天使の仕事と最小の努力について
本木蝙蝠
第1話 天使の仕事と最小の努力について
僕は天使だ。もっと言えば恋のキューピットだ。誰と誰をくっつけろ、と命令されてそれを実行している。天使には次元を超える力があるが、あまりこの力を使う天使はいない。それはこの次元という概念が難しいものだからだ。例えば人間の手のひら、そのしわの一本一本に別の世界が広がっている。次元というのはそういうものだ。
君たちにはまだ理解できないかもしれないが、これはとても有用な力なのだ。これがあれば、最小限の努力で仕事を終えることができる。今日の話は、まとめるとそんな話だ。
***
ここにある男女がいる。場所は駅。女は上京するために電車に乗ろうとしている。男はその見送り。よくある場面だ。電車が発車するまであと三分。男は意を決し告白をしようと思っている。しかしこの駅には自殺をしようとする男がいた。彼が線路に降りてしまえば、電車はストップ。もう告白なんて雰囲気ではなくなる。どうにかせねばならない。最後の三分間に、告白を成功させることはできるのか。
ここにある男がいる。男の目の前には爆弾があった。時限爆弾である。ディスプレイには残り三分で爆発することが示されている。警察に連絡しても、待っているうちに爆発してしまうだろう。男はたまたま通りすがったに過ぎないが、どういうわけかこの爆弾をどうにかしようという男気を発揮していた。男の額に汗が滴る。爆弾から伸びている十本のコードのうち、正解の一本を切れれば爆弾は停止する。男は最後の三分間に、正しいコードを選ぶことはできるのか。
ここにある少年がいる。少年は今夏休みで、両親は仕事で家にいなかった。束の間のパラダイスである。少年はパラダイスを満喫していた。コーラを飲みながらポテトチップスを頬張り、ゲーム機をテレビにつないで格闘ゲームをプレイしている。少年はNPC相手に無双していた。この試合の残り時間は三分。少年は余裕の表情でコントローラーを握っていた。このままいけば、最後の三分間のうちに勝負を決めることができるだろう。
ここにあるおっさんがいる。おっさんは無職であり、無職ゆえに昼夜逆転の生活をしていた。おっさんが目を覚ましたのは午後三時。意識が覚醒してすぐに、「腹が減った」と感じた。おっさんはのそのそと布団から這い出て、キッチンへ赴く。買いだめてあるカップラーメンの封を切り、熱湯を準備する。それを注ぎ、タイマーで三分を設定して部屋に戻った。しかしこのタイマーは、若干の不調をきたしていた。三分後、このタイマーは鳴らないかもしれない。
ここにあるヒーローがいる。ヒーローは正体不明の怪人と対峙していた。怪人は魚のような顔に、長い爪を持ち、足腰は強靭なチーターのそれであった。おまけに火を吐く。設定を盛りすぎではないかと思う余裕もヒーローにはなかった。ヒーローは怪人に圧倒されている。たしかこの怪人には弱点があったはずである。その弱点をヒーローはどうしてか思い出せない。それを思い出すことさえできれば、この戦況は大きく変わる。しかしヒーローの活動限界は三分間である。最後の三分間で弱点を思い出さなければならない。
ここにある受験生がいる。受験生は模試を受けていた。残り時間は三分。受験生はある問題がどうしても解けなかった。この問題さえ解ければ、きっと満点を取れるはずだ。しかし答えが全く思い浮かばない。どうしたものか、と受験生は頭を抱えた。受験生には時計の針の進む速さがいつもの数倍に感じられた。最後の三分間に、答えを思い出せるだろうか。
ここである。ここで天使、要するに私は、受験生の耳にその問題の答えを吹き込んだ。すると受験生は自分で答えを思いついたかのように眼を見開き、それから口元をかすかに歪ませて紙にペンを走らせた。
受験生の答案用紙はヒーローの脳みそにつながっていた。最後の答えが書かれたことで、ヒーローの頭の中には怪人の弱点がはっきりと浮かび上がった。それは強靭な爪である。爪は強力な武器であるのと同時に折れやすい弱点でもあったのだ。ヒーローは怪人の爪を執拗に攻撃するという、およそヒーローとは思えない戦い方で見事勝利を収めた。これで世界は救われた。ヒーローの活動限界である三分にぎりぎり間に合った。
ヒーローの活動限界は、おっさんの家のタイマーにつながっていた。不調と思われたタイマーは、ヒーローが三分以内に勝負を決めたために無事けたたましい音を奏でた。おっさんはすぐにキッチンへ戻り、出来上がったカップ麺を自室に持って行った。瞬く間におっさんはそのラーメンを平らげ、スープまで飲み干した。
そのカップ麺のカップは、少年の胃袋につながっていた。少年は唐突に空腹を感じ、手元が狂った。コントローラーの操作をミス。それがきっかけで、三分ぎりぎりでNPCに敗北してしまった。まだまだ精神年齢の未熟な少年はコントローラーを投げつけた。衝撃でコントローラーはゲーム機から外れてしまう。青色のコードも外れ、プラプラと揺れている。
コントローラーのコードは爆弾のコードにつながっていた。爆弾の青色のコードが、かすかにミシミシと音を立てる。それに気づいた男は、決心してそのコードを素手でぶちっと引きちぎった。男は目をつむった。しかし痛みはない。すぐに自分が成功したことを認識する。「助かった。いや、助けてやった」と男は呟き、警察に電話をかけた。
爆弾は自殺をはかる男の心につながっていた。彼は会社での人間関係に嫌気がさして死のうとしていたが、急に気持ちが冷めてしまった。別に死ななくてもよくない? そんな思いが男の胸にわき、男は自殺をあきらめた。
さあ、これで告白の邪魔はなくなった。勇気を出して告白するのだ!
「あの……また、ね」
「うん、また」
「絶対、会いに行くから」
「私、待ってる」
「……あの、俺!」
「ドアが閉まります。ご注意ください」
無情にもドアは閉まり、電車は通り過ぎていく。ぶっちゃけ告白されると思っていた女は茫然と男を目で追っていた。
と、言うわけで、誰しも最後の三分間を有意義に使えるわけではないという話でした。いかがかな? ん? そんな話じゃなかったって? それにそんな回りくどい方法を使う必要がない? はぁ、わかってないなぁ。これが天使の美学ってもんだよ、君。それではこれで今日の授業はおしまいだ。……ん? 三分余ってしまったな。それでは諸君、各々最後の三分間を有意義に使ってくれたまえ。
天使の仕事と最小の努力について 本木蝙蝠 @motoki_kohmori
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