よくあるあれを、やりたくなるのよ。

明里 好奇

よくあるあれを、やりたくなるのよ。


 喫茶店やバーなんかで情けない男にグラスの水をぶっかける場面。よくあるあれを、やりたくなってしまうのよ。

「……最っっ低っ」

 とか言いながら、女性は男を店に残して出ていく。得も言われぬ顔をした男だけが残る。ああ、だからさ、実践しない私のことを、誰かほめてくれないかな?


 ねえねえねえ、佐藤さんはさあ! 彼氏とかどうなの? ね、どーなの? え、何で作んないの? あれ、今年でいくつだっけ? え、そろそろいい歳なんじゃないの。結婚とかしないの。えー、嘘でしょー? そんなこと言ってると売れ残っちゃうよー? あっはっは! 何それ負け惜しみー? ほら、グラス空なんだから注いでくれないと。ほーら! 佐藤ちゃんも呑むの! ほらグラス空けて! 呑めるでしょうこんなもん、呑めないわけないよねえ……? おー! ほら、呑めるんじゃない。

 佐藤ちゃん、えっろい体してるもんねえ! そんなことないですって、それは君が言うことじゃないでしょう? なんで、ちゃんとおっぱいあるじゃない。男に揉ませてんじゃないのー? で、野郎の———を××××するんでしょー? そのお口で! やめてくださいって、そんなこと言っといてやることやってんでしょー! やらないわけないよね! こんなにエロいんだから!!

 

 うるさいよ。気安く肩を抱くな、背中を撫でるな、手を繋いでくるな。指絡めてんじゃないよ! お酒は好きだよ。そんなに強くはないけど楽しい酒は好きだ。こうやって気軽にタダで触らせてやって、簡単にお酌してくれるオンナは便利だろうさ。そうなんだろうけど、私にとっては地獄でしかない。女は色として使い捨てられることがある。手軽で金のかからない便利な相手として不快感を抱いたまま、笑っていなければならないことがある。それが心底不愉快なのだ。女として見られることが不愉快なんじゃない。使い捨てられる性の対象になってしまうのが、心底嫌いなのだ。

 ああ、女の子を集めてあまーいスイーツを用意して、パーティーしたい。幸せにほころぶ顔を、視界一杯にして愛でていたい。甘いチョコレートもカフェオレ、ロイヤルミルクティーも用意しよう。そうね、ふわふわのクッションも必要だ。猫足の大きなソファも、欲しいところ。きっと、やわらかくて甘い香りがするんだ。


 だーめですって! あ、グラス空いてますよね! さあ、もう一杯! えー、そんなことないですよー、自分一人で精一杯ですから! 先輩のおかげで仕事も楽しいですし! あ、ビール一本くださーい! あれ、どうされたんですか? はいはーい!


「こっち空いてるよ、おいでよ佐藤ちゃん」

「どうしたんすか茅木さん。ビールですか?」

「いや、なんか大変そうだったから、迷惑だった?」

「ま、さか。……そう見えました?」

「気づかないとでも思ったの? 俺の隣だったらあんな絡まれないでしょ。ここに居なよ。ビールも要らない」

「なにそれ茅木さん、すごくかっこいい……」

「はあ? 俺はずーっとかっこいいに決まってんじゃない。知らなかったの?」

「えへへ、知ってました」

「ちょっと! ふわっふわじゃん。大丈夫? お水貰う?」

「いいんすか」

「無理しない無理しない。おねえさん、お水二つください!」

「ふたつ?」

「俺も欲しいってテイにしてしまえば、角も立たないでしょー?」

「茅木さん、天才……」


「よくあるじゃん。喫茶店とかで女が情けない男に冷や水ぶっかけて『最っ低』とかって出てくっての。あれ、佐藤がしたいなら、してくる? ちょうどお冷ひとつ余るしね」

「確かに、よくありますね」

「なんて言ってみたけど、お前はしなさそうだな……?」

「……まあ、茅木さんが居なかったら、やってたかもしんないですけど。あなたがあんまりスマートで優しいから、辞めておいてあげます。私、すごーくえらいから」

「んふふ。半分寝ながら何言ってんのよ。安心してうとうとしてていいよ。ちゃんと起こしたげるからさ」


 あれだけ不快だった男の手が、まどろみに染み渡っていくのを感じた。

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