最高のプレシャス

snowdrop

VSリベンジ

「あれから、一カ月の歳月が流れた」


 部屋の中央に机が二つ設置されている。

 机上には早押し機が用意されていた。

 早押し機のボタンを押し、赤いランプの点灯と動作確認を互いにし合う。


「あの戦いに敗れた彼女は、苦渋を飲まされ、恥辱に耐えながら、幾多の努力を積み重ねてきた。勉強しているとき、食事をしているとき、寝ているとき、一時たりともあの負けを忘れたことなどなかった」


 眼鏡をかけ直し、隣に立つ部長を一瞥した。

 シャツの袖を捲り上げたとき、左手首にはめるブレスレットが見えた。

 深い赤色の石、勝利の象徴とされるガーネット。

 部長になった者だけが身につけてきた象徴的アミュレット。

 部長に勝って、私の手首にはめてもらうんだ。

 誓いながら部長を見ると、頬がキュッと上がり、前歯をのぞかせながら笑顔を輝かせた目をしている。

 気が緩みそうになる自分に気づいて、小刻みに首を振り、気合を入れ直す。


「部長の座をかけた死闘が、再びはじまる! 現部長VS次期部長(候補)対決、ベタ問早押しクイズ~っ」


 進行役の部員がナレーション原稿を声高に読み上げた。

 進行役の隣に座る会計が、小さく手をたたく。


「というわけで、今回はリベンジ対決です。前回は会計も参加していましたが、次期部長を決める大事な対決に笑いの要素はいらないという反省から、今回は現部長と次期部長候補、二人によるガチバトルで決めたいと思います」

「ぼくってお笑い担当だったのか。知らんかったぞ」


 会計は、渋い顔をして笑った。


「ルールを説明します。クイズ界でベタ問と呼ばれる問題文を出題しますので、わかったところでボタンを押して解答してください。先に五問正解したほうが勝利となります。誤答しても減点はありませんが、解答権は相手に移り、最後まで問題文を聞いて答えられます。次期部長候補は今度こそ、現部長を打ち負かして部長の座を手に入れることができるのでしょうか。はじめるに当たって、意気込みをお聞かせください。まずは次期部長候補から」


 促され、「勝ちにいきます」とひと言だけ答えた。

 いまさら言葉を重ねたところで、結果がすべてなのだから。


「現部長からも意気込みをお願いします」

「俺にとって可愛い後輩ですからね。全力を持って叩き潰します」


 優しい部長の目つきが変わった。

 同時に早押しボタンに指をのせる。


「問題。世界で一番高い山はエベレストですが、二」


 ピポピポーン、と音が鳴る。

 ほぼ同時にボタンを押したが、押したのを示すランプが点灯したのは私だった。

 これは「ですが問題」と呼ばれ、名前の似た二つの単語、あるいは似た二つの概念を題材にした問題だ。

 ですがのあとに『二』と聞こえた。

 つまり、二番目に高い山を聞いている。


「K2」

「正解です」


 ピコピコーンと正解音が鳴り響いた。


「いまのは『世界一高い山はエベレストですが、二番目に高い山はなにか』と予想しました」

「次期部長候補が一ポイント取りました」


 部長は軽く手を叩いて、前のめりに体を倒しつつ早押しボタンに指をのせた。


「問題。『なぜ山に」


 ピンポーンと甲高い音がなり、点灯ランプが点いたのは部長の早押し機。


「ジョージ・マロリー」

「正解!」


 ピコピコーンと正解音が鳴った。


「これは『なぜ山に登るのか、と聞かれ、そこに山があるから、と答えたエピソードで知られる、イギリスの登山家は誰か』という、ベタ問中のベタな問題ですね。知らないクイズプレイヤーはエセと言われかねない問題です。それに、ここまで聞いたらわかる確定ポイントというのがあって、この問題だと『なぜや』で押せたけど、今日は五文字まで聞いてみました」

「部長が余裕をかましてます。これで両者、一ポイント」


 問題文から答えを絞れるポイントがあるのはわかっている。

 わかっていても押せない。

 押すだけの知識と経験が、部長にくらべたら圧倒的に足らなかった。


「問題。『正式名称を、特に」


 再び読み上げられて即、ピンポーンと音が鳴った。

 押したのはもちろん部長。


「ラムサール条約」

「正解です」


 ピコピコーンと軽快に音が鳴った。


「正式名称を『特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約』という条約を、締結されたイランの都市の名前を使って何というか、というベタ問ですね」


 部長は確実に、確定ポイントでボタンを押していた。

 答えるには部長よりもはやくボタンを押して解答権を得るしかない。


「問題。『おい、」


 ピンポーンと音が鳴った。

 解答権を示すランプが点灯した。


「おっと、早押しに勝ったのは次期部長候補」

「部長に押し勝つには押すしかないから。押さなければ部長が押すし、誤答しても解答権が移るだけ。減点しないなら、押し勝って正解を積み重ねていくしか、私ができることはない!」

「意気込みはよし!」


 部長は手を叩いて腕を組む。


「解答をどうぞ」


 進行役に促され、目を閉じる。 

 カッコイイことを口にしたものの『おい、』だけではヒントがあまりに少ない。

 『老い』や『甥』の可能性もある。

 ただ『おい』の言葉のあと一拍、間があったことを思い出す。

 話し言葉だ。

 だとすると、たしか小説の書き出しで……。


「蟹工船?」

「正解です!」


 ピコピコーンと正解音を聞きながら、肩に入っていた力が抜けた。


「この問題はどう予想しましたか?」

「『おい、地獄さ行ぐんだで!』という書き出しではじまる小林多喜二の小説は、と予想しました。小説の書き出しの勉強をしておいてよかったです」

「そのとおりです。これで両者、二ポイントと並びました」


 気を抜いてはいけない。

 まだ勝ったわけではないのだから。

 深呼吸して気持ちを入れ替え、早押しボタンに指を乗せる。


「問題。フランス語で『稲づ」


 すぐにピンポーンと音が鳴った。

 押したのはやはり部長。


「エクレア」

「正解です」


 ピコピコーンと鳴る音を聞きながら、部長は笑顔を浮かべている。


「フランス語で『稲妻』という意味がある、細長いシュークリームにチョコレートをかけたお菓子は、でエクレア。これもベタ中のベタですね。諸説ありますが、一九世紀フランスのパティシエ、アントナン・カレームが考えたといわれています」

「なるほど。これで、部長が三ポイントとリード」


 いまの問題は押せた。

 答えも、エクレアとわかっていた。

 わかっていながら、あのタイミングでは押せなかった。

 本当に部長に勝てる?

 早押しボタンに乗せる私の指が震えていた。


「問題。ドイツ音楽の三大B」


 ピンポーンと音がなる。

 またしても、押したのは部長だ。


「ブラームス」

「正解!」


 ピコピコーンと鳴る正解音が虚しく聞こえる。

 

「ドイツ音楽の『三大B』とは、バッハ、ベートーベンとあと一人は誰か、でブラームス。バッハやベートベンにくらべるとマイナーなのか、よく問題に出ますね」


 部長の話を聞きながら、苦手なジャンルだ、と呟きそうになる。

 ドイツ三大Bがわからなかった。

 解いてきた過去問にあったかも知れないが、全然出てこない。

 このままだと負けてしまう。


「部長、リーチです。つぎの問題で勝者が決まるのか!」


 進行役の声を聞いて我に返る。

 慌てて早押しボタンに指を乗せた。

 つぎは絶対押す。

 わかってなくても押し勝たなければ、後がない。


「問題。日本の歴代内閣総理大臣の中で、唯一オ」


 ピポピポーン、と音が鳴り響く。

 解答権を示すランプが点灯したのは私。

 だが押すタイミングが早すぎた。

 二〇一九年三月現在、日本の内閣総理大臣になったのは六十二名。

 唯一と読まれた場合、漢字二文字の名前の原敬か、自殺した近衛文麿、兄弟で総理大臣となった岸信介と佐藤栄作など、いろいろ考えられる。

 だけど唯一のあと、『オ』と聞こえた。

 オからはじまるものといえば、来年開催されるアレしか思い浮かばない。


「麻生太郎」

「正解!」


 ピコピコーンと正解を告げる音が鳴り響いた。

 膝から力が抜ける思いだった。


「日本の歴代内閣総理大臣の中で、唯一オリンピックに出場したことがある人は誰か、で麻生太郎」

「そのとおりです。これで一ポイント差ですが、部長のリーチは変わりません」


 そうだ、まだ勝ったわけではない。

 両手で頬を叩いて気合を入れ直す。

 早押しボタンに指を乗せ、前のめりに前傾姿勢をとる。


「問題。その名称は、『アニメーション』の綴りを逆か」


 ピンポーンと音が鳴る。

 横目で部長の手元を見る。

 押していない。

 アニメジャンルは苦手?


「ノイタミナ」

「正解!」

 

 やったね、と胸の前で小さく拳を握った。


「アニメーションの綴りを逆から読んだ、フジテレビ系列の深夜アニメ枠はなにか、ですね。深夜アニメ見ててよかった~」

「これで両者、四ポイントで並びました。つぎの問題で勝敗が決まります」


 これまでの傾向から同ジャンルが続けては出ない。

 だけど次が最後。

 連続正解できて面白くなってきたのにあと一問で終わるなんて……嫌だ。

 いつまでも早押しクイズをしていたい。

 部長を見ると、喜びをみなぎらせた笑顔を浮かべている。

 そうか、部長も私もクイズを楽しんでいるんだ。


「問題。源氏物語の第一帖の巻名は『桐壺』ですが」


 ピポピポーン、と音が鳴る。

 早押しを制したのは私。

 最終問題も「ですが問題」だ。

 押されまいと早めに押したため、なにを問うているか予想しなければならない。

 選択肢は二つ。

 二帖目か、最終巻の第五十四帖か。

 悪寒のような痺れが全身を走り抜ける。

 私は右腕を突き出し、迷わず叫んだ。

 瞬間、視界がぐるりと反転した。




「夢浮橋……あれ?」


 右の首すじが痛い。

 遠くでスマホのアラームが鳴り響いている。

 辺りを見ると、掛け布団ごとベッドの上から転げ落ちていた。

 ……夢をみていた、らしい。

 なんとか身を起こし、首をさすりながらアラームを止める。

 カーテンを開けて床を見れば、ベタ問が書かれたプリントが散乱していた。

 解いている途中で寝てしまったのだろう。

 気持ちよく両腕を突き上げて背筋を伸ばす私の左腕には、朝日を浴びるガーネットのブレスレッドが輝いていた。

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