恋はしたもの負け
道透
第1話
今日は雪でも降りそうなほどに冷たい風が吹く。雲の浮かぶ青い空の下を制服で学校からの帰路を一人で歩く。地面を踏むローファーには二年ほどの汚れがたまっている。手袋のしていない手をブレザーのポケットに突っ込み、首元を守るマフラーの中で首を縮める。
家まではまだ道のりがあり、生憎この辺りは山なのだ。短い距離でも長いように感じてしまう。
今日はバイトが入っているため急いで家に向かう。
家に帰って、ブレザーをベッドの上に脱ぎ捨てる。私服に着替えて薄くメイクを施す。最小限の荷物を鞄に入れて休憩もなしにバイト先の徒歩十分で着くスーパーへ駆け込む。前の人と交代のことを早く来て損はない。
私はバイトの制服に着替えて今日のシフトをスケジュール表で確認する。すると後ろからすぐ後ろにある裏口の扉が開いた。
「こんにちはー」
入ってきたのはこのスーパーで働いているわたしよりも十歳年上の鈴木さんという男性だった。私は緊張を隠しながら、こんにちはと返した。
「山本さんも今日シフト入ってたんだね」
「はい!」
恥ずかしくて、肩までの黒髪を撫でつける。
今日、私の担当はレジだった。鈴木さんも今日はレジだろうか?
私は十分前に交代の準備をしに行った。前の人は私よりもいくつか年上の大学生の女性だった。私よりも美人で綺麗な人だ。愛想も良く、女子力も高く私の理想だ。
私は担当するレジにあるお金の量を確認した。この分だとまだお金を入れなくても回せそうだな。キョロキョロとして周りを見渡すも人ごみの中に鈴木さんの姿がなくてがっかりする。
いたのは二十四歳の男性とこの間結婚したばかりの男性だ。どちらも特に興味はない。ただ一人、鈴木さんだけは目が離せない。
私がこのスーパーのバイトを始めたのは二か月前の話だ。なかなかバイト先で馴染めなかった私に話しかけに来てくれた最初の人が鈴木さんだった。何度も顔を合わせるうちに意識せざるおえなくなったのだ。好きだという気持ちに嘘はつけない。それはいい。しかし、鈴木さんは結婚している。それも一年前ということだ。
私はレジに入って並ぶお客さんの商品を通していった。正確に間違いなくこなすのも慣れが必要だ。接客に気をまわして、お釣りを正確に出す。計算までは機械がしてくれるがお釣りを出すの自分の手だ。ため息をついている暇はない。
「いらっしゃいませ」
接客なんて真面目にしていればなんてことない。私はかごの中の商品を丁寧に通す。
今頃、鈴木さんは野菜を詰める作業でもしているのだろう。大体わかっていたけど。結果が当たってしまうとがっかりする。いつものことだ。
立ちっぱなしの仕事は思っているよりもきつい。ふくらはぎがしんどくなるのだ。もう少ししたら私の仕事もあがる。ラストスパートをかける。
「いらっしゃいませ」
私は今までと同じように次の客に言う。
「お疲れさん」
「鈴木さん、お疲れ様です!」
鈴木さんはもうあがったようで携帯片手にかごの商品を持ってきた。
「他に何かいる?」
電話の相手は奥さんだろう。夕食の材料を買って帰るのだろう。残酷だな。私のレジに並んでくれて嬉しいはずなのに気分は晴れない。でも結局は見とれてしまう。
「山本さん、接客馴れてきたよね。この調子で頑張って!」
「ありがとうございます」
私は褒められたことによって私は舞い上がる。
鈴木さんは特別顔がかっこいいとかではない。何だか話して分かる良さのようなものを持っている気がする。少なくとも私は話しているうちに好きになった。
既婚者だと知っていたらこんな恋も止められただろうか。バイト先の人とは連絡先の交換をしている。でも、用事か相当な勇気がない限り連絡なんて出来ない。
お会計が済むと鈴木さんはそのままスーパーを出て行ってしまった。私は次のお客さんの商品を通すことに頭を切り替えられなかった。
家に帰ると夕食を取り、お風呂に入る。体が最高にリラックスした状態で電話をかける。
「もしもし、美緒?」
出たのは友人の優香だった。
「久しぶり」
「どうしたの? 今日バイトだったんでしょ……鈴木さんか」
当たりだ。話さないとやってられない。こんな話を安心して出来るのは優香だけだ。本当は声を聞けるだけでも結構安心できるんだけど、折角なら言葉にして発散したい。
別に大した内容ではない。しかし、優香は私の話しを聞いてくれる。
「奥さんがいるのは痛いよね」
「そうなの。まず、私の初めの印象って近寄りがたいって言ってたらしいの」
「まあ、見た目きつそうなのは私も分かるけど。初めの印象でしょ?」
印象なんて変えようがないじゃないか。肩が落ちる。
「四年ぶりに恋したんでしょ? それが既婚者か……」
「早く諦めた方がいいよね。その先に良い未来が待ってると信じて」
自分で言ってなんだけど結構つらいな。
優香と電話しながら携帯の画面は電話帳だった。かける勇気も用件もない。
「諦めるの? 気持ちを伝えるのはただでしょ」
随分簡単に言ってくれる。既婚者に告白することがどれだけ考えるか。
鈴木さんは一人の男性として好きだ。見るだけでドキドキする。目の保養だ。
同じ年だったら、一緒に授業を受けれたかもしれない。一緒に委員会や部活を出来たかもしれない。付き合えたかもしれない。時間をいっぱい共有できたかもしれない。
でも私は鈴木さんと同い年出はない。一緒になんてなれないのだ。それに、奥さんと買い物の相談をしながらレジに来る鈴木さんは幸せそうだ。目の前には私がいるのに、電話の奥さんを脳裏で見ているようだ。そんな幸せそうな鈴木さんを悲しませたくない。好きだから幸せを願ってしまう。
「私は諦めたい。伝えずに」
「本当にいいの? 後悔するよ」
「大丈夫」
告白する度胸はない。
でも、ここでのバイトはやめたいな。そしたら、きっと時間が解決してくれるはずだ。
私は優香との電話を切って、意気込んだ。
私と鈴木さんがバイトの日は高確率で別の係になる。それはとても都合が良かった。心では鈴木さんを一目でも見たいと願うがここは耐え忍ぶ時だ。
そうやって私はどうにか卒業までの一か月を変えた。さすがにしんどくて、何度も優香に電話したりしていた。
卒業の前日から一週間、バイトはない。その間に私は髪をもっと短く切り、髪をミルクティー色に染める。耳には穴をあけてピアスをつける。メイクももっと完璧にする。女子力や言葉遣いに気を遣う。常にハンカチと裁縫セットは持ち歩くようにした。
そして、久々にバイトへと足を運んだ。緊張は休みをはさんでいたことによって膨れていた。
「こんにちは」
私が裏口から入ると中にいた人は皆一瞬動きが止まった。
「え、どうしたの?」
こちらに来た鈴木さんと久々に目が合う。誰も何も言わないのでなんとなく目のやり場に困る。
「似合ってるよ」
「ありがとうございます!」
鈴木さんは私に微笑む。
「山本さんって柔らかい表情もするねんな」
私はその場にいたに二十四歳の男性に言わせた。私はそんなに硬く見えていたのか。
何だかこれまでの私の我慢は全て吹っ飛んだ。鈴木さんと目が合っただけで崩れ落ちるような音が胸の内でした。同時には爆発音のような大きくじけるような音もした。
――あ、だめだ。
既婚者だとか関係ない。恋に落ちたら負けなんだ。
恋はしたもの負け 道透 @michitohru
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