空港線天神駅改札前にて

蒼城ルオ

深夜零時一分から四分まで

 新宿駅に慣れてしまうと、昔は当たり前だったものとの感覚のずれに驚かされる。日付が変わった後に3本地下鉄があることを『助かった』ではなく『少ない』と思ってしまうんだな、とか、天神地下街の道の長さに文句言ってたこともあるけど迷路になってないだけ深夜の早歩きにめちゃくちゃ親切な仕様だよな、とか。


「間に合いそう?」

「0時ジャストは無理。6分で帰る」

「りょーかい」

「走れば間に合うんじゃないですか?」

「やだよ、さっきパフェ食べたばっかでキツい」

「だから何でカラオケで甘いもの頼むんですか、太りますよー」


 スニーカーやら革靴やらの音を鳴らして、どこもかしこも閉店して薄暗い地下街を抜けて、まだ煌々と明るい駅へ。ICカードか切符かでオレンジと緑に塗り分けられた改札口の上、電光掲示板の明滅は、無理だと告げた電車が入れ違いだったことを示していた。


「あー、惜しかった!」

「いいよ別に」


 何でもないことのように返して、改札口と切符売場のちょうど中間地点にある柱の前に立つ。改札を抜けて階段を駆け下りる時間を踏まえれば、ここで過ごせる時間は2分、いや3分か。

 それでも。

 それでも、誰からともなく、仕事の愚痴とか恋愛話とか、そういう酒の肴になるものですらない、眠いとか、寒いとか、明日が憂鬱だとか、twitterに呟いたって流されるような言葉の投げ合いが始まる。別れる前に惜しんで無理矢理にでも繋ぎ止めようとするかのように、ここで雑談に耽るのが、今隣にいる面々とのお約束だった。

 天神駅の待ち合わせと言えば八割九割大画面前だというのにライオン広場で待ち合わせることも、何の用事で集まった時でも書店には必ず寄ることも、カラオケに行けば十中八九アニソン縛りの時間が1時間ほど続くことも。高校から大学にあがっても、変わらず。

 多分それは、続けようと思えば続けられたはずなのだ。すぐ近くにいる相手に視線を流す。身綺麗にはなったが垢抜けたとは言えない格好、卒論に悩んでいた頃から変わっていない髪型、3秒かそこらで気づいて眼差しを向けてくる目端の利きの良さ。


「んー? 何?」

「いや、何でも。しばらく会えなくなるからさ」


 会えなくなるのは自分だけ。離れると選んだのは自分だけ。

 他の人間にとってはいつもの3分間が、自分にとっては最後の3分間になる。郷愁に任せて大学時代に住んでいた場所の最寄りのホテルを取ったところで、部屋には一人だ。そして明日の朝には飛行機に乗って、今騒ぐ声の誰一人として聞こえない都会の雑踏に、また紛れる。此処だって決して田舎ではない、けれど明確に違うのだ。


「どうしたー? 寂しい?」

「違うから。保護者がいない日々がまた続くから、君ら大丈夫なのかなーって」

「大丈夫だよ!」

「あ、先輩、俺は不安です。なので次はお盆とか言わず来月帰ってきてください。ぜひ」

「素直なのはいいことだけどそれは無理かなー」


 けらけらと笑う。いつもの会話だ。他愛無い、意味のない会話だ。大事だったのは前からだ。それこそ、学生時代だって、11時には此処にいたのに最終列車に駆け込むことだって儘あった。帰りたくない、と、前から思っていた。仲間内での立ち位置や求められている役割を思えば言うわけにはいかないということも、自分が言わなくても誰かが言ってくれることも。


 それを、甘やかされているなあ、と目の端が熱くなることだけが、ほんの些細な違いだ。


 腕時計を見る。思えばここで覗き込むものの値段だけが緩やかかつ順調に変わっていたものか。


「さて、そろそろかな。帰るよ。また遠くないうちに、来れると思う。たぶん」

「いや多分じゃ駄目だから!」

「あ、でも無理はしないで。仕事と体調優先で」

「帰り道気をつけてくださいね、先輩」

「はいはい、じゃあまた」


 ひらりと手を振って、定期券をかざす。新宿駅と同じように早足で進もうとして、ふと、さほど客足はないのだからと、思い立って振り返る。当たり前のように見送ってくれている面々に、小さく笑みが零れた。

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