最初で最後の三分間

楠秋生

第1話

「ふぅ」


 私は自分の前に続く長蛇の列を見てため息をついた。まだまだ先は長そうだ。後ろにも長い列が続いているから、ずいぶん進んだのだろうけど。

 きちんとした格好をしなきゃとスーツなんて着てくるんじゃなかった。椅子も用意してくれているけど、ローヒールとはいえ普段履きなれない靴は疲れた。



 奇特な老人がいた。その人は若い頃に起業して大成功し、今では知らない人はいないという有名人だ。

 その人がなんだか知らないけど難しい病気になって、余命一年と宣告されたと騒がれたのは一ヶ月ほど前のこと。その時私は自分のことで手一杯で、ニュースでちらっと見て「ふーん。お金持ちでも病気するときはするよね」くらいに思っていただけだった。

 その三日後、彼が爆弾発言をした。そのニュースがこの長蛇の原因だ。


『公募して遺産を寄付します』


 世間は騒然となった。

 どこに?

 誰に?

 いくら?


『氏が面接して内容を聞き、許可を出されます。金額は氏が判断して決定されます』


 問い合わせが殺到したが、直接出向いて順番に並べとのことで、氏の邸宅にこの行列ができることになったのだ。あまりの人の多さに、一人あたりの時間は三分間と決められた。

 

 前後に並ぶ人たちを見るともなしに眺める。

 氏のように起業でもしようとしているのか、夢に目を輝かせている若者。借金取りにでも追われているのだろうか、おどおどした様子で時折辺りに目を配る薄汚れた作業服を着た中年男。音楽やダンスや役者を目指していそうな華やかな人たち。おっとりとした清楚な服を着た、お金になんて困ってなさそうな老婦人。パリッとした服を着て恰幅がいいのに、妙に疲れたように見える紳士。

 雑多な人たちが、同じ列に並んでいる。みんなこの棚ぼた的な寄付を受けるために、長い長い列に並んでいるのだ。


「ふぅ」


 もう一度ため息をつく。待つのにもいい加減疲れてきた。腰がいたい。

 一人三分か。一時間で二十人。三時間ぶっ通しでも六十人しか進まない。列の前の方で廊下は曲がっている。あの先にはあと何人いるんだろう。この大邸宅のどこにその面接するという部屋はあるんだろう。氏は病人なんだから、休憩もとるだろうし、まだまだかかりそうだ。



  🌸 🌸



 あまりにも列が長かったから、何も考えてなかったけど、三分間なんてあっという間に終わりそうだ。何を話すか考えておかないと。

 残りの人数が十人になって、急に緊張してきた。まだあと三十分もあるのに。

 実は私は他の人たちのように、寄付金をもらいに来たのではないのだ。

 ただ、一度本人に会ってみたかっただけ。テレビ越しではなく、対面してみたかったのだ。

 どぎまぎしているうちに時間は過ぎて、順番がまわってきた。

 扉が内側からゆっくりと開かれる。部屋にはいかにも高級そうな書斎机があり、その向こう側に柔和な笑みをたたえた温厚そうな紳士が座っている。


「君の叶えたい夢はなんだね? いくら必要としているのかな?」

「私は……」


 これが最初で最後の三分間だと思うと、胸がつかえて言葉にならない。紙にでも書いておけばよかった。

 氏は優しい瞳で黙って次の言葉を待ってくれている。


「お会いしてみたかっただけなんです」

 

 なんとかそれだけをしぼりだす。


「儂にか?」


 こくんと頷く。


「ふむ。お金には困ってないけど、成功者の運にあやかりたい、とそういうことかな?」

「いえ……そうじゃなくて」


 ちゃんと、言わなきゃ。今日来た目的を。


「お渡ししたいものがあるんです」

「ほう。何かな」


 私はさげていた鞄から、風呂敷包みを取り出した。


「後でゆっくり見てください」

「ふぉっ。ふぉっ。プレゼントかな? 儂にもファンがいるということかの」


 壁際に控えていた女性が寄ってきて受け取り、少し不安げな顔で氏の顔色を伺う。

 あ、もしかして……。


「あの、不審物っていうか、その、おかしなものではありません」


 ってそんなこと、もしそうなら言わないか。


「中を確認してもらってもかまいません」

「では失礼します」


 事務的にこたえ、風呂敷をひろげた。

 中から出てきたのは文箱。


「中も拝見させて頂きます」


 蓋を開けると入っているのは手紙とノート類。ぱらぱらと捲ってみて問題がないのを確認するともう一度蓋を閉じた。

 氏はその様子をじっと見つめ、それから記憶の糸を手繰るように目を閉じ額に指をあてる。そしておもむろに半立ちになり、受け取ろうと手を伸ばした。


「それはもしかして……?」

「お時間です」

 

 ちょうどその時、扉の側で控えていた男性から声がかかり、動きが止まる。


「次の方がお待ちです」


 氏は文箱へ視線を残したまま、頷いて腰をおろした。


「後で必ず見させてもらうよ」


 辞去する私の目を真っ直ぐに見て、約束してくれた。

 もしかすると、あの箱に見覚えがあったのかもしれない。


 三分間はあっという間に終わってしまった。これでこの人に会うのは最後だ。

 部屋を出る前に振り返って、もう一度その姿を目に焼きつけた。



  🌸 🌸



 一ヶ月前、ちょうど世間が氏のニュースで騒がしくなっていた同じ頃、大好きだったおばあちゃんが亡くなった。海外にいる両親はお葬式やら初七日がすむと後の処理は私に任せてさっさと帰ってしまったので、私が遺品を整理することになった。

 子どもの頃、夏休みにずっと過ごした田舎のおばあちゃんの家は、懐かしい思い出がいっぱいつまっている。「ゆっくりしておいで」と主人が送り出してくれたので、のんびりと思い出に浸りつつ作業していてそれを見つけたのだ。

 螺鈿細工の美しい漆の文箱。


「あ、懐かしい。これ、おばあちゃんが大事にしていた箱だ」


 子どもの頃、このきらきらした箱の中身をきいたことがある。


「宝物が入っているんだよ。香澄ちゃんが大きくなったら見せてあげるよ」


 ここで過ごす夏が減ってきてすっかり忘れていた。

 そっと手に取ってみるとずっしりと重い。中には手紙やハガキと一緒に日記帳が何冊も入っていた。

 ぱらりとめくってみる。


『黙って離れてしまったこと、許してくださいね。貴方の愛は大事に胸にしまっておきます。私のことはもう忘れてください』


 え? これって……。

 見ちゃっていいのかな。でも、大きくなったら見せてくれるって言ってたし。

 

 他のものを整理しながら丸二日逡巡し、やっぱり読ませてもらうことにする。


『貴方の子どもが生まれましたよ。貴方の大好きな花の名前をつけますね』


 お母さんは父親を知らないと言っていた。これは、おじいちゃんに宛てて書いているんだ。

 ぱらぱらと先をめくってみる。


『ずいぶん頑張っておられるようですね。テレビで拝見しましたよ』

『すみれがお嫁にいきました。貴方に知らせるべきか迷ったのですが、きっともう私のことなど覚えておられないですよね』

『すみれが母になりました』

『奥さまのこと、お悔やみ申し上げます。辛い思い出もありますが、今はもう昔のことですね』

『お別れの時がきたようです。画面越しではない貴方に、もう一度だけ会いたかった』


 読み飛ばしただけでもおばあちゃんが、ずっとこの人のことを想い続けていたことがわかる。

 だけど相手は奥さんのいる人、つまり不倫だったようだ。

 日記を置いて手紙を手に取ってみる。未使用の切手が貼ってあり、宛名は男性の名前になっている。……出せなかった手紙だろうか?

 おばあちゃんは、きっとずーっとこの人に会いたかったんだ。こうやって大切に文箱にしまって、書き続けていたんだもの。

 お母さんに電話で相談してみる。


「好きにしなさい。でも私は会わないわよ」


 会いに行ってみようか。手紙を渡しに行ってみようか。どんな人なんだろう。この住所にまだいるんたろうか。と想像を巡らせていたときに、あのニュースが繰り返されていたのだ。

 はじめは全く気がつかなかったけれど、何度も流れるニュースに、嫌でもその名前が耳に入ってくる。


「え? ちょっと待って」


 ふと気づいて思わず独りごちる。手紙の宛名と同性同名。まさかと思いながら見ていたら、問い合わせ先の住所が手紙の宛先と同じだった。

 テレビに映っているあの人が私のおじいちゃんだなんて。

 お母さんは、こんなにすごい人だって知ってるのかな。余命一年って知ってるのかな。

 もう一度連絡してみる。


「あのね、この前も言ったけど、香澄が会いたければ行ってもいいの。でも、私にとってはずっとほったらかしにして、会いに来ようともしなかった父親なの。今はシングルマザーも増えたから感覚が違うかもしれないけど、当時は私生児ってだけで蔑まれて、たくさん嫌な思いをしたのよ。苦労して育ててくれた母さんには感謝してるけど、その人のことは許せないの」



 好きにしていいと言われた私は、遺産寄付の列に並んで会ってみたのだった。

 あれが最初で最後の三分間。

 今まで会いに来ようともしなかったんだから、これからも同じなんだろう。もしかすると、文箱に興味があるように思えたのは気のせいで、おばあちゃんのことを覚えてすらいないかもしれない。

 だけど、あの日記や手紙を見てしまった私は、おばあちゃんの想いを伝えずにはいられなかった。日記や手紙をあんなに書きためて。ずっと、ずーっと想い続けてたことを。


 手がかりはあえて残してこなかった。手紙には宛先のみで差出人住所は書いていなかったし、あの面接の時も氏名だけで連絡先は書かなかった。だから簡単には見つからないはず。

 でも、もしもあの人が本気で探してくれる気になったなら、あの文箱を見ておばあちゃんに会いたいと思ってくれたのなら、探す手立てはあるだろう。



「会いに来ると思うかい?」

「わからないわ。あの三分間が本当に最後の三分間になるのか、最初の三分間になるのか」


 迎えに来てくれた主人と、公園のベンチで日向ぼっこする。


「疲れたろ」


 優しく労ってくれる主人がいる幸せを噛みしめる。


「あ、動いた。この子もおじいちゃんに会いたいって言ってるのかな」


 お腹にそっと手をそえる。


 新緑が風に揺られ、陽射をうけてきらめいていた。



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最初で最後の三分間 楠秋生 @yunikon

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