兄とそれ以外の中の私

なるゆら

兄とそれ以外の中のわたし

 見送った日の朝も今日と同じくらいによく冷えていた。花冷えというには寒すぎて、雪が降るのではないかと心配をしたことを覚えている。

 わたしたちが最後にかけた言葉に振り返ることもなく、彼は旅立った。


 わたしには年の離れた兄がいる。物心ついたときからそこにいて、兄は、わたしにとって昔から兄でしかなかった。


 家では口数の少ない人だったけれど、外では社交的だった。耳にする評判も悪くはなかった。人付き合いを苦手にしていたわたしに、挨拶の大切さを教えてくれたのも兄さんだった。


 思い出すのは背中。わたしにかける言葉はどこか冷めていたけれど、何かに打ち込んでいるときの兄は、声をかけるのをためらってしまうほど真剣で、根は熱い人だったんだと思う。


 わたしの家は3人家族で、母と兄とそしてわたし。兄と一緒になにかを楽しんだり、冗談を言い合って笑った記憶はほとんどなかったけれど、身体の弱かった母の代わりに、小さい頃は用事などを頼まれて2人で出かけることもあった。


 思い返せば、わずかに交わした言葉の中にも兄の気持ちはこもっていたんだと感じる。歳が離れていてわたしと関心の対象が違い過ぎていたためか、わたしが何かに興味を惹かれても、兄は冷ややかな目をこちらに向けるだけで同意や共感を示すことはなく、ときには哀れむような言葉をかけることもあった。


 とても経済的に豊かとはいえない家庭だったが、兄はそんな環境をバネにするように地道な努力と忍耐を重ね、大学へと進学し、就職を機に東京に出て行った。


 兄を支えていたものがなんだったのか、今のわたしには見当がつく。けれど、折れることなく一つひとつを積み上げて、目標を達成させていく姿には執念を感じたし、克己的なひたむきさに尊敬の念を抱いていたことに嘘はない。兄の頑張りに、母もわたしも大いに助けられ、思うところはあっても兄にしてもらったことには今でも感謝している。


 わたしの記憶から兄の振る舞いを思い起こして気付くのは、彼は目の前にいる人をまるで見ていなかったということ。視線は合わせていても、人とのやり取りはいつも自動的で、用意されていたものを返していた。語る言葉にどこか現実感がなく、関心を向けているのはいつも今ではなく、ずっと先の未来だったのではないかと思う。


 実際にどのくらい同じなのかはわからないが、わたしにもわかることがある。たとえば、周りの人たちが興味を持っているものに同じように興味を示すことができないということ。


 誰かが望んで手に入れているものが、わたしには望んでも手にすることは難しい。そんな状況はいくらでもあった。惨めな気分になるくらいなら興味を向けなければいい。最初はそうやって自制して、自分が傷つくことから身を守っていたのかもしれない。けれど、次第にそれがわたしの感性になっていった。趣味が合わない。話が合わない。そんな理由で、わたしは孤立することも多かった。


 けれど、兄は誰にでも合わせることができる人だった。おそらく、合わせることで得られるものを知っていて、意図があってそうしていたのではないかと思う。


 兄は、独立して立ち上げた仕事が軌道に乗りだした頃、わたしたちを東京に誘った。それはきっと、家族への思いやりだったのだと信じている。けれど、母もわたしも、兄の側にいることが兄の負担になるだけだと考えていた。なにもかもを自分で判断して実行してきた人に、わたしたちが支えになれることがあるのかと。そして正直にいえば、恐ろしさもあった。側にいると息が詰まるような兄の人柄が、わたしたちにとっても負担になるのではないかとも思った。


 わずかであっても、ここにいればわたしにもできることはあって、引き受けられる役割もある。多くはなかったけれど、わたしにも母にも友人はいたし、生活の維持もできていて、それらを手放してまで兄の元で暮らそうとは思えなかった。


 わたしは、自分が兄の味方だと思っていたけれど、実際にはどうだったのだろう。


 兄がいくつかの罪状で立件され、起訴された。最初は酷い冗談だと思ったし、間違いだと疑った。本人にも周囲にも確認して、関係者からの話を聞いていくうちに、それらしい事実があることを知り、兄の行いに下された判断が妥当だということを受け入れていった。


 ルールや人を使いこなせなかったことが敗因だと兄は語り、昔と同じように目の前にいるわたしにも自分の置かれている現実見にも目を向けないまま、恨みのこもった声で言った。


 ――俺はあきらめない。


 と。


 苦しめられることはあったが、わたしは、ルールに救済もされて生きてきた。しかし、兄はルールを道具として利用して、最終的に打ち倒された。兄が振り切れていて、このような結果に行き着かなければ、わたしも気付けなかったのかもしれない。


 わたしのように、好きと嫌いの間を行き来して迷うといった中途半端さはなく、兄はずっと人を嫌い、軽蔑し、憎むことで生きてきたのだ。それは、成長とともに、複雑で曖昧で、多義的な様々な感情を覚えはじめる前に、兄が自身の心に刻み込んで、その他の一切を拒絶したからできたことだろう。


 尊敬する兄だったはずが、軽蔑の対象になっていった。有名になっていた分、事件の報道の影響で、地元にいるわたしたちに向けられる非難の目も厳しいものになった。一番苦しい思いをしたのは兄のはずだが、わたしの中にあった兄を擁護する気持ちは失われていった。それもまた、十分、薄情なことだと思う。


 良くも悪くも、兄のように生真面目にひたむきに生きられたなら、わたしも兄のようになったかもしれない。しかし、なれなかったからわたしなのだとも思うし、それで良かったのだとも感じている。


 ルールは人を縛りもするし守りもする。それを作ったのはわたしたちが生きている今を作ってきた人たちだ。ルールはその時代に生きる誰かのために必要とされて作りだされたもの。


 もし、人類の歴史の登場人物すべてに共感するなどということができるのであれば、今の現状に必然性を感じるのかもしれない。

 とてもわたしにはできないことだと思う。受け入れる以外にないとしても、肯定できない出来事が多すぎる。しかし同時に、知らないなにかに支えられてわたしが今を生きていられると思えば、軽々しく否定することにも、ある種の無責任さを感じる。


 兄は行いに報いを受けたといえるのかもしれない。しかし、因果応報という仕組みも、ある種の教えが確かなものだと信じられいる世界だからこそ機能するとされていたのだと思う。


 行為の善悪を決めるものは移り変わっていき。神仏の存在感も失われていった。与えられるとされていた罰も、より不確かなものになった。兄が悔いたように、人やルールを使いこなす……などということが許される社会で、技術的にも可能であるならば、そこに罪は存在せず、与えられる罰もない。


 それでいいのだろうかと疑問に思う。


 ルールが規定された背景には、やはり、大切なものを守りたいという気持ちがあったのではないかと、自分自身を守ることさえ難しいと感じているわたしは想像する。わたしがルールを守るとき、守られているものはルールではなく、そのルールが守っているもの。作った人が大切にしているもの。


 信念を貫くことは尊いと感じる。それは、貫くことの難しさを実感し、わずかながら貫いて得られるものを知っているからだ。けれど、善悪が曖昧になったこの世界で、貫こうとする信念が、許されるかどうかは誰が判断するのだろう。


 全体における善悪が失われて、ルールとされる法にさえ様々な解釈を許す世界で、個人が規定していかなければいけない判断基準。グレーな部分にできた線引きもまたルールだ。そして、誰かと繋がって生きていくより他にない以上、そのルールが自分にだけ都合が良いものではあってはならない。


 自分の判断基準が自身の権利を守るだけのものならば、また他の誰かの判断基準によって、身に覚えのない罪に問われ罰を受けることが当たり前の世界になっていくのではないかとも思う。


 兄を見送った駅のホームは新しく建て替えられてなくなった。母が亡くなり、3人が暮らした部屋には、今は違う誰かが暮らしているのだろう。兄が復讐を諦めて帰ってきたとしても、そこにあった場所はもうない。


 テレビや新聞、インターネットや雑誌などを見なくなった。今、わたしは町からバスで一時間ほどの山あいに暮らしている。毎日の生活が不便で、今まで以上に大変だと感じる。休日に買い物に出かければ、それだけで一日が終わる。助けてもらえる人がいて、力を貸してもらえることが本当にありがたい。


 人もまばらな観光案内所。その隣にある協会の管理している施設で働いている。補助金が減らされていているようで、しばらくすれば今の職は失うことになると聞いている。それでもひとりなら生きていけそうだ。


 生きていくために本当に必要なものはなにか。必要だとわたしに思わせるもの、わたしが必要だと感じないものを手放せば、まだもう少し生きていられる。仕事がなくなれば来なさいと声をかけてくれた人がいた。わずかな繋がりと少しの守るべきもの。今のわたしにはそれで十分で、それ以上は身に余ると感じる。


 兄は勉強はできたけれど、利口ではなかった。しかし、利口でないのはわたしも同じだと思う。もっと楽に暮らせる方法があるのだろう。もっと便利なものがあるのかもしれない。けれど、それを求めれば、得られるものよりもたくさんのものを持って行かれてしまう気がするのだ。


 桜の開花予想日を見ないようにして春を迎えた。この数日は冷え込んだけれど、今年の桜はどのくらいに咲くだろう。そんなことが今、わたしの生きている理由で、そんなことで十分だとも思える。

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兄とそれ以外の中の私 なるゆら @yurai-narusawa

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