のぞきミライ~道端で幼女に声かけられたら、自分の娘でした~
かきつばた
事案
中須豊久の日常は恐ろしいほど単調だった。平日は朝八時前に起きて、徒歩五分圏内にある高校に向かう。そして七時間ないしは八時間近く無為な時間を過ごす。そして、一人よく見慣れた道を歩いて家に向かう。ともすれば、目を瞑ったままでも一日を過ごせるんじゃないか、と思ったが家の玄関を出てすぐ塀にぶつかったので止めた。家に帰れば、趣味に興じるくらい。読書をするか携帯ゲームをするか。時には課題に追われて――と、おおよそ平均的男子高校生の暮らしだろう。
休日は余程のないことがない限り引き籠る。ここでいう余程とは、喉から手が出るほどに欲しい物を買いに行く時のことを指す。好きな作家の新作か、あるいは最新作のゲームか。一応、学校で話をする程度の友達は彼にもいた。
ということで、今日もいつもと変わらぬ下校道を歩いていたのだが――
「あ、パパだ!」
跳ねるような高い声がした。その持ち主は小学校低学年くらいの女児。ピンクのシャツに淡い青色のスカートを身に着けている。鞄は背負っていない。豊久の向かい側からやってきて、発声すると同時に足を止めた。彼の方に向けて指をさしている。
逆に豊久は足を止めることはない。そのまま一定の速度で歩いていく。幼女との距離が詰まっていく。小学校わきのこの長い道を超えればすぐそこに彼の家がある。
「パパ!」
――豊久がそのまま通り過ぎようとしたら行く手を塞がれた。どうしようもなくなって、彼は足を止める。
幼女は目をキラキラと輝かせて豊久の前に立った。かなり低い位置から一心に、彼の顔を見上げている。その頬はとても上気していた。
豊久はふと後ろを振り返ってみた。恐ろしい程に人の姿はなかった。そのまま周囲に視線を巡らせたところで同じだった。今この道には、彼と彼女しかいない。
当然だが、彼には身に覚えがなかった。そういう行為はおろか、彼女は一人だってできたことがないのだ。見た目も勉強もスポーツも目立つところはない。部活も委員会もやっていない。女子との繋がりは同じ教室に存在する、ということだけ。あえて強気な言い方をすれば、彼は非モテボッチというやつなのだから。
(きっと変な子なんだろう。関わってはいけない。ぼくはロリコンではないが、その世界にはこういう格言がある。少女とは愛でるもの。だいたい、この物騒な昨今あいさつしただけで通報されるらしいし)
そう思って、彼は一歩横にずれて、そのまま歩き出そうとした。だが――
「パパ!」
ぎゅっとされた。幼女は彼の歩みを阻む様にその腰元に抱き着いてきた。
たちまちに上がる体温、心拍数。それは小学生女児に抱き着かれているという実感からではなくて、この異様な状況によるもの。違うんです、ロリコンじゃありませんと、彼は心の中で何度も唱える。
狼狽えながら、またしても周囲に視線を巡らせた。やはり人影はない。ひとまず安どした。通報の危機はなさそうだ、と。
しかし、すぐ真横は小学校。いつ誰が現れるかわかったものではなかった。
「あの、離れてくれないかな?」
「や!」
「僕はキミのパパじゃあ――」
「ん!」
幼女は自らのスカートのポケットに手を入れた。そして、何かを取り出すとそれを上に掲げる。
思わず豊久はそれを手に取った。それは十円玉硬貨。みなさん、ご存じの通りそこには製造された元号が記されているのだが――
「永安十三年……? な、なんだ、これは――!」
それは彼の全く知らない単語だった――。
*
その幼女の名前はひさえといった。苗字は何と、豊久と同じなかす――もちろん彼の親戚にそんな名前の子どもはいなかった。
自分をパパ呼ばわり、そして例の謎の硬貨……彼にはひさえが未来から訪ねてきた自分の娘としか思えなかった。とても信じられなかったけれど。
たぶん警察に連れて行くのが、一番いい解決策なのだろう。それは彼にもよくわかっていた。しかし、残念ながらもっと面倒くさいことになることが予測された。
さらに――
「失礼しました」
がらがらと、彼はしっかりと職員室の扉を閉めた。
学校に戻らないといけない用事があった。今日が提出期限の学校ワーク。これを逃すと、もれなく通知表が一つ下がる。推薦入試狙いの彼にとって、それは一大事だった。……もちろん、ひさえのことも問題だけど。
「キャー、何この子! かわいい~」
「ねえねえ、あなた、どこから来たの?」
「先生の子ども? それとも妹とか?」
すぐ近くで女子生徒が三人ほど盛り上がっていた。楽器と譜面台を手にしている吹奏楽部の生徒だ。
そしてその中心にいるのが――
(や、やっぱり連れてくるべきじゃなかったかぁ……)
ひさえだった。豊久の家に誰もいなかったから、仕方なかったのである。
「あっ、パパ!」
「パパ?」
幼女の一言で、女子高生たちは豊久に視線を注いだ。たちまちにその顔が驚愕に染まっていく。
「ち、ちが、これは――」
「え、え、どういうこと?」
「あれ、うちの高校の人だよね」
「どーみても、年齢合わないっしょ。事件の予感!」
盛り上がる彼女たちをよそに、彼は慌てて未来の娘の手を握った。そして、そのまま階段を下りていく。逃げる様に。その背中には、あらぬ罵詈雑言が浴びせられていたが。
だが、その道中――
「あっ、中須君だぁ!」
彼に声をかける者が現れた。短い茶髪の人懐っこそうな笑顔を浮かべる少女。彼のクラスメイトである音上美智絵だった。そして例に漏れず、吹奏楽部員。
無視するわけにはいかず、彼は足を止める。さっと同級生の顔を一瞥した。正直あまり繋がりもないし、早くここから離れたかった。
「何してるの……ってか、誰この子?」
「ああえっと――」
「ママっ!」
豊久が言い繕う前に、その幼女は彼の知り合いの女子に抱きつきにかかった。
「え、ええっ! あたし、いつの間にこんな子を……」
「いやいや、そうじゃないでしょ。ええと、ひ、ひさえちゃ~ん、こっちおいで」
照れながらも、彼は女児の名前を呼んだ。
「うん、パパ!」
とても元気よく返事をして、彼女は再び彼の方に戻っていく。
――あっ、それはまずい!
恐る恐る彼が視線を上げると、顔を真っ赤にしている美智絵の姿がそこにはあった。ぷるぷると震えて、涙目になっている。
「あの、えと、その、ご、ごめんなさいっ!」
そのまま彼女は来た方向へと駆けだしてしまった。
盛大な誤解をされた気がする……豊久はひたすらにただ呆然とその姿を見送るしかなかった。終わった、自分の高校生活は今ここに終焉を迎える。
「って、久絵ちゃん!?」
「ほえ?」
ボーっとしていると、視界の端にいる彼女の姿がぼやけていくのがわかった。これはいったいどういうことだろう……頭を必死に働かせる。
――ありえない結論だとは彼は自分でもわかった。でも、それなりに的を射ているんじゃないかと思った。
今はとにかく、彼女を何とかしないと。その一心でその軽い身体を抱きかかえた。そして必死にクラスメイトのことを追うのだった。
*
一階廊下の突き当り。家庭科室の前あたりで、なんとか彼女のことを捕まえることができた。お互いに息が絶え絶え。ひさえだけが楽しそうにニコニコしているのだった。
「ご、ごめんなさい。取り乱しちゃって……でも、さすがに娘さんにそのクラスメイトのことママって呼ばせるのは」
「いや、ちょっと盛大な勘違いをしてるよね? えっと、この子は親戚の子で、まだ甘えん坊というか……見境なくともなくパパとかママって言っちゃうんだよ」
自分でも苦しいなと思いながら、豊久はそれっぽいことを口にした。
すると、美智絵の顔から怪訝そうな感じが薄れていく。
「なぁんだ、そうだったんだ。ごめんね、あたし早とちりしちゃった!」
何とか誤魔化せたことに、彼はとても驚くのだった。そして、一つ気付く。この人、ちょっと天然気味なのかもしれない。限りなく良い言い方をすれば。
「あっよかったら、練習見てかない?」
彼女はちょっと譜面台とクラリネットを掲げてみせた。
「それはちょっと……」
「そっか――あれ? その子身体がぼやけて……」
「是非聞かせて頂きます!」
そして、豊久は確信を深めていく。美智絵がこの子の母親、つまりは将来の伴侶。ひさえの存在が揺らぐのはきっと、フラグがぶち壊しになっているからだ。それが彼の頭が捻り出した結論だった。
美智絵とひさえの顔を、彼はさっと見比べていた。確かに、どこか似ているような。いや似ていないような……。よくわからない。
しかし、自分が美智絵と……。接点なんかまるでない。ただのクラスメイトなのに。自分はずっと独身のまま生きていくと思ってたのに。
この幼女の存在はただただ豊久を不安にさせるのだった。
とにかく、その後はもう大変だった。ことあるごとに、ひさえの身体が消えかかる。
「ちょっと真面目に聞いてる?」
「えー、それって具体的にどこがよかったの?」
「中須君、反応薄すぎ~」
鑑賞態度、感想の具体度、世間話の相槌。評価点はいくつもあって、そのすべてで彼は初め必ず失敗した。
「――ふう。こんなもんかな」
何度目かの演奏が終わった。彼女は満足そうに楽器から口を離す。そしてにっこりとほほ笑んだ。
パチパチパチと豊久たちは盛大な拍手を贈る。それでより一層機嫌をよくする美智絵。
「じゃああたし、行くね。……また明日も付き合ってくれたりしちゃったり?」
「僕でよければ」
変に答えて、最後の最後でひさえに消えられることを慮った。
「キミじゃないと……って、やばい! 遅れちゃう!」
最後は慌ただしい様子で、彼女は去っていった。とんとんとんと軽やかに、近くの階段を駆け上がって行く。その頬をどこか赤らめながら。
……豊久はほっと一息安堵していた。ようやく謎の苦難から解き放たれて。ある種の達成感に浸っていたといってもいいかもしれない。
しかし、まだ――
「パパ、楽しかった! ありがと――」
それだけ言い残して、ひさえはその場から姿を消した。テレビが消えるみたいに、それは一瞬のことで。
「ひ、ひさえ?」
ぐるりとあたりを見まわしてみてもその姿はどこにもない。……きっと、未来に帰ってしまったのだ。自分が夢を見ていなければ、の話だが。彼はそう結論付けると、少しだけ微笑んだ。
本当に短い時間だったけれど、彼もまた楽しかったのだ。未来の自分のことが少しだけ羨ましい。あんな可愛い娘がいるなんて――
「ひさえ……あっ!」
久絵、とでも書くのかもしれない。案外単純だな、未来の自分は。馬鹿らしくて、少し苦笑いが零れてしまう。
彼は明日からの日々に一抹の不安を覚えるのだった。だって、彼にとっての未来はまだ一つも確定していないことだらけなんだから。ただそれでも、もう一度久恵に会いたい。そう思いながら、彼は校舎を後にした――
のぞきミライ~道端で幼女に声かけられたら、自分の娘でした~ かきつばた @tubakikakitubata
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