【KAC6】 人生最後のカップ麺

木沢 真流

第1話

「さあ硲口さこぐちさん、言ってみてください。何でもいいですよ」

「何でもって、いきなりそんなこと言われても……」

「遠慮は要りません。今まで死んでいったあなたのご先祖様もこうやってみんな願いを叶えて来ました」


 男は戸惑っていた。

 四畳半の薄暗い部屋、そこで硲口さこぐちは死んだ。おそらく原因は糖尿と高血圧による脳出血かなんかだろう、今まで散々医者から言われも直さなかった生活習慣が祟ったのだ。だがそれはまだいい。

 朦朧とする意識が突然晴れたと思ったら、目の前に突然スーツ姿の男が立っていたのだ。年齢は新人というほどではないが、それなりに若い。妙に落ち着いた様子、それがまず最初の印象だった。そしてその男からこんなことを突然言われれば誰だって戸惑うかもしれない。

 話は数分前に遡る。


硲口さこぐちさんですね、あなたは死にました。最後の3分間だけ一つ願い事を叶えてあげます」

「……なんですか、突然。願い事?」

「そう、例えばもう会えなくなった人と話す、どうしても知りえなかった秘密をのぞく、未来の世界を体験する、逆に過去に戻るなどいろいろあります」

「はあ、そうですか」


 状況がよくつかめず、頭を整理するまで時間を要している硲口さこぐちを前に、スーツの男はまくしたてた。


「大事なことですからね、納得いくまで考えられた方がいいでしょうね。ですが時間がないのも事実です、せっかくのチャンスが時間切れで無駄になってしまってはもったいないですから」


 そういうと、腕時計をチラッとみてから、目をパチパチとさせた。

 はあ、硲口さこぐちは思った。よくわからないが、この男は自分のために何かしてくれるらしい。


「分かりました。それにしてもなんでそんなことしてくれるんですか?」

「まあそうですね、福利厚生とでもいいましょうか、人間は生きるだけで辛いのが当然です。その報いというかサービスです。もちろん利用しなくても構いませんが、せっかくなので利用してみませんか?」

「そうですね……何でもいいんですか?」

「ええ、ただもちろん常識の範囲内でお願いします」


 常識ねえ、硲口さこぐちは考えていた。

 それからぼそっと呟いた。


「カップ麺……」

「はい?」 

「カップ麺くれませんか?」


 スーツの男は一瞬だけきょとんとしたが、再確認した。

「カップ麺ですね? 分かりました」


 男がテープルの上に手をかざすと、硲口さこぐちの目の前に、あの長年愛されているカップ麺、しょうゆ味が現れた。そして間も無くお湯が注がれると同時に、カウントダウンが始まった。

 硲口さこぐちはその紙の蓋から漏れる白い湯気をじっと見つめていた。


「カップ麺とは、なかなか珍しいですね」


 スーツの男は本心で、しかし同情は込めずそう漏らすと、目の前のカップ麺と硲口さこぐちを目で行ったり来たりした。


「ええ。カップ麺は私にとって大事な思い出が詰まっているんです」


 硲口さこぐちはテーブルの上にポツンと立つカップ麺を同じ目線でじっと見つめた。


「小さい頃、父がよく作ってくれました。今日はシーフードだ、今日はカレー味だって。でもやはり私はこのしょうゆ味が一番でしたね」


 スーツの男は作った笑顔でうんうんと頷く。


「離婚してから子どもとはほとんど会えなくなりましたが、遊びに来るたびにカップ麺作ってやってたんです。普段はあまり食べさせてもらわないみたいなんでね、だからかなり喜んでました。来るたびに『今度は何味?』って聞くんです、かわいいでしょ?」


 先ほどと変わりないリズムで男の頷きが続いた。


「自分も忙しい時はほとんどカップ麺で食事を済ませてました。カップ麺の汁は私の血液みたいなもんでしょう、まあだからこんな死に方になったんでしょうけど」


 そう言って硲口さこぐちは、ふふ、っと笑った。

 しばらくじっと、立ち上る湯気をみつめ、思い出に耽っていた硲口さこぐちはおもむろに割り箸に手を出した。そしてぱきっと割る。


「人生最後にありがとうございました。それではいただきます——」


 次の瞬間、まるで停電のように一瞬で電気が消えた。

 そして四畳半の部屋に横たわる硲口さこぐち。時間切れである。

 その暗い部屋で、スーツ姿の男がその様子を見下ろしていた。


「うーん、3分だと待つだけになっちゃいましたね、せめて少し食べさせてあげたかったんですけど、規則なんで! じゃあ、お元気で〜」


 そのまま男は次の死に際へと向かって行った。

 最後の3分でなく、5分であれば少しは食べられたかもしれない。

 しかしルールはルール、曲げるわけにはいかないのだろう。

 用意したカップ麺がどんぶりタイプの5分要するものでなく、3分タイプを用意した点は、ひょっとしたら彼の優しさだったのかもしれない。


 

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