残り3分の花嫁

うめもも さくら

3分間の永遠の誓い

「やっとこの日を迎えられるね」

君は嬉しそうに微笑んでいる。

僕は笑った顔を作って君を見つめた。

そして君に背を向けて堪えきれない涙で頬を濡らした。

僕がどんな顔をしているのか鏡がないからわかりはしないが、きっと君に見せられない顔をして泣いていると思う。

悲しくて、寂しくて。

白無垢に身を包んだ彼女とただ静かに立ち尽くす僕。

こんなに悲しい結婚式は他にない。


君と出逢ったのは高校生の時。

まるでドラマのような出逢いだった。

舞い散る桜の花びら、心地よい風と桜の木の下で立っている君。

君と出逢った瞬間世界中の時間が止まったような感覚に陥った。

君は僕の視線に気づき緩やかに僕を見て綻ぶ花のように笑った。

一瞬で恋に落ちた。

僕はこの日はじめて恋をした。


そしてすぐに君に告白をした。

ここで君を見失ってしまったら何故かもう逢えない気がしていた。

僕は自分の頭のなかに思い浮かぶ言葉をありったけ使って君に好きだと伝えた。

君は突然のことに驚いた顔をした後、どこか寂しそうな困った顔をしていた。

その時の僕はまだ君のした寂しそうな困った顔の理由を知らなかった。

君は何度も逡巡しゅんじゅんして何度も悲しそうに苦しそうに顔を歪めてそして僕に向かってごめんなさいとそう言って桜の花びらの奥に消えた。

僕はこの日はじめて失恋をした。


それから時が経って、君がまたあの桜の木の下で立っているのをみつけた。

その時桜はもう咲いていなかったけれど君はあの時とまるで変わらない姿だった。

僕は君を忘れられなかったからまた逢うことができて嬉しかった。

けれどどこか気まずくて照れくさくて君を困らせたくなくてしつこい男と思われたくなくてすぐ声をかけることはできずただみつめていた。

君はやっぱり僕の視線に気が付いて花の笑みを浮かべた。

あの日の感情が急激に押し寄せてきて僕は泣きそうな顔をしていたと思う。

君はやっぱりあの時と同じように驚いた顔をした後、どこか寂しそうな困った顔をしていた。

僕は項垂れながらただ君が好きだと泣いた。

君は何度も逡巡しゅんじゅんして何度も悲しそうに苦しそうに顔を歪めてそして僕に向かってごめんなさいとそう言って桜の花びらの奥に消えた。

僕はこの日二度めの失恋をした。


僕は大人になった。

君のことは忘れたことはなかった。

だから誰かを好きになるということはなかったけれど大人になって忙しい日々に追われていた。

お酒を飲むと時々その時のことを思い出す。

甘酸っぱい初恋の思い出。

僕の人生であの瞬間が唯一の青春だったかもしれないと思っていた。

もう一度君に逢うまでは。


あの日は久しぶりに実家に帰ってきた。

実家が遠いわけではなかったけれどお見合いだなんだと口喧しく親にせっつかされるので忙しさを言い訳にしてずいぶん足が遠のいていた。

親に頼まれた買い物の帰りにたまたま学校の前を通りすぎようとして僕は君をみつけた。

そして弾かれるように君をみた。

桜の木の下で君はあの日と変わらない姿で立っていた。

僕は動くことができずただ君をみつめていた。

どうして?という感情が頭を巡った。

僕は大人になって見た目もずいぶん変わったけれど君はなにも変わらない。

顔も着ているものも髪型さえ何一つ変わらない。

まるであの日の光景を切り取ったように。


君はあの日と全く同じように僕と目が合うと花開くような微笑みを浮かべた。

僕は動くことができずただ立ち尽くしていた。

君はあの時のまま驚いた顔をした後、どこか寂しそうな困った顔をしていた。

そして君は何度も逡巡しゅんじゅんして何度も悲しそうに苦しそうに顔を歪めてそして僕に向かってごめんなさいとそう言って桜の花びらの奥に消えようと走る。

僕は誰かに押されるように駆け出してはじめて君を追いかけた。

走って走って桜の花びらを掻き分けて君の手を掴んだ。

僕はこの日はじめて君に触れた。


君は振り向いて花が零れ落ちるような微笑みで僕をみつめて言った。

「やっとこの日を迎えられるね」

僕は君の言葉の意味がわからず、なんとも間の抜けた顔をしていたと思う。

けれど君が笑ってくれたから僕の手を振りほどかないでいてくれたから僕は嬉しくてきっと笑ってた。

僕はこの日はじめて恋愛をした。


「あなたは私が怖くないの?」

不意に君は僕に問う。

はじめて出逢った日からかなりの時間が経っているけれど君は何も変わらない。

人間じゃない、ということは否応なしにわかってしまったけれど不思議と僕はすんなり受け入れてしまっていた。

その理由はわかっていた。

「君に恋をしているから」

君は照れたように笑い、そして僕たちはそれから毎日一緒に過ごした。

仕事のことや最近オープンしたカフェのこと、面白い話も何気ない話もたくさんした。

君はいつも興味深そうに聞いてくれて話している僕の方が楽しくなるほどだった。

「僕は君が好きだ。君の恋人になりたい」

君は優しく微笑んで静かに頷いた。

「もう恋人だと思ってた」

君は僕をからかうように笑った。

こんなに楽しい時間ははじめてでこの頃が僕の青春の全てだった。

青春と呼ぶには僕は年を重ねすぎたかもしれないけれどその時の僕の心は君にはじめて出逢った頃の僕に戻ってしまっていた。

僕はこの日はじめて恋人になった。


そんな日々が1年以上続いていたある日僕は意を決して君に言った。

「僕と結婚してほしい」

あの日の告白が頭のなかで駆け巡る。

また君が驚いた顔をしてどこか寂しそうな困った顔をしたあと何度も逡巡しゅんじゅんして何度も悲しそうに苦しそうに顔を歪めてそして僕に向かってごめんなさいと言って桜の花びらの奥に消えてしまったらと思うと僕は躊躇ってしまっていた。

けれど僕は君と絶対のものがほしかった。

戸籍じゃなくてもいい。

親に紹介できなくてもいい。

ただ君とずっと一緒にいることのできる権利がほしかった。

君は俯いていた。

いなくなってしまうのではないかと思っていた僕はおそるおそる君の顔を覗きこむ。

君ははらはらと涙を落としながら僕に問う。

「私なんかでいいの?」

僕は何度も君がいいんだと言った。

ドラマみたいなかっこいい言葉は言えなくてただ必死に君がいいんだと繰り返すばかりだった。

そして君は言った。

「やっとこの日を迎えられるね」

僕は思っていた。

君は本当はずっと僕と同じ願いを持っていてくれていたのかもしれない。

君に告白した日からずっと。

でも君は人間じゃないから最初は僕を突き放したけれど、大人になった僕が追いかけたとき君も僕を求めてくれてたんじゃないかな。

ずっと同じ願いと想いを抱いていてくれていたんじゃないかな。

そして君は優しく微笑んで静かに頷いた。

「遅いくらいだね」

君は僕をからかうように笑った。

僕たちはこの日はじめて夫婦になった。


そしてある日僕は君をみつけた。

テレビから流れてくるニュースはどれも朝から気が滅入りそうなものばかりで僕はパンを噛りながらなんともなしに聞いていた。

そして耳に飛び込んできたのは僕の母校で起こった不穏な事件を読み上げるアナウンサーの声。

「昨日みつかったという遺体はもう何十年も昔に亡くなったものということですが大きな損傷はなかったそうです。専門家の方の話ではこれは死蝋化という現象で、ある一定の条件のもと起き、自然にできるのは珍しく考古学では……」

その先はよく聞こえてこなかった。

ただテレビの画面に微かに映る君の姿に目が貼り付けられたように離すことができなかった。


「やっとこの日を迎えられるね」

君は嬉しそうに微笑んでいる。

僕は笑った顔を作って君を見つめた。

そして君に背を向けて堪えきれない涙で頬を濡らした。

僕がどんな顔をしているのか鏡がないからわかりはしないが、きっと君に見せられない顔をして泣いていると思う。

悲しくて、寂しくて。

白無垢に身を包んだ彼女とただ静かに立ち尽くす僕。

僕はこの日はじめて結婚をした。


ごめんねと僕はずっと心の中で謝り続けた。

きちんと守ることができなくてごめんねと何度も何度も謝り続けた。

そして白無垢を身に纏った美しすぎる君の亡骸に接吻くちづけをして僕は君を強く抱きしめた。

脆い君の亡骸がキシリと悲鳴をあげたけれど、僕は聞こえないふりをして強く強く抱きしめた。

そしてノックが聞こえて君を優しく横たえた。


開かれた扉から顔を覗かせたのは僕よりずっと年上の君の妹さんだ。

彼女は突然現れた僕の話を疑うことなく信じてくれた。

この本来なら有り得ない結婚式の話にも落ち着いた様子で賛同してくれた。

彼女は感謝をした僕に言った。

「あなたのような方に愛されて最期に姉はとても幸せな時間を過ごせたのね」

僕よりずっと年上の彼女は寂しそうに笑っていて僕よりずっと年下の君と似ていると僕は笑った。


「もうそろそろ時間になるけれど大丈夫かしら。お坊様もお待たせしてしまっているし姉さんを弔ってあげたいのだけれど」

僕は時間までもう少し待ってもらえるようお願いすると妹さんは優しげに微笑んで部屋をでていった。

時間まであと3分。

君に何ができるかと僕は急かす心を宥めながら考える。

そして君の手を握り誓う。

「君をずっと愛している」

喉が詰まって上手く言葉にならなくても君にたくさん話をきかせてあげたいから。

「今は少し離れてしまうけれど、3分しか一緒にいられないけれど必ず君に逢いにいくから」

手を強く強く握りしめて僕は愛を誓う。

「次に逢えたその時はもう二度と君を離さない。ずっとそばにいる。ずっと、ずっと……」

僕は項垂れながらただ何度も囁いていた。

隣に立っていた妹さんに支えられながら僕は君との暫しの別れを終えた。

そして君の亡骸を弔うために僕は部屋をでて斎場に向かった。

白無垢に身を包んだ君と喪服を身に纏った僕の短い結婚式はここで幕を閉じた。

こんなに幸せな結婚式は他にない。

僕はこの日はじめて永遠を誓った。









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