自殺した親友に文句を言わなきゃ寝覚めが悪い

近藤近道

自殺した親友に文句を言わなきゃ寝覚めが悪い

 私の親友は墓地で自殺した。

 自分の入るお墓を買って、綺麗に磨いて、花を飾って。

 新品だからツヤツヤしていて、角もはっきり立っている黒いお墓の目の前で彼女は自殺した。


 あとは墓の下に埋めてもらえばいいだけだから、手間が少ない。

 彼女のことだ、そんなふうに考えたんだろう。


 だけど日本では普通火葬をするし、その前にお坊さんにお経を読んでもらわないといけないし、なにより骨壺をお墓に入れるのは四十九日の時だ。

 墓の前で死んだって、大変なことに変わりはない。


 そんなことぐらい少し冷静に考えれば気付きそうなものなのに。

 きっと彼女のことだから「良いこと思い付いた!」って勢いのまま死んじゃったのでしょう。


 でも、自殺は絶対にしちゃいけないことだ。

 だって私と柳子りゅうこは、自殺に失敗して親友になったのだから。



 柳子と一緒に自殺を目論んだのは、中学三年生の夏だった。

 理由は、結構くだらないことだ。


 ただ私たちは気が付いてしまったのだ。

 同い年の子の中には既に才能を開花させていて、テレビに取り上げられるような活躍をしている子たちがたくさんいるってことに。

 一人や二人じゃないのだ。

 テレビ番組はそういう「才能ある未来のスター」をいくらでも発掘して、私たちに彼らを見せつけた。


 その一方で、私たちには将来の夢も誇れる能力もなかった。


 まだ中学生なのに、もう人生の勝者と敗者が決まってしまっているかのように感じられた。

 そして、自殺しようかって話になった。

 自殺したいって思うほどショックだったわけじゃないけど、話の流れで、その場のノリで、そういうことになった。


 私たちが選んだ死に方は、飛び降り自殺だった。

 学校の校舎の屋上から飛び降りるっていう、誰にでも思い付きそうなくらいシンプルで、しかも少し前に見たドラマのシーンのトレースだった。

 でも悲劇のヒロインを気取るには絶好のスポットだった。

 だから屋上の端に立つ寸前まで、私たちはどこか興奮していた。



 そしていざ、屋上から真下を見たら、一瞬で腰が引けた。


「高っ。怖っ」

 と私は思わず一歩下がった。


 本能が胸を圧迫して、危機から逃げるように私自身を強いていた。

 素早く一歩下がった足は途端に震えて、自分の意思では歩けない状態にロックされた。


「無理無理。落ちたら死んじゃう」


 柳子は私よりもっと退いて、へたり込んだ。


「落ちたら死んじゃうって、落ちて死ぬためにここに来たんだけど? まぁ、私も死ぬ気完全に失せましたけども」


 恐怖で息が苦しくなっているのを隠して、私は言った。

 数秒喋るだけで、もっと苦しくなってしまった。

 落ち着きを取り戻したくて、深く息を吸う。


「自殺なんてするもんじゃないよ~」


 柳子は情けない声を上げた。

 あまりにもダサい声だったので、私は大笑いした。

 そんなに笑わないでよ、と言う柳子もやがて笑い出してしまった。


 笑って誤魔化したけど、死の恐怖は手に負えない衝動だった。

 怖いという気持ち、その衝動がたちまちに体のコントロール全てを奪ってしまう。

 そして、死ぬのは嫌だということを、ギトギトした不快感を垂れ流しにすることで教え込もうとする。

 こんなのに逆らって飛び降りるなんて、到底できない。


「柳子、私わかったよ。私たち、自殺する才能も無いんだね」


 幸か不幸か。

 私たちは、自殺できない人間だったのだ。


「うん、私も無理だって思った。寿命が来るまでは死ねないね」

 と柳子はほっとしたような顔をして言ったのだった。


 この先、どんな辛いことがあっても、私たちはきっと自ら命を絶つことはしないだろう。

 その確信は不思議と私を前向きにして、そして私と柳子はこんな馬鹿げた体験を共有したことで、かけがえのない親友となったのだった。



 柳子はその思い出を裏切って、自殺してしまった。

 あれから十年が経って、私たちは大人になっていた。

 大人になることで私たちは変わったのかもしれない。

 私は、柳子が死んだ次の日に、同じ方法で死んでみようとしてみた。


 だけどやっぱり私は死ねなかった。

 死ぬことが怖くて不快で、引き返してしまった。

 あの日に確かめたとおり、私には才能が無かった。


 どうして柳子は自殺できたの?

 あの時、飛び降りれなかった柳子がなんで?


 私はその真相を聞きたくて、柳子の幽霊に会うことにした。

 どうやったら会えるかなんて知らないけれど、とりあえず柳子と付き合っていた竹原くんを巻き込んで、深夜の墓地に居座ってみることにした。


「こんなんで、柳子ちゃんに会えるんですかね? もっと他の霊が出てきたりしちゃわないですか?」


 竹原くんは、おどおどしている。

 幽霊以前に、住職さんに見つかったら怒られるんじゃないかって、ビビっている始末だ。

 彼がビビるほどに、私はかえって強気になる。


「うるさいな。いいから夢枕にでも出てくるように祈れ」


 柳子の墓の前に座って、缶ビールを飲む。

 竹原くんも不安そうに腰を下ろした。


 竹原くんにもビールを一缶渡してやる。

 だけど彼は、置いた缶をじっと見つめたままなにか考え事をしていた。

 そして、急にもぞもぞとポケットを探ると、煙草を取り出した。

 慣れない手つきでライターの火を起こし、煙草につける。


「げほっ」


 ものの数秒でむせた。

 なにをやっているんだ、こいつは。


「お前、さては煙草吸うの初めてだな?」


「はい」


 竹原くんは、肩を縮めてうなずいた。


「どうしていきなり煙草吸おうとか思うかね」


「あ、これ、柳子ちゃんが吸ってたやつなんです」

 と私に煙草の箱を見せてくる。


「そうなの?」


 私の前では吸ったことがなかったから、知らなかった。


「俺、煙草の匂いって苦手なんですけど、でもこれが一番柳子ちゃんの匂いって感じがするんです」


「煙草苦手なのに、付き合ってたの?」


 竹原くんは柳子のことを、ものすごく愛していた様子だった。

 葬儀の時なんか、竹原くんは号泣しながら骨壺を抱えていた。

 しかも四十九日が来るまで柳子の実家に暮らして、骨壺と一緒にいたそうだ。


「苦手な匂いでも、好きな人の匂いなら、無性に嗅ぎたくなるものじゃないですか?」


 暗くて顔はよく見えないけど、竹原くんは早速泣きそうになっていた。


「そうかな」

 と私は澄まして言った。


 でも、わかるような気がしていた。


 もう一度試してみたけれど、竹原くんはうまく煙草を吸えなかった。

 柳子の匂いが嗅ぎ取れないまま、小石に押し付けて煙草の火を消してしまう。


「俺、柳子ちゃんの後を追おうと思ったんです」

 と竹原くんは言った。


「え?」


「でも死ぬのが怖くて、うまくできませんでした」


 そうなんだ、と私は思った。

 竹原くんもだった。


「私もだよ」

 と私は言った。


 この世には、良くも悪くも、自殺ができない人がいる。


「私も死ねなかったよ」


 柳子の霊は現れなかった。

 心霊現象なんて少しも起こらなかった。

 待っているうちに退屈してしまって、いつの間にか私たちは寝てしまった。

 夢にも柳子は出てこなかった。

 だけど私は夢の中で、柳子になっていた。


 夢の中の私は、竹原くんを見ていた。

 竹原くんは自分の着ているセーターの匂いをくんくんと嗅いでいた。


「柳子ちゃんの煙草の匂いが付いちゃったよ」

 と言って、嫌そうな顔をする。


 それなのにまた竹原くんはセーターに鼻を埋もれさせて、煙草の匂いを嗅いだ。


 目覚めると、日は昇っていた。


 私は竹原くんの持ってきた煙草の箱とライターを手に取ってみた。

 火をつけて、煙を吸い込んでみる。

 柳子と同じように、私は煙草の毒に身を浸そうとしてみる。

 初めての喫煙なのに、私はうまく吸えてしまった。


 私は煙草の匂いの中でも、植物を連想させる匂いを強く感じ取る。

 原料が植物だからなのか。

 それとも燃やすのが、焙煎と似ているからなのか。

 とにかく植物というのが、私にとっての煙草の匂いだった。


 どうやら私は、竹原くんより煙草を吸う才能があるようだ。

 溜め込んだ煙を、竹原くんに思いっきり吹きつける。


 すると竹原くんは、咳き込みながら目を覚ました。

 大好きな人の匂いで目を覚ます、最高の朝だ。


「どうして死んじゃったんだよう、柳子ちゃん」


 竹原くんは、くすんと泣いた。

 寝ぼけているのか、私に抱き着いてくる。


「おはよう」

 と私は言った。


 柳子じゃない人の声に驚いて、竹原くんは体をびくっと反応させる。


「えっ、あ、ごめんなさい」


「おはよう」


 もう一度、私は言った。

 今度はちゃんと竹原くんからも、おはよう、と返ってくる。

 そして私はさっきと同じように、柳子の匂いを竹原くんに吹きつけてやった。

 彼や彼の服に、柳子の匂いが染みついてゆく。


 たぶん柳子の霊は私たちの前には姿を現さない。

 そして私と竹原くんは、自殺する最後の一歩を踏み出せてしまった人の気持ちを一生理解できないまま生きていくことを予感する。


 そう思った途端に、家族に囲まれながら死ぬ老婆の私の姿がはっきりと想像できた。

 私との別れが悲しくて泣く、息子や娘や孫たちを私は見つめる。

 あぁ、私は近い将来、子どもを産んだりするのだろう。


 胸を柔らかく絞める予感と共に、イメージの光景を胸に焼き付けた。

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