第2.7話

まぶたを開くと私は見知らぬ部屋に横たわっていた。不自然に重い身体を起こすと右手に何か温かい物が触れる。目をやるとそれは男の人だった。どこかで見たことある気がする、どこだっけ。そもそもここはどこだろう、もしかして私は一夜の関係を築いてしまったのではないだろうか。どうしよう 。自分の体に目を落とすと、雪のように白い、足首くらいまで丈があるパフスリーブのワンピースを着ている。こんな服は持っていないし、趣味でもないので誰かが用意してわざわざ着させたんだろう。

隣で寝ている男は黒い半袖のTシャツに紺のスウェットを履いている。誰かはわからないけど起こしたほうがいいはず。

「あのー、すみません、大丈夫ですか」

起きない。肩をとんとん、と叩いてみるとお腹の奥底から出した様な小さなうめき声をあげて目を覚した。

と、次の瞬間すごい勢いで上半身を起こして目をこれでもかと見開いた。

私はびっくりしてその様子を見ていると、男は私の方にゆっくりと首をまわした。

「…おはようございます」

驚いた。まさかこんな状態で起床の挨拶をされるなんて。ふふっとおもわず笑いが溢れてしまった。

「おはようございます」

「えっとー、夏希さん…ですよね?」

男は私の名前を知っていた。私はあなたの名前を知らないのに。

「そうですけど…すみません、どちら様でしたっけ。私、全然記憶がなくて」

すると男は口を少し開けて何か言いたげな顔をしたが、すぐさまぐっと口を閉じてそれを引っ込めてしまった。

「池永です、池永 大吾。夏希さんと同じ経済学部で、しょっちゅう同じ講義にも出てるんですけど、覚えてないですかね」


…池永?


すこし、思い出そうとしてみたけれど私の知っている名前には池永という名前はない。顔を見たことあるような気がしたのは同じ講義を取っていたからか。私は俗に言う「パリピ」のような華やかでやかましい人種ではなく、ひっそりと生きているタイプの人種なので、交友関係は広くない。どうやら目の前にいる「池永くん」は私と交友関係がないにも関わらず、私の事を認知していたみたいだ。すごいな、私は話したこともない人の顔と名前なんて覚えていられないのに。


「ごめんなさい、覚えてないです。私、昨日あなたと…その、一線を越えてしまったんですか?」

こんなことを相手に、しかも男性に聞くのは恥ずかしいが背に腹は変えられない。

あ、レイプされた可能性もあるのか。しまったなと思っていると

「いや、そんなことはないですよ。正直、僕もなぜここに夏希さんと一緒にいるのかわからないんです」

少しホッとしたと共にさらなる疑念が溜まる。

「なんでしょうね、この部屋」

「なんなんですかね」

池永くんは気まずそうに目線を反らすと、あっ…と小さく声を漏らした。

池永くんの視線の先、正面を見てみるとそこには薄い桃色の壁があり真ん中には白い扉、その右隣には…

「えっ?」

思わず声が裏返ってしまった。私の変な声に池永くんは思わずこっちを見たがそんなことはどうでもいい。

モニターには

『セックスしないと出れない部屋』

背景は水色、文字は黒いフチに白で私の家のテレビよりも大きな画面を贅沢に占領していた。

「どういうこと」

「セッ…」

彼はゲホンと咳をして息を整えてから

「セッ…セックスしないと、出れないんじゃないですかね」

なんだ、モニターに表示であることを読み直しただけじゃない。

「…出れないんですかね」

「あ、ちょっとその扉試してみますね」

よっこいせと立ち上がって彼は銀のドアノブに手をかけた。

しかし手応えはなさそうだ。

「すみせん、開かないみたいです」

「そんな、謝ることないですよ。お互い被害者なんですし」

彼は少し間を開けて

「そうですよね、被害者ですもんね」

と頷いた。

ふと右方にもう一つ扉があるのに気がついた。そちらはクリー厶色の扉だった。彼に任せっきりでは申し訳ない。私もこの部屋の解明に貢献しなくては。どうやら正面のドアと同じタイプのドアみたいだ。

諦め半分でドアノブに手をかけて体重を載せるとそれはすんなりと回った。なんだか拍子抜けするな。

ドアを押し開け中にはいるとそこには取っ手のついた正方形の扉がついた棚と、シャワールーム、もう一つドアがあった。それはトイレだった。

必要最低限、人間としての尊厳を失うことはないわけだ。でもそれだけしかない。

「こっちにはシャワールームとトイレと棚がありましたよ」

「そうですか」

「出口はなかったです」

彼はうーんと唸ってベッドに腰掛けた。私も彼の向かい側に腰掛ける。

「やっぱり、出るにはその…セックスしないといけないみたいですね」

「でもそんな、突然セックスだなんて言われても私…」

初めては好きな人に捧げたいんです

と言う言葉が出かかったが喉元で抑える。言ったところで問題解決にはならないし、第一恥ずかしい。自分でもわかってはいる。明るくなくて、どことなく垢抜けない感じで「イケてない」分類に入る女だと。その上未体験だなんて笑われてしまうかも。

「…そうですよね、抵抗がありますもんね」

池永くんは瞬きを五回ほどして

「とりあえず話をしませんか?」

そんなことをしている場合かと咎めようかと思ったが、脱出手段も無く、やることのない(一応「やること」は提示されてはいるが)この部屋では時を待つしかない。

「いいですよ」

と、返事をしたが向こうは特に話す内容を決めていなかったようで沈黙が二人の間を流れる。私も特に話すことはないので黙って足の指先を見つめていた。やだ、人差し指が巻爪になってる。

重い沈黙を破ったのは池永くんの一言だった。

「好きな人とか…いるん、ですか?」

『好きな人』

身体に電気が流れたかと思った。その言葉は鼓膜を震わせ、神経を這い上がって脳細胞を刺激する。海馬が動く音がした。言葉が前頭葉に溜まり、あふれ出た。

「冬馬くん」

「…冬馬って、西本 冬馬?」

思わず口から漏れてしまった。慌ててきつく結び直す。が、覆水盆に反らず。言ってしまった言葉は取り消せない。

「…そうだよ。同じ経済学部の冬馬くん」

「あいつが好きなんだ。面識あるっけ」

「無いよ、一目惚れ」

「一応、俺あいつと仲良くてしょっちゅう一緒に居るんだけど」

どこか寂しそうな笑いを浮かべて彼は

「気づかなかった?」

と私に返答を求めた。そんな顔をされたらなんだか話しづらくなるじゃない。

「えーっと、ごめん。全然わかんなかった」

まじかーと彼は苦笑していた。ああ、既視感の元はここか。冬馬くんの隣りに居たんだからどうりで見たことある顔なわけだ。

なんとなく気まずくなって話題を変える。

「お腹空いたね」

彼は少し間を開けて そうだね と同調する。

すると扉の向こうからカシャンと音がした。出口が空いたのかも、クリーム色の扉へかけより中へ入ると特に変わったところはない。いや、棚の上のランプが赤く点滅している。こんなのあったんだ。棚の取っ手を掴み引き上げると中からふわっと美味しそうな匂いが漂ってきた。中にはトレーの上にのったいくつかの皿、が二つ。

どうやら食事のようだ。いったいいつまで私達をこの部屋に閉じ込めるつもりだろう。なんのメリットがあるのか。密かに憤りを覚えながらもお腹は空いているので食事は食べたい。

さっきの部屋に戻ろうと思ったが両手が塞がっているのでドアを開けられない。つま先で扉を蹴り、音を出していると池永くんが扉をあけてくれた。

「なにそれ、ご飯?」

「そうみたい。いつまで居させるつもりだろうね」

片方のトレーを手渡してベッドに腰掛ける。

「いただきます」

「ちゃんと言うんだね」

「そりゃ言うよ。夏希さんは言わないの?」

「いや、なんとなく言わなそうなイメージだった」

「俺のイメージどうなってんの」

と池永くんは笑いながらほうれん草のおひたしを口に運んだ。

私もおひたしを口に運ぶ。うん、美味しい。これが閉じ込められている部屋で食べる食事じゃなかったら最高なんだけど。

池永くんが私よりも少し早く食べ終わり、トイレに行くと言って立ち上がった。

一人でピンク色の壁を見つめながら白米を口に運ぶ。このままここにいるのかな。今日が何曜日なのかよくわからないけど、平日だったら授業の単位が心配だ。でも、冬馬くん以外の人と性行為をするなんて。

いや、恐らく何事もなくこの部屋を出たところで、これまでと何ら変わることなく私は冬馬くんに認知されずに大学生活を送ることだろう。また、見ているだけの日々が続くのか。かといって部屋を出ないわけには。もはや初めてにこだわっている場合じゃない。これは不可抗力、緊急事態だと私を納得させた。その時、ちょうど池永くんが戻ってきた。意を決して伝えてみよう。指先が熱を持ち、しびれる。喉が渇く。

「池永くん」

「なに」


「セックス…しようか」

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株式会社セ○クスしないと出れない部屋 かよかよ @t0718kayo

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