あの娘が告白するまで、目覚めるつもりはない

久保良文

あの娘が告白するまで、目覚めるつもりはない

 俺がそう宣言すると、自らを悪魔だと名のったそいつは「ほう」と感心したように呟いた。


「ではあなたの願いは、『予知夢をみること』『望む結果がでるまで』でよろしいのですね」

「ああ、それでお願いする」

「承りました、ではよい夢を」


 そう言って悪魔は現れたときと同様に、なんの前触れもなく、空気に染み入るように消えていった。残されたのは自室にとり残された俺のみだ。とはいっても就寝する前の出来事であったので、することは特にない。暗い自室の中を暗闇に慣れた目で危なげなくよこぎり、ベットへと潜りこむ。

 緊張のためか鼓動が多少ざわつく。それを無理やりに気にしない様にして、ギュッと目をつぶった。そうやって眠りの世界へと入り込んでいった。


 ●


 目が覚める。あたり前だが自室の中だ。

 俺は急いで起き上がると、即座に出かけの準備を整えて、外へと飛び出る。

 目指すは隣家だ。

 そこに彼女がいる。

 物心つく前から隣の家同士で、家族ぐるみでの付き合いがあり、もちろん学校もずっと一緒だった。そんな話を友人にすると「漫画かよ」といわれるのだが、事実なのだから仕方ない。俺たちはときに笑いあい、ときに喧嘩し、それでも良好な関係を築いていた。

 だからこそ、いたたまれない。

 彼女の様子は非常に痛ましい。

 俺はそんな彼女を助けるべく行動しているのだ。


「ほら起きろ、行くぞ」

「なに突然、どこに?」

「駅だよ、好きなんだろあいつのこと」


 俺が言葉少なめに説明しても、彼女はそれで状況を理解したようだ。長年の付き合いというものがある。こういうときは便利でよい。

 彼女はある男に恋をしていた。それは誰から見ても理解できるもので、俺が気づかないはずもなかった。

 嫌味のない男で、心底からお人よしの良い男だった。

 彼女が彼に懸想しようと、俺としては何の文句もない。だが、彼は今日をもって遠い都会へと旅立っていく。俺たちと顔を合わせる機会など、今後なくなるであろうことは簡単に予想がついた。


「なんであんたなんかに」

「うるせえな。隣でブツブツと、ゾンビみてえな顔をした奴の怨嗟の声を聞く身にもなれよ。うざったいから、お前サクサクっと告ってこい」

「どうせ私はゾンビみたいに腐りきった女ですよ。もういいんですよ、私はこうして寝床にキノコすら生やす屍と化すのよ」

「あーもう拗ねるな」


 いつもならば激昂して食ってかかってきそうな台詞を吐いても、張り合いがない。常の彼女の気性は鳴りを潜めており、それがまた俺に義憤の念を覚えさせる。


「だいたい。あんたはなんでこんなことするのよ?」


 彼女の瞳は「お前には関係ないだろう?」と言外に問うてくる。俺はその問いに考えることしばし、どうにも明瞭な答えを得ることができなかったため、いつもの調子で答えることにした。


「慈善活動だよ」

「うるさいな、ジャスティスの話はよそでしろ」


 いつもの調子で答えたものだから、いつもの調子で答えられてしまった。

 そうして二人でやんやと騒いでいたものだから、ようやく彼女を外に連れ出して駅にたどり着いたころには、彼はとっくに遠くへと旅立った後であった。




 目が覚める。あたり前だが自室の中だ。

 今回は先の失敗を生かす。

 グダグダと燻っている彼女は、思ったよりも重傷だった。よって強行突破だ。彼女を無理やりに連れ出すと、兄貴に借りた自動二輪の後部に座らせて、即座にアクセルを捻る。そうして俺達は走り出した。

 運転しているものだから、会話もなく駅に向かっていた。だが、とある信号待ちで停車すると、彼女が身をのりだして俺に尋ねてきた。


「ねえ。あんたはなんでこんなことするのよ?」

「それは――」


 前回でも尋ねられた言葉であった。

 しかし、その答えを明瞭に出せずにいた。ぼんやりと自らの感情だけは分っている。だがそれを言葉にすることができない。


「答えなくちゃいけないことか?」

「べつにいい。気になっただけだから」


 信号が青になる。

 俺は返答できなかったことを誤魔化すように急発進して、彼女を怒らせた。

 駅に到着すると走ってプラットホームへと向かう。そこには俺たちと同じように、彼を見送りにきた人間で溢れていた。彼は人望のある男であったので納得ではある。だが、状況としてはよろしくない。


「ほれいまだ。いけ」

「ちょちょ、やめてよ」


 度々に俺がたきつけるも、彼女は周りを気にして、前に進み出ることはない。

 そうこうするうちに、彼は大勢の人間に見送られて列車のドアをくぐり、旅立っていく。ついぞ俺たちは、見送りに来たその他大勢とかわりない存在であった。


「なんかごめんね」


 帰りがけ、改札をぬけた後に彼女はそう言った。

 その泣きそうな顔がどうにも気に入らなくて仕方なかったのだ。




 目が覚める。あたり前だが自室の中だ。

 目が覚める。

 目が覚める――

 その後も、俺はあの手この手と、彼女の告白を引きだすために策をろうした。

 何度も何度も。

 しかし上手くはいかない。

 けれど、くりかえす出来事の中で、俺は一つのことに気がついていた。


『あんたはなんでこんなことするのよ?』


 彼女は必ず同じ質問をする。

 そして俺は一度もその問いに答えられていない。

 予感があった。

 この質問にきちんと答えられたとき、きっと俺の目的は達成できるであろうと。理由なくそんな気がしていた。

 くりかえされる質問のなか、俺の中でぼんやりとしていた答えが次第にはっきりしてきたことは理解している。だからこそ、心に浮かび上がってきたこの言葉を声にする覚悟を決めた。それが彼女のためなのだから。


「俺はついていかない。こっからは一人でいけよ」

「なんでよ」


 もう何度目かもわからない繰り返しの中で、俺は彼女にそう告げた。

 駅の駐輪場。朝早いためか、人の通りは少ない。日が昇ってからはそれなりにたつが、地面が温まりきっていないからか、肌寒い空気が周りを包む。

 俺は彼女の質問に答えなかった。

 そうすれば例の質問がでてくることを知っていたからだ。


「まあいいけど……ところでさ。あんたなんでこんなことするのよ?」

「お前のことが好きだからだ」


 俺ははっきりと告げる。

 けっして言いよどむことがないように。

 彼女は言葉の意味が理解できていないように、しばらく呆然としていたが、唐突に目を丸くさせて狼狽えた。その隙をねらって俺は言いたいことをすべて言ってやる。


「嫌なんだよ。お前が他の男に夢中になって、しかも勝手に失恋しやがるなんてさ。だったら俺がぐうの音も出せないぐらいに大団円きめてこい」


 そこで彼女の様子をうかがう。

 彼女のことだからきっと大仰に驚くか大笑いするか、それとも派手に挙動不審になるか。とにかく騒がしい反応をすると思っていた。だが、彼女は予想に反して落ち着いていた。

 静かに「うん」と頷く。

 そしてなにかを言いたげに口を開くも、結局はなにも言わずに駅の改札口へと駆け出して行く。俺はその背中をぼんやりと眺めると、じっと彼女が帰ってくるのを待つ。しばらくすると、大勢が色めき立つような歓声が聞こえてきた気がした。


「おかえり」

「ただいま」


 彼女が帰ってきたから、声をかけた。

 きっと先程まで涙を流していたのだろう。その眼ははれぼったく、なんどもこすりつけたのかその周囲が赤い。

 だがとても晴れ晴れしい笑顔を浮かべていた。


「ありがとう。あなたが勇気を出してくれたから、私にも出せた」

「そいつはよかった」


 こうして俺の望みは達成した。


 ●


 目が覚めた。あたり前だが自室の中だ。


「おはようございます」

「おはよう」


 まだ日が昇らない時間帯。薄暗い部屋の中で、ベットわきに悪魔が立っていた。彼は俺が起きだすのを待つと声をかけてくる。


「それでは対価の話をしますが。もしかして以前にも悪魔に願いを叶えられたことがございますか?」

「いやない」

「そうですか。上手くやりましたね」


 彼が言うには、悪魔の対価とは注意すべきものだという。大抵は、叶えた願いを取り消してしまいたい対価を要求するという。基本は等価交換というが、個々人によっては受け取り方が違うとのことだ。


「なにせ私が叶えたのは『望む結果がでるまで』『予知夢をみること』ですからね。これが『彼女の恋を成就させろ』と言われていたら、後に彼女には破局してもらわねばいけなかったところです」

「そうなのか」


 それは困るので、俺の決断は正しかったらしい。しかし安心するにはまだ早い。俺に求められる願いの対価とはなんであろうか。


「予知夢で見た望んだ未来を、あなたは記憶として覚えることができません。それが対価です」

「つまり?」

「あなたは今日という日を、明日には忘れているということです」


 それは確かに、個々人によって受け取り方の違う対価だということは理解した。しかし俺にとっては不満はない。それで了承する。


「では、これにて契約は成立ということで」


 そうして悪魔は、仕事は終わったというように足を動かしかける。だが「おっと、その前に」と、もう一つ声をかけてきた。


「後悔はしていませんか?」

「してないよ。これからするのだから」

「それは然り」


 悪魔は笑う、楽しそうに。


「老婆心から申しますが、あなたは好ましい人間ですので、私共と関わるのはこれきりがよろしいでしょう。私は二度とお会いしたくはありません。それでは御機嫌よう」


 そうして悪魔は消える。なんの前触れもなく、空気に染み入るように。

 残された俺は、ふと思いついて部屋のカーテンを開けた。

 遠くの山並みに日が出ているのを見つける。

 俺はこれから、好きなあの娘の恋愛を成就させるために駆けまわることになる。そのために秘めた思いを打ち明ける必要があり、しかもそれを明日には忘れているというのだ。これはたまったものではない。

 だというのに、知らず俺の口角はあがっていた。

 薄暗い街が朝焼けに包まれていく景色を堪能すると、うんとノビをする。


「まったく最高な目覚めだな」


 俺は決意をもって外へと歩き出した。

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