化野生姜

真夏にもかかわらず、

家はひどく静かで涼しかった。


私は防護服の襟元をさわり、

仕込んだ無線機に語りかける。


「こちら001、被疑者の玉弓たまゆみケズルの家に入った。」


防護服のイヤホンからすぐに返事が来る。


『001へ、こちら中継基地。報告お願いします。』


私は室内を見渡す…特に変わった物はないようだ。


インテリアか、

靴箱の上にガラスケースに入れられた

黒い球体が一つあるきりだ。


『…マワル、これ見ろよ。』


エスカレーター式のエリート幼稚園。

砂場でケズルは私にそれを見せた。


磨かれたひとつの球体、

なんの変哲も無い泥団子。


『すごいんだぜ、磨くほど光っていくんだ。

 つやつやで、つるつるになって…

 なんか、わくわくしないか?』


泥団子を向け、

きらきらとした目をしたケズルに、

私は静かに首をふった。


ケズルはいつもそうだった。


一人で教室の隅に座り込み、

いつも熱心に何かを作っていた。


板を丸く削ったり、団子を磨いたり、

運動とか遊びとか他のことはそっちのけ。


ひたすら何かを丸く磨くことに集中していた。


『丸ってさ。どこまでも無駄なく削ると、

 まっすぐ転がって進むんだ…すごいよなあ。』


小学校に上がったケズルが切削工具研削技能士せっさくこうぐけんさくぎのうし

…削りのプロフェッショナルとしての資格を

最年少で取得したときも私は別に驚かなかった。


天才少年、天才技師として、

もてはやされたときもあった。


けれど、ケズルは社交性に欠けていた。


技師としては有望だけれど、

融通が利かなく、人付き合いができない人間として、

まわりから煙たがられるようになっていった。


居間の壁にかけられた賞状がやや黄ばんでいるのも、

そんな子供時代を疎んでのものだろう。


私は一階の部屋から順番に見回っていく。


居間に台所、書斎にトイレ、洗面所。


だが、廊下を歩きながらも、

私は違和感を感じ取っていた。


そして風呂場をのぞいたとき、

原因に気がついた。


そうか、家には生活感がまるで無いのだ。


冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、歯ブラシ、洗濯機、

本棚、テレビ、椅子、机、服に至るまで…


日常品が一つもない。


『…シンプルな方がいい、それが俺の性にあっている。』


高校二年。

白シャツに黒ズボンのケズルはそういった。


荷物は薄いカバン一つきり。

中身は教科書だけだという。


『…余分なものは持たないほうが良い。

 人間はどこまでもシンプルに生活できる。

 関係だって最小限で十分だ。』


両親の離婚とともに、

ケズルは海外での一人暮らしを決めた。


『奨学金の返済無しで大学推薦も受かった。

 俺は、これから無駄をなくした、

 どこまでもシンプルな道をいくつもりだ。』


ケズルは飛び級で外国の大学に行き、

ナノテクノロジーの人の目には見えないほどの、

細やかな、分子の世界へと入っていった。


『…001、001…沿道えんどう警視正、大丈夫ですか?』


かけられた言葉に、

私は顔を上げ、すぐに返答する。


「こちら001、異常なし。一階、二階ともにクリア。」


上も下もクローゼットから床下まで探ったが、

この家では何も見つからなかった。


何も無いシンプルな部屋。


建てられたばかりのような、

きれいで手のつけられていない家。


通信機の向こうでため息が聞こえた。


『…そうですか、わかりました。

 戻って、出口の設備で洗浄してください。

 001…いえ沿道警視正、撤収です。』


「わかった。」


私は通信を切り視線を床に落とす。


あれから20年が経った。


かたや、警察庁の警視正。

かたや、政府公認の研究所所長。


しかし今や事件を追う刑事と重要参考人だ。


…防疫班にねじこんでみたが、

ただの無駄足で終わったか。


結局、何も見つからないまま。


そして辺りを見渡し…私は気がついた。


何もないシンプルな家。


なのに置かれた一枚の賞状。

場違いな額縁。


私は額縁をとっくり眺める。


…何か違和感を感じる。


私は、額縁を外す。


カタリッ、


額縁の裏壁。


上から下まで一直線の縦溝と、

溝の底に埋め込まれた黒く丸い球体が出現した。


…これは。


私は、球体に指を置くと、

下から上へと一直線の縦溝に滑らせる。


球体を一番上まで上げた瞬間、

ふいにカタリと音がして、

玄関から何かが開く音がした。


玄関へと向かうと廊下の中央部、

長丸状の穴にスロープの通路が見えている。


私は通信することも忘れ、階下へと降りていく。


…寒い。


防護服の計器はマイナス五度。

吐く息も白く、思わず腕をさする。


『…コンピューターはデリケートだ。

 熱を逃がさないとオーバーヒートしてしまう。

 冷却は大切なんだよ。』


通信機から聞こえる、

どこかなじみのある声。


周囲を見渡すが、

通路とドア以外何も見えない。


『通信は傍受させてもらったよ。

 家に入る前から君の存在に気づいていた。

 頃合いを見計らって話す機会をうかがっていた。』


私は思わず「ケズル」とつぶやく。

すると、通信機からくつくつと笑う声がした。


『そうだ、俺だ…故あって今は動けなくてね。

 ドアの横にあるスイッチを押してくれ。

 そうすれば俺を逮捕できるよ、沿道警視正。』


挑発するような言葉。


だがそれより「動けない」という言葉に

引っかかりを覚え、私は赤いボタンを押す。


中はさらに冷たいのか、

扉から出た空気は霧となりこちらに流れて来る。


そして、扉の向うを見て私の表情はこわばった。


数日前。


ケズルのいた研究所で奇妙な物体が見つかった。


周囲に赤黒い液体をまき散らした、

どす黒い色をした二つの球体。


室温三度に保たれた部屋。

床に広がっていたのは大量の血。


それが、のちに行方不明になっていた

二人の研究員であることがわかった時、

研究所は大混乱に陥った。


現場はバイオハザードマークの付いた部屋。

二重の部屋に最新鋭の消毒の設備。


作られたのは、形状を変化させる細菌かウイルスか。


研究内容が暗号化されたパソコンも押収されたが、

この球体を説明するものは何一つ見つからなかった。


実験の結果によってできた産物か、

もしくは単なる事故なのか。


捜査の中で重要参考人として上がったのは、

研究員二人と同日に行方をくらました研究所の所長。


私の友人である、玉弓ケズルその人であった。


『久しぶりだな。お互い随分と年を取って

 変わったというべきか?』


それは一つの球体だった。

手足も無い完全な黒い球体。


今までの報告が無ければ、私はこれがケズルとは

とても考えつかなかっただろう。


『そうだな、普通は会ったとたんに、

 嫌悪するか驚くかのどちらかだ。』


まるで、私の感情を読み取ったかのように

くつくつとケズルは笑う。


『…だが、この姿は次世代の人間のあるべき姿だと思うがね。

 人工知能を搭載し、体内で自己増殖を行うナノマシン。

 なかなか近未来的な肉体だとは思わないかね?』


私はそれに抗議しようと口を開く。

しかし、言葉が出てこない。


どうしてだろう。

何も言わずとも目の前の球体…彼がどういうものかが、

次第しだいにわかっていく。


そう、この球体はナノマシンが全身に行き渡り、

細胞を変質させた姿だ。


ナノマシンは脳に入り込むと、

テレパシーのように遠隔で通じ合う作用を持っていて、

…そこまで考えたとき、私はぞっとした。


『そう、ナノマシンはすでに君の体内に入っている。』


ケズルは通信機を利用していない。

それは、すでにわかっていた。


脳内で交わされる会話。

ナノマシンを通して行われる会話。


そして、私は知った。

このナノマシンは形状を変化させると。


体内で増殖したナノマシンは

体表面から空中へと散布される。


対象を発見するとナノマシンは集合し、

形状を変化させ、壁や服に微細な穴を開ける。


そして、再びばらけ、呼吸で体内に取り込まれ、

血流を通して脳へと移動していく、数秒で…


私は防護服の指の部分に視線を落とし、ぞっとする。

指がない…いや、腕も、首も、防護服ごと萎縮している。


形状変化は始まっている…!


『人間に限らず生物の体は手や足といった障害物が多すぎる。

 外装を強靭な組織で覆い、かつ傷がつきにくい、

 どこにでも移動が可能な球体型こそが理想系。』


私は踵を返し、元来た道を逃げる。


この場から離れなければ。

体内のナノマシンを消滅させなければ。


だが、そんなことは不可能な事はわかっていた。

この家に来てしまった時点で私は終わっていた。


一階が見えた時、足が崩れた。


受け身を取るため丸まるような形となり、

体がごろりと転がり出す。


ケズルの言葉が頭に響く。


『…実は、我々はまだ未完成なのだよ。』


それもわかっていた。


ケズルは体内の熱の処理ができずに、

地下から出られなかった。


研究室にいた“二人”は空気中にナノマシンを散布できず、

他の人間に感染させることなく機能を停止した。


『…だが、ナノマシンは学習する。

 失敗と成功をいくどもくり返し環境に適応していく。

 その最先端に君はいる。我々が機能を停止したとしても、

 ナノマシンは経験や知識を君に流し込んでくれるだろう。

 …つまり君は我々の一部であり、我々も君の一部なのだ。』


そんなことは嫌というほどわかっていた。

私はこれから自分の行うことに、もはや抵抗はなかった。


数秒後には防疫班の特殊部隊が

私の安否を確認するためにドアを開ける。


そのとき、私は外へと出て行くだろう。


外部に放出するためのナノマシンは体内で形成され、

表層面に移動し始めている。


防疫設備など何の意味もなさない。

それにあった形状に変化してしまえば突破は容易い。


風に乗り、国境を越え、

何の抵抗も無く人体に接触する。


それが地球全土に広がったとき、

人類は新しい時代をむかえる。


今の私は、地下にいるケズルや、

今も研究所で調査を受けている二人の男女同様、

まとめられ、共有された一つのシンプルな思考の中にいた。


共有感は安定をもたらす。

さらなる感覚の共有を誰もがのぞんだ。

多様性をシンプルにすること、それが我々の目的だ。


もはや、転がる球体は止まらない。

完全な球ほどまっすぐ前へと進んで行く。

もはや個としてではなく、全体の意思として…。


そうして私はドアが開けられると同時に、

喧噪の中へと転がり出した…!

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化野生姜 @kano-syouga

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