこで言葉に詰まってしまった。セーバルもそれ以上何も言わなかった。

セーバルとの不思議な会話は、そのままうやむやになり終わってしまった。しかし、今ならどう答えるべきだったか分かる。

あの子はきっと、「あなたはけものだ」と言ってほしかったのだ。みんなと同じ、サーバルたちとなにも変わらない、けものだと。

そして昨日、セーバルはけものになった。身体の一部だけとはいえ、確かにけものになれたのだ。あの瞬間のセーバルは、どれほどの幸せを感じていたことだろう!

担当飼育員の私としては、あの子が幸せを感じてくれたことは良いことだと思う。研究者としての私も、貴重な現象を目の当たりにできたことは幸運だった。しかし、結果としてセーバルがボロボロになってしまったことで、どちらの私も喜ぶことができなくなっていた。


私がこの部屋に戻ってくる少し前に、セーバルは意識を取り戻した。もちろん私は様子を確認しに行った。

セーバルは自室のベッドの上で静かに休んでいた。沢山あった暇つぶしの玩具は運び出され、代わりに運び込まれた少しの面白みもない機械がセーバルに繋げられていた。

セーバルは虚ろながらもまっすぐな瞳で私を見つめて、一言「ごめんなさい」と謝った。そして何もない天井に視線を戻してから、言葉を続けた。

「わたし……段ボールを崩しちゃったんだよね。それで、こんな怪我を……。ごめんなさい」

違和感を覚えた。確かにセーバルは段ボールの崩落に巻き込まれたが、その時点では足を軽く挫いただけだったはず。

「セーバル、あなたは……。」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

あの子はうわ言のように、ひたすら同じ言葉を繰り返していた。


……これが第二の問題である。どうやらセーバルは、自分が何をやっていたのかさっぱり忘れてしまったようなのである。

具体的に言えば、段ボールが崩れ落ちて意識を失ったその瞬間から現在までの記憶がまるごと抜け落ちているようだ。そして、セーバルの願いだった”研究所から出たい”という欲望は”部屋の外に出たい”という似て非なる考えにすり替わっていた。外に出たいという根底部分こそ共通しているが、意味合いがかなり異なる。おそらく、一部が抜け落ちた記憶を再解釈した結果なのだろう。

記憶の乱れが起きた原因は、サンドスターの使い過ぎと頭部への衝撃ではないかと思われる。サンドスターはフレンズの身体構成や記憶など、幅広いものに影響している。セーバルは本当に無理をしたものだ。


「コーヒーでも飲もうかしら……」

誰に向けるでもないつぶやきと共に立ち上がったとき、ちょうど端末に着信があった。ミライからだった。

「もしもし……?」

「カコさんですよね? セーバルの件、聞きましたよ。大丈夫なんですか?」

ミライは心の底から不安そうな声で尋ねてきた。よほどセーバルのことが心配になったのだろう。 

「心配いらない……とはいかないけれど、回復してるみたい。さっき目覚めたから」

「本当ですか!? よかったです……っ!」

それにしても、ミライは私やセーバルの事となると我が身の事のように喜ぶ。きっとそういうヒト柄が、フレンズに愛される理由の一つなのだろう。逆にミライからフレンズに愛を注ぎすぎて問題を起こすことも無くはないが、やるときはやる女だ。それはこの私が保証する。

「目覚めたんだけど、ちょっと問題があってね……。」

「問題、ですか?」

「ええ。記憶が乱れてる」

私はセーバルについて、知り得ることを殆ど全て話した。セーバルが外の世界を求めて脱走したこと、倉庫で事故にあったこと、動物の形質を得て飛び出したこと、そして……これら全てを忘れていること。

「そんな経緯があったんですね……。ただの事故ではないとは感じていましたが、これほどの事情が隠れているとは」

「ええ。記憶の欠落の原因は、おそらくサンドスターの枯渇と頭部への衝撃だと思うのだけど」

「ふむ……。」

「……何か気になることがあるの?」

私の経験上、こういう時のミライは実に冴えている。話を聞いてみようと思った。

「ええ。もしかしてですが……セーバルさん、すごくふさぎ込んでたりしませんか? あるいは、何だか無気力だったりとか」

いきなりのドンピシャである。調査隊長としてパークに貢献し、ガイドとして女王事件を解決に導いたミライの能力は伊達ではないのだ。

(フレンズの生態に関して言えば、私より詳しいかもしれないな)

私は、場数と愛情に裏打ちされたミライに対して一目置いていた。

「そうね。……あの子、すっかり元気をなくしてたわ。ずっとうわ言のように謝って、目は何だかぼんやりしていて」

「やっぱり!」

「何か解決法を思いついたの?」

「私は直接セーバルさんを見た訳じゃないので断言はできないのですが、おそらく……カガヤキが欠如しているんだと思うんです」

「カガヤキが? ……そうか! 」

私とてカガヤキを知らないわけではない。しかし、カガヤキは具体的な数値に現れないのだ。そのためか、すっかり思考の外に出てしまっていた。

「カガヤキをセルリアンに奪われた子は、無気力になったり気を失ったりしてしまうでしょう? おそらくセーバルはショックでカガヤキをの一部を喪失しまったか、あるいは自ら食べてしまったのではないでしょうか……?」

「ふむ……」

とても興味深い考察だと思った。サンドスター科学的な根拠はそれほどでもないが、ミライの仮説ならば説明のつく部分も多かったのだ。試す価値はあると感じた。

「ありがとう。明日からの予定が決まったよ」

「ふふふ、カコさんならきっとセーバルさんのことを助けられますよ」

「ええ……きっと助けてみせる」

「では、私はこれで。夜分遅くに失礼しました!」

「いいのよ、おやすみ」

実りのある通話を終え、時計を見た。……なんと午前三時を少し回っていた。こんな時間に電話をかけるミライも大概だが、その電話に当然のごとく応えた私も相当なものである。

「コーヒー淹れる前で助かったわ」

私は結局何も注がなかったマグカップを戻し、眠ることにした。



___________________________________________



最近のカコさんは何だか優しい。暇を見つけてはわたしの部屋に来て、本を読み聞かせてくれたり、映画を持ってきてくれたりする。おかげですっかり娯楽の消えた部屋でも退屈しないで済むのだ。怪我はほぼ完治したものの、相変わらず部屋からは出してくれない。それでも不自由はなかった。

それでも思うところはある訳で……。

「カコさん、倉庫の段ボールのこと、ちっとも怒らない。どうして?」

一応質問はしたものの、答えは大体予想がつく。

「怒ってほしいの?」

ほらね。やっぱりはぐらかされた。昨日もそうだ。欲しいものは可能な限り与えてくれるのに、こうしたわたしに関する質問の答えはちっとも返ってこないのだ。

こうして不自由なことは特にないけれど、何となく不完全燃焼な日々が過ぎてゆく。そう思っていた。

しかし、今日は違った。

「セーバル……ちょっといいかな」

カコさんは立ち上がって扉に手をかけながら、わたしに改まって話しかけた。

「なに?」

「来てほしい所があるの。私に着いてきて?」

わたしは怪我をして以降、初めて部屋の外へ出ることになった。


「悪かったわねセーバル。重たいでしょうに……」

「なんてことない。これくらいへいき」

わたし達が座っているのは、研究所の塀の上だ。わたしは自力で登り、カコさんはわたしが引っ張り上げた。フレンズならともかく、アスリートでもないヒトの女性が登れる高さではない。

「こんなところ、座るような場所じゃないんだけどね。でも、きっと良い景色だと思ったから連れてきたのよ。どう?」

「……………。」

とてもきれいな景色だと思う。心地よい風がわたしの顔を撫で、すっかり久々の開放的な空間を満喫していた。

「ふふ、気に入ってくれたみたいね。私にはちょっと高すぎるけれど……。それにこんな所に登っているのがバレたらきっと、怒られちゃうわね」

「えっ……!?」

即座に後ろを振り向いた。周囲を見回したが、わたし達以外の姿は見当たらなかった。ほっ、と胸をなでおろす。自分でも過剰に思えてしまうほど驚いてしまった。ちょっぴり恥ずかしい。

少し下に目を向けると、副所長室が見えた。開けられたままの窓と、揺れるカーテンが見える。部屋の中は暗くてよく分からなかった。

「どうして此処へ連れてきたか、分かる?」

「さっき『きっと良い景色だと思ったから』って……」

「ああ……それもあるけどね。セーバルはこの景色を見て、どんな感じ?」

「良い景色……だと思う、よ?」

どう答えてほしいのか分からず、率直な感想を伝えた。本当に良い景色だからだ。心に染み渡るような素晴らしい眺めだった。

「うーん……まだ足りないかな」

カコさんはわたしの感想に満足できなかったようだ。わたしは詩人じゃないのに、何を望んでいるのだろう? フレンズ選びを間違えていると思う。

「ふう……」

カコさんが立ち上がってしまった。そんなにも気に入らなかったのか。

「ごめんなさい。カコさん、色々後片付けで忙しいはず。それなのに、こんな……」

「そうね。使えないサンプルの掃除や、壊れたモノの修理。いろいろやることがあるわ」

「…………。」

返す言葉もない。わたしの体調はもう治ったも同然で、今すぐにでも後始末の手伝いへ参加させられてもおかしくなかった。

うつむくわたしの隣で、カコさんはじっと前を見つめていた。

カコさんがふいに立ち上がった。

「こうして大変なことがあると、そこから抜け出したくなるのよね」

そして何がしたいのか、塀の上で軽くジャンプし始めた。タンタンと靴の音が聞こえる。

「カコさん、あぶない……!」

「なんだか無性に走り出したくなること、あるわよね。いや、もういっそ飛びたいなんて思うこともあるわ」

だから何だというのか。こんな高さから落ちてしまえば大ケガをしてしまうことぐらい、誰にでも分かることだ。カコさんはわたしに何を伝えたいのだろうか?

動揺するわたしをよそに、カコさんは言葉を続けた。

「だからわたし、飛ぶわね」

まずい、と思ったときには既に、お互いの身体は動いていた。カコさんは硬質な足元を蹴り、自らの身体を塀の外側に投げていた。空中へ進んだ肉体を重力があっという間に捕まえ、地上へと引き戻そうとする。

「カコさんっ!」

わたしは思い切り塀を踏みしめて、研究所の外側に向かって跳び出した。今にも地面へ吸い寄せられそうになっていたカコさんの身体を抱え、そのままわたしは宙を飛んだ。

わたしは空中から、どこまでも続く地平線を見た。憧れ、願い、希望、夢……ありとあらゆる感情が次々にわたしの中へ流れ込んでくるのを感じた。あふれんばかりの感情は、わたしの中に生まれた何かと結びつき、ひとつになった。

「おかえりなさい」

気付かぬうちに、わたしは小さく呟いていた。 


ざん、という大きな音と共にわたしは地面へ降り立った。カコさんも無事だ。

「……なんてことするの」

「ごめんなさい、とんでもない荒療治になるところだったわね」

発想、行動、そして起こりえた結果に至るまで、何もかもがとんでもない。これが熱意というものなのか……。

「でも私は、セーバルがうまくやってくれるって信じてたから。色んな意味でね」

「二度とやらないで」

「ええ、私も二度と勘弁だわ」

笑顔で返すカコさんを見て、わたしは怒るに怒れず不満そうな顔をするのが精一杯だった。

それより、さっきからなんだか身体がそわそわして仕方がない。

「セーバル……、何かやりたいことがあるんじゃない?」

そんな私を見て、カコさんは問いかける。

「うん。……わたし、このまま外へ遊びに行きたい」

かねてからの願いだった。予想していたのか、カコさんは満足そうな表情で静かに微笑んだ。

「そんなことだろうと思ったわ」

「でも、サンプルの修理とかもやらなくちゃ。そうでしょ?」

そうなのである。何がどう転んだところで、やるべきことは消えてくれはしない。しかし、わたしの言葉に対して、何が面白いのかカコさんは笑いながら言った。

「別にいいわよ。そんなこと言って、本当はどうしても行きたいんでしょ?」

まるっとお見通しだったらしい。

「ごめんなさい。帰ってきたら、ちゃんと元に戻すから」

「そうね。帰ってきたら、お願いね」

それじゃあ、お言葉に甘えて。

「いってきます!」

わたしは外の世界へ駆け出した。

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セーバルがんばる脱走劇 にら(たれ) @shobotanTALE

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