花束を捧ぐ
瀬塩屋 螢
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三分間。考えに考え、小さな白いメッセージカードに『ありがとう』とだけ書いて、俺はそれを花束の近くへ押しのけた。
これが、彼女に向けた最後の言葉だ。
「本当にいいんですね?」
「お願いします」
彼の言葉に目を合わせて頷き、俺は席を立つ。机に出ていたスマフォを手探りで拾う。
立ち上がると、また花屋独特の青臭さが、鼻についた。壁にかけられた時計を目を細めて、確認する。
もう行かないと。
花の飾ってあるショーケースの脇を通って、人が縦横無尽に動き回る駅の構内を少しだけ窺う。これからこの波に乗るのかと思うと、少しげんなりする。
それから、思い出して彼の方に振りむく。
「あの……有難うございました」
「お買い上げ、ありがとうございます」
ぼんやりとした人影がそう言って、頭を下げるのが見えた。気合を入れて一歩俺はその場所を抜けだした。
彼女との最後のデートに向けて。
肌に風を感じる。それは、とても久し振りの事だった。
何週間。何か月。何年。
数えるのも忘れた。長い長い病院生活。やっと今日で終わる。
医療技術の進歩ってのは、すごいもので、昔医者から匙を投げられた病気も完治する時代になった。
視神経の衰弱による、失明。
説明すればそういう病気だ。だから、あの日俺は
病気になった時、頼れるパートナーがいた方がいい? そう思う人もいるかもしれない。
大切だからこそ、俺は依代莉に頼りたくなかった。
退院したら。やりたいことは沢山ある。
まずは、依代莉に会いに行こう。
それから何も言わずに、いなくなったことを謝ろう。俺の事はもうどうとも思ってないかもしれないけど。病気になる前に依代莉に会えて、闘病中も自暴自棄にならずに済んだ。大袈裟なんかじゃなく、本心からそう思う。
今更だけど、出会えたことに感謝している。と自分の口で伝えたい。
今後の生活について、主治医が親に説明をしている、最後の3分間。俺は一刻も早く外の世界を感じたくなって、病院の中庭にきていた。
包帯はまだとらない。ちゃんと許可が出てから。なので、付き添いのナースさんに車いすを押されてここまで来ている。
柔らかい風と、とても気持ちがいい日差し。まだ、目は見えないが確実にいい天気なことは分かる。
三分後。俺の目に巻かれた包帯は外れて、きっと世界をちゃんと見えるんだろう。
どんなふうに見えるんだろうか。
前は、当たり前で有難みの欠片もなかった。
依代莉が見ていたみたいな、世界が自分にも見えるんだろうか。
「
遠くで母親の声がした。視覚情報がない分、声がよく届く。
やっとだ。頭に手を回す。すると、包帯の一片が触れた。ナースさんが外してくれたんだろう。
目のあたりの締め付けが消え、瞼にあたる光が強くなる。
(!?)
車いすの前に屈んでいたのは、ナースじゃない。
今まさに、会いたい彼女がそこにいた。
彼女に渡したのとそっくりのオレンジ色の花束を膝に乗せた依代莉は、
記憶にあるより綺麗になっていた。
(どうして、ここに!?)
口に出せないほどの衝撃を受けるのと、身体に衝撃が来るのはほぼ同時だった。車いすから立ち上がるより早く、依代莉が俺にしがみついてきたのだ。もう離さないとでも言いたげに、少しだけきつく。
俺は少しためらってから、同じくらい彼女を抱きしめ返す。
だって、
「つかまえた」
依代莉の声に、俺の世界はまたぼやけてしまうから。
花束を捧ぐ 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731
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