180 seconds

miso

第1話 180 seconds

「いいか、よく聴け」

 男は切羽詰まった様子だ。

 僕の両肩を掴み、グイっと引き寄せた。

 顔が近づき、無精ひげが視界いっぱいを占拠する。


「もう一度言う。この扉は外に繋がっている。俺が時間を稼ぐから──」

 男の顔もここ数年で随分と見慣れた。

 むさ苦しく、少しばかり体臭のキツイ野郎だが、これでなかなか面倒見が良い。

 剣術に体術もかなりできる。

 軍に入ってからまだ浅い僕にとって、師匠にも等しい。


「残った連中は恐らく全滅だろう。逃げる以外に選択肢なんてないんだ」

 寝食を共にした彼らの内、どれだけが人型を保っているだろうか。

 技を競い、ぶつかり合い、手を取り、戦ってきた。

 僕の仲間たち。

 きっと大半は胃袋の中。

 丸呑みにされ、酸で溶かされ、もがいている。


「だが、あいつらのおかげでもうじき扉も閉まる。あと百八十秒程度だろう。一度そうなりゃ、奴もしばらくは出られまい」

 命を賭した仲間たちの行為が、未来を繋いでいる。

 そんな彼らを残して逃げた僕を、怨嗟の声が苛む。

 足を血塗れの手が掴み、地獄へ引きずり込もうとする。

 やけに生々しい想像。恐怖が作り上げた想像。

 想像に、彼らとの記憶が塗りつぶされる。


「一緒に逃げるっていうのは」

「無理なのはお前だってわかっているはずだ」

 黙る。

 扉だってさほど持たないだろう。

 共に逃げれば、共に喰われるだけ。

 彼らと、仲間たちと共に。


「奴が来るまで、もう猶予もない。扉だってすぐに閉じちまう。だから」

 辺りには警報が鳴り響いていた。

 耳朶を好き放題打ち鳴らし、僕を急き立てる。


「……時間を稼ぐったって、何ができるんだ」

 男の言葉を遮るようにして呟く。

 意味のない言葉だ。意味のない問答だ。

 それでも零れた。


「お前が残るよりずっとましだ。俺の方が強い」

「そうだ、俺よりアンタの方がずっと強い。だから、生き残るべきだ。必要なのは僕ではなくアンタだ! ここで僕一人助かったところで!」

「お前が残ったって、何秒も持ちやしねえよ」

 冗談めかしながら、僕を軽く突き飛ばした。


「さっさと行け。都に情報を届けるんだ」

 話は終わりとばかりに背を向ける。

 何故こうも背が広いのだろう。ふと思う。

 彼の右手にはいつの間にか一本の剣。

 有名な鍛冶師が打ったらしい名剣。

 幾度となく僕らを助けた彼の剣。

 頼りに思えていたはずのそれも、棒切れにしか見えない。


「他に選択肢はないのか」

 男は黙っている。

 背中で語る、そんなのいつの時代の言葉だ。

 くだらない。

 が、そういう奴だと知っている。

 どうせ、もう何も話さない。

 そういう奴だ。


「本当に……他に」

 腰に差した剣に触れる。

 軍から支給され、ずっと使ってきた。

 これで数多の困難を切り抜けてきた。

 命を落としそうになったことも数知れない。

 それでも、何とかなって、今日まで来た。

 今回だって。


「……僕はアンタと、」

 警報が音を変えた。

 背後で扉が動き出すのがわかる。

 閉じようとしているのだ。

 刻限が迫っている。


「……」

 切り替えろ。

 為すべきことがある。

 僕は都へ走り、状況を伝える役目がある。

 あそこに行けば大規模な軍を動かすこともできるだろう。

 できなければ、住民もまた──。


「……」

 そうだ。

 僕は今、住民の命を背負っているのだ。

 自分の感情に従い、万の人々を見殺しにするわけにはいかない。

 僕は軍人なのだから。

 僕は誰かを守るために、軍人になったのだから。


「後は、任せてください」

 男の背に、敬礼する。

 万感の想いの一分でも、伝わることを願って。

 男の背が何かを言ったような気がして、何だか可笑しかった。

 口で言えよ、と思わなくもなかった。


「──ご武運を」

 扉へと駆け出す。

 殆ど閉じ切った隙間に滑り込む。

 同時に、背後で裂帛の声が轟いた。

 剣戟の音が響く。

 奴が来たのだ。

 僕は振り返らない。

 託された使命を胸に、駆ける。

 扉が閉まる。


 外は寒かった。息が白い。

 見据える先に小さく都。

 僕は走る。

 万の命を、仲間の魂を背に。

 走る。


 鍛えた体を十全に活かし。

 風を切って駆け抜ける。


「男に、二言はない」

 口調を真似てみる。

 また何かを、背負った気がした。

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180 seconds miso @tetomatoshi01

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