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gaction9969

1&2

 ―私のこと愛してはいないのね。


 ―もういいわ、死んでやるから。


 ―貴方の目の前で。


 ……彼女がそんな風にテンプレ気味にキレるのも、三日に一度くらいにいつもの事だったから、その時もおざなりに宥めただけだった。いつものポーズだろう、と。明日にはまたいつもの彼女に戻っているさ、と。


 ……でも今回ばかりは本気だったみたいだ。


 ひどく深い、不快な眠りから覚醒させられたのは、しかし他ならぬ彼女の叫び声と、何かをしきりに叩く音だったわけであり。そのバックには絶え間なく響く雨音のようなものも聴こえる。


 硬く、冷たい感触を右頬に覚えて僕は目を開く。ぼんやりと薄暗い空間。横倒しになった長方形が淡い光を放っている。その中に動く物影がある。


「!!」


 驚いて自分の身体を起こす。何か、痺れに似た感覚が全身に纏わりついているようだ。身体がままならない。しかしそれを気にしている場合ではない。


 顔を起こし、改めて正対する。「光る長方形」、それは「扉」だった。ガラス、いやアクリルか? 透明だが結構な厚みを持った「扉」。左の中ほどに回すタイプの丸いドアノブがついている。見知らぬ「扉」。いや、見知らぬはこの部屋もそうなのだけれど、それらを意に介している暇も無い。なぜなら、


「……!!」


 扉に張り付くように、縋りつくようにして、その華奢な両手でその透明な「扉」を叩いていたのは、僕の彼女であったわけで。それだけでも驚愕だったが、さらにその背後、上方に設えられている太いパイプのようなものの口から、


「……」


 大量の水が滝のように流れ落ちていたのであった。何なんだ、この状況はッ!?


 慌てて辺りを見回すが、自分が倒れていた「部屋」は四畳半くらいの大きさで、打ちっぱなしのコンクリの壁・床・天井に囲まれた殺風景この上無いほどの、真四角に近い空間だ。地下室なのだろうか、窓ひとつ無い。「室」というよりは居住感をあまり意図していないシェルターのような佇まいだ。


 こんな場所に馴染みは無い。自ら足を踏み入れたという記憶も無い。出入口は目の前のアクリル扉しかなさそうだ。が、


 それを挟んだ彼女側の部屋は……やはり同じくらいの広さの立方体空間だ。「扉」に近づいてそれ越しに向こうを覗き見ると、円いパイプ口の下には、目の前のこれと同じような透明な扉が見て取れた。その先はここからは見えないが、おそらく「出入口」があるのならそこなのだろう。


 いやそれよりも。


 彼女の「部屋」は―ようやく僕の頭も先ほどからの「雨音」の正体が分かった―水没しかけているっ!!


 目の前の扉のノブを左右に回してみるが、どうともならなさそうな硬い手ごたえがあるばかりだ。水面は彼女の膝上まで来ている。時間が無い。


「!!」


 何かないか。「部屋」の中を見回した僕の目に最初に映ったのは、左手の壁の真ん中あたりに取り付けられた、細長い透明な樹脂製のケースだった。これを使えということか? いや、何故「使えとばかりに置いてある」んだ?


 しかし逡巡している時間は無かった。透明ケースの開け方が分からなかったので無理やり壁から外すと、中に固定具で引っかけられていた赤い色をした破扉斧をもどかしくも取り出す。


 アクリル扉の前に立ち、扉向こうで狂乱の表情を浮かべている彼女に下がれと手で合図する。しかし分からないようだ。ならば……


「……!!」


 斧を両手に携え、頭上まで振りかぶってから扉に叩き下ろす。わずかに刻まれる穿ち跡。何度も何度も、なるべく同じ箇所を狙って鈍い切っ先を叩きつける。ようやく彼女も悟ったのか、ドアから一歩退いてその様子を不安げな表情で見守っている。しかし、


 ダメだ。途中から明らかに材質が変わった? 刃先が滑って食い込まなくなっている。それでも何回か斧をぶち当てるものの、それ以上はもう破壊することは不可能のようだった。


 水位は彼女の腰を上回る。再びドアを狂ったように叩き出す彼女を見ながら、しかし僕は何らかの者の作為を強く感じていた。


 考えてみればこんな奇妙な部屋に囚われていることもそうだし、状況もおかしい。斧が扉を破ってくださいとばかりに置いてあることもそうだし、それを使って破れそうで破れない扉もそうだ。


 「誰か」はこの状況を見て楽しんでいる? であれば「脱出の正解」、それも必ず設置されているはずだ。落ち着け。深呼吸をしてから改めて部屋を見渡してみる。右手の壁、そこに壁と同化するような灰色の薄い金属のプレートが貼られていた。これか。


 <Rule1:赤い数字が『70』を下回りし時、ひとつ目の扉ひらかれん>


 持って回ったような言い回し。やはり作為的……いやそこはもう気にするな。「正解」があるのならそれに向かうだけだ。だが「赤い数字」……?


 壁に顔を近づけてぐるりを巡ってみるものの、それらしき物はない。アクリル扉のどこにも数字らしきものはどこにも見当たらなかった。彼女の切迫した顔が間近に迫り、僕も息苦しくなってきた。扉を叩く手、……手首。


 その瞬間、


 そこに目が吸い寄せられた。細い手首の左側だけに黒いバンドのような物が巻かれている。激しく動かされているが、それゆえ「赤い光の軌道」が僕の目に飛び込んで来た。


 あれか。LEDか何かの、光る「赤い数字」。だが数字がいくつなのかは見えない。身振りで彼女に手首を見せろと示すが、伝わらない。くそっ、こんなままならないやり取りも「作為」に入っているんだろっ。


 ヒートアップしたジェスチャーを続ける僕だったが、ふと、シャツの袖口が裏側から「赤い光」でうっすらと照らされているのを見て取る。僕にもバンドが付けられていた……? 急いで袖をまくると、樹脂製のデジタル腕時計のようなものが確かに僕の左手首にも嵌められている。液晶には大きく<098>とだけ表示されているだけだけど。


 この数値を「70未満にする」……? そもそもこの数字は何を表しているというのだろう。


 分からない。自分の鼓動が感じられるほど焦燥している。数値は<102>から<105>へとどんどん増えていってしまっているけど。


 彼女の胸元まで水が迫っている。諦めてしまったのか、彼女は顔に貼り付いた長い髪を払うこともせず、水の中に翻弄されながら漂い始める。時間が無い。だが、


 こういう場合こそ、落ち着くことが肝心なのでは。僕は極めて恣意的に深呼吸を繰り返す。何度も何度も。と、


 <91>……<89>


 ……数値が徐々に下がってきている。何となくその正体が見えてきた。


 彼女に背を向けて腰を降ろす僕。胡坐をかき、耳穴に指を突っ込んで目を閉じる。何も見るな聞くな。落ち着くんだ。落ち着くことだけが彼女を助ける道。鼓動を……「心拍数」を下げるんだ。


 閉じた瞼に浮かんだのは、楽しかった時の光景だった。静かに微笑んでいる彼女が側にいる。そうだ、僕は彼女といる日常に慣れ過ぎて、大切なものを見失っていたのではないだろうか。


 カシィン、と金属が打ち付け合う音が僕の耳に届く。目を見開き、左手首に視線を落とす。<69>。


 勢いよく立ち上がり振り返りつつ、扉のノブを回す。瞬間、既に天井近くまで迫っていた水が、ドアを弾き飛ばさんばかりにこちらに向けて抗えないほどに流れ込んできて、僕は尻餅をついてしまう。だが、必死で両手を伸ばす。倒れ込んでくる彼女を、受け止めるために。


「……!!」


 抱き留めた腕の中で、彼女はぐったりとしている。息は? と、思い切り水を吐き出した。生温かい水が僕の顔にもかかるが、良かった。と、


「……私あの男に騙されてこんな……ごめんなさい。でも愛している……私のために必死に……嬉しい」


 彼女はあの頃のような愛しき眼差しで僕を見上げながら、そんな言葉を紡ぎ出してくれた。


「僕も愛している。君のためなら何だってするさ」


 抱き締め合う僕らだったが、安堵するにはまだ早い。一旦は下がった水位だが、水の流入は止まっていない。脱出するしかない。僕は彼女の体を離すと、膝まで満ちて来た水を蹴って、彼女のいた「部屋」を目指す。もうひとつの「扉」。そこから外へと出られるはずだ。しかし、


「……」


 案の定、その扉は開かない。先ほどのと同じくアクリル製と思わしき透明なその向こうには、上へと続く金属製のハシゴのようがすぐそこに見えているというのに。


 いや落ち着け。開ける手段は必ずある。Rule「1」。プレートには確かにそう書いてあった。「1」があるなら「2」もあるはずだ。


 扉の右下。水に飲まれて灰色の排水溝のような長方形が揺らいで見える。排水溝ならこのくそったれの水を流してくれるはずだが、その気配は無い。それにこの形状はさっき見た。「プレート」だ。


 何とかそこに書かれた文字を見ようと顔を近づけるが、流れる水によって歪んで見えない。プレートを壁から引っ剥がそうとするも、外れる気配すら見せない。どうする……?


 そこに天啓が。僕はまた水を掻き分けて最初の部屋へと引き返す。いつの間にか赤い斧を抱えていた彼女が、びくっとしながら、これ……? と手渡そうとしてくるけど、違う。それでは扉は破れない。それはただ時間を浪費させるためだけの罠だ。僕は水に半分浮かんでいた透明の樹脂ケースの方を手に取り、再び第二のプレートの前まで戻り、ケースを水に浸けてその先に目を凝らす。水中メガネの代替だ。


 見える……!! <Rule2:……>の文字が。やったぞ。僕は慎重にケースを操り、その先を読むため身を屈める。


 <……赤い数字が『0』で止まりし時、ふたつ目の扉ひらかれん>


 ? ……「ゼロ」、だって? その瞬間、僕の首の付け根あたりに、鋭く熱い衝撃が撃ち込まれる。喉奥から塊のような血が勝手に迸り出た。


 振り向いた僕の目には、赤い斧を振りかぶった彼女の姿があって。


「……ありがとう、私のために。何だってしてくれるのよね?」


 再び振り下ろされた斧は僕の眉間をとら


(終)

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