【KAC6】ロートルボクサーの意地

綿貫むじな

12ラウンド目の攻防

 リングを照らすスポットライトがやけに眩しい。

 汗と血しぶきの飛沫が飛んだリングは、熱気に包まれている。

 既に肉体は限界を超えている。俺はボコボコに打たれて腫れあがった顔で、対面の青コーナーに座っている若いヤツを見据えていた。

 ポイントでは圧倒的に挑戦者の石動拓也が有利だった。俺は一方的に防戦に回っている。要所要所ではパンチを繰り出して反撃に出てはいるが、それはTKO負けを取られない為にしているだけだ。石動は俺のパンチぐらいでは構わずに前進し、打ってくる。

 ハードパンチャーで鳴らした石動の戦績は輝かしい物で、全ての勝ちがKOだ。なお、負けは一度もない。15戦して全てがKO勝利。メディアもこぞって次の王者だと囃し立てるくらいには人気もある。

 一方の俺は全盛期も過ぎたロートルだ。一時期は世界ランク5位まで上り詰めたが、その後はケガで棒に振った時期を境に、ランキングを上下している。それでなんとか35歳まで喰らいついてきたが、ついぞ王者に挑戦できる権利は得られなかった。

 石動は俺を倒して王者挑戦に弾みをつけようとしているが、そうはいくものか。

 確かに俺は衰えたが、それでもただの咬ませ犬で終わるつもりはない。

 

 まだ最終ラウンドが残っている。最後の一秒が過ぎるまで諦めてたまるか。


 

 

「いつまでボクシングを続けるの?」


 妻にはいつもそう言われていた。

 殴り合いなんて見るのも嫌いと、俺の試合を見に来てくれた事は一度たりともない。

 そりゃおっさんになってまで殴り合いに執着する俺の気持ちなんて理解できないだろう。既に子供も居る身で、世界ランカーと言えども人気が無ければ他の仕事もやっていないとメシもロクに食えない仕事。

 なんでこの年になってまで続けているのかとよく周囲には言われる。

 俺はボクシングをやっていなければ、今頃街のどこかで人に難癖をつけて殴っているだけのチンピラだったかもしれない。

 ボクシングがあったからこそここまでの人間になれたと思っている。

 だからこそまともな人間として在り続ける為に、俺はボクシングをやっているのかもしれない。

 ……ここまで色々と理屈を並べ立てて見たがどれもしっくりこない。

 やっぱり、俺の意地でやっていると思うのが一番正しいと思う。

 俺は俺がどこまでやれるのかを確かめたいだけなんだ。


 俺はかつて、カウンターパンチャーとして鳴らしたものだが、年を食って以降は動体視力も衰えてアウトボクシングで判定勝ち、あるいは負けを重ねて来た。そのファイトスタイルは地味と呼ばれ、かつてはちょっとあった人気も今はほとんど無い。玄人好みと自称するような、物好きな奴だけが俺の試合を見に来る。

 35歳になり、いい加減体にガタが来た頃に石動との試合が組まれた。

 今もっとも勢いのある若手で、ハードパンチが売りのKOで劇的な勝利を収める、人気が出るタイプのボクサー。それでいて人柄も明るくヤンキー臭さも無い、ベビーフェイスな要素も持っており、ボクシングファンのみならずお茶の間の人にも受けがいいと来たものだ。俺とはまさに対照的じゃないか。

 ジムの会長は無理に戦わなくてもいいと言ったが、今こそこういう奴と戦って勝つべきだと思った。

 ロートルの既に終わったボクサーだとは俺自身まだ思っても居ない。

 世間の連中に俺はまだやれるんだとわからせてやりたかった。

 しかし、やはり勢いのある若手と言う奴は実に厄介だった。




「まだいけるのか、上条?」


 11ラウンド目を終わった後の俺の顔のボコボコさ加減を見て、流石の会長も試合を止めるべきかどうか迷っていたようだ。

 右目はほとんど見えない。鼻血も出ている。ボディを打たれて得意のアウトボクシングは封じられ、観客にも死刑執行を待つ死刑囚のようにしか見えなかったようだ。ダウンは幸いこの試合の最中で3回くらいしかとられていないが、このままでは俺は負けるだろう。


「何言ってんすか会長。アンタいつも言ってるでしょうが。最後の一秒まで諦めるなって」


 半ばやせ我慢に近い言葉だったが、確かに俺は諦めてはいなかった。

 ここまで試合を我慢して運んで来たんだ。最後まで俺はリングに立ちたい。

 何よりここまでの布石を無駄にしたくなかった。

 

「そうか。だが次にダウンを取られるような事があったら、躊躇なくタオル投げるからな」

「絶対に倒れやしねえって」


 マウスピースを口に突っ込み、俺はコーナーから立ち上がる。

 対する石動は足取り軽く構えて来て、闘志満々で俺を睨みつけている。

 最終ラウンドのゴングが鳴った。

 たった1分の休憩では蓄積したダメージは回復するはずもなく、俺の足の動きは鈍い。

 石動はそんな満身創痍の俺に対しても油断することなく、ボディブローからのフック、ジャブ2発からのストレートといったコンビネーションで攻め立ててくる。

 若いっていいよなぁ、という感慨をこんな時に感じてしまった。

 体のキレもいいからキビキビ動くし、挫折をした事もないから自信に満ちているのがありありと伝わってくる。何より自分のパンチの威力を全く疑っていない。


 その剛腕であらゆる対戦者を屠って来たのだろうな。


 ギリギリの状態でも俺は石動のパンチをいなしていた。

 喰らったら致命的な奴はガードし、或いはスウェーバック、ウィービングで躱す。

 顔に当たるパンチでもタイミングよく首をひねって受け流し、パンチの勢いを殺す。石動はパンチの当たった手ごたえがなく、困惑している事だろう。衰えたと言われてもまだこれくらいはできるんだぜ。

 距離を詰めてラッシュされそうになったら、クリンチして逃げる。

 ブーイングが飛んでくるがそんなの気にしてられるか。これも勝つ為の戦略だ。

 顔には出ていないが、石動の焦りは手に取る様に俺にはわかる。

 石動はポイントこそ優勢ではあるが、俺に対して手ごたえのあるパンチを打ち込めていないと思っていた。

 実際、この最終ラウンドまで3回のダウンしかとられていないが、そのうち2回はスリップダウンに近いものでそれほどダメージは無いものだった。

 ポイントで有利で、このままいけば普通に勝てる。

 だが石動はKOを求めていた。今までの戦いではKOで勝てたから、周囲の観客も派手なダウンと勝ち方を望んでいたから。何よりもKO勝ちは最高に気持ちがいい。


 石動の戦績の中で、俺ほど防御に優れた奴と長丁場戦った事は無いだろう。

 故に、パンチはラウンドが過ぎるにつれてわずかながらに大振りになっていく。

 あれだけボコボコなのに、これだけパンチを打ち込んでいるのにまだこのロートルは倒れないのか。どうすれば意識を奪えるのか?

 顔だ。顔を問答無用に狙ってぶっ倒す。

 そんな意識が漏れ出たかのような、石動の右フック。


 俺はフックを左に躱しながら右腕を真っすぐに打ち出した。

 クロスカウンターの形で俺の右ストレートは石動の顎を打ち抜いた。

 当たった手ごたえは無かった。

 石動はそのまま膝を屈し、リングに前のめりに倒れ込む。

 すぐにレフェリーが駆け寄り石動の意識を確かめるが、奴は白目を剥いておりカウントを続行するまでもなかった。

 ゴングが打ち鳴らされ、俺の右腕がレフェリーによって上げられる。


 

「それしか狙ってませんでしたよ」


 勝利後のインタビューで俺は言った。

 それまでの11ラウンドはずっと石動の動きの癖を見ていた。

 モーションを盗み、カウンターを狙えそうなタイミングを虎視眈々と狙う。

 戦略はそれだけだった。

 勿論、途中でぶっ倒される事もあり得ただろう。だが俺は諦めなかった。

 

「皆さんは当然石動が勝つものだと思っていたでしょうが、ロートルの意地を見せられたかと思います」

「次は王者に挑戦ですか?」

「……どうでしょうかね。まだしばらくは考えられません。疲れを抜いたら次の事を考えようかと思います」


 インタビューを切り上げながら控え室に戻る中、俺は次の試合は無い事を悟っていた。


 試合後の病院での診察で、俺は網膜剥離と診断された。

 インタビュー時に視界が妙にぼやけるのと、一部視界が欠けているのを自覚していた。

 ボクサーの職業病とも言えるこの病により、俺の現役生活は終わりを告げたのだ。


 その後。

 俺は今、とあるジムのトレーナーとして今は働いている。

 今日は世界戦、しかもチャンピオンとのベルトを掛けた戦いだ。

 青コーナーでステップを踏みながら体をほぐしている挑戦者を見ながら、今は俺の夢をこいつに託している。王者のベルトを腰に巻くと言う夢を。


「じゃあ、今度こそ世界を奪ってきますよ、上条さん」

「おう、俺が仕込んだテクを今日こそ発揮するんだぞ」

「任せてくださいよ。上条さん仕込みのガードテクニックと俺のパンチの二つが合わさってもう俺は最強間違いなしですよ」

「言うねぇ? じゃあ俺から一つ、条件を出そう。3ラウンドのうちに相手をKO勝ちしろ」

「ひええっ! こりゃ本気でやらないとやべえな」


 そんな口振りで居ながらも、どこか余裕を感じられるのは成長の証だ。

 石動は今度こそ、世界王者となるだろう。

 間もなくゴングが鳴らされようとしている。

 スポットライトが眩しくリングを照らしていた。

 次の王者を決める為に。

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【KAC6】ロートルボクサーの意地 綿貫むじな @DRtanuki

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